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younghopeさん のコメント

時は存在の別名であり,静的な存在として植物の代表は樹木なのでしょう。一方、動的な存在動物の代表は人間なのでしょう。静的なものの強さは、自然法爾に、内に秘められた可能性は、動物的な限界や短さがなく、悲嘆や計画性もないと言っておられる。動的なものはその逆であり静的ななものも秘めているから、「知ってことさらに犯す」ということが起きる。

したがって、人間には、楽しみもあれば悲しみもあり、理性と情緒が複雑に絡み合って生活しているといえる。問題は、安倍首相のように、理性が引っ込み、情緒が強くなりすぎると、方向付けが極端に偏向するということでもある。

冷静になって、現実を見る機会を作ってくださる孫崎さんに、感謝です。
No.1
113ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
  ・「歩いてきみははじまった」  ヒトは歩きながら自分を作ってきた。種としてのヒトがそうだし、個人としてのぼくもそうだった。歩けば歩くほど、身も心も削れてくる。その削れた跡がヒトとぼくを造形し、ヒトもぼくも地球のさまざまな土地になじんできたのだと思う。ヒトがどうはじまったかはぼくは覚えていないがアフリカの熱帯雨林から草原への進出がその背後にあったとすれば、森の枝から手を放し草原に立ち上がったときヒトはヒトとなった。歩くという癖も、遠くを見る癖も、そのときついた。視覚も筋肉もそれで鍛えられた。そして莫大な情報を得るようになり地平線があればそれをめざすようになった。未来があれば歩いてゆくようになった。一緒に歩きませんか。   ・時の幹、樹木』 1  種子が発芽を決意する  そのときからもう植物は移動しない  いま決めたそのおなじひとつの地点で  灰色の風が吹くときも  まる
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。