フレデイ タンさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
・「歩いてきみははじまった」
ヒトは歩きながら自分を作ってきた。種としてのヒトがそうだし、個人としてのぼくもそうだった。歩けば歩くほど、身も心も削れてくる。その削れた跡がヒトとぼくを造形し、ヒトもぼくも地球のさまざまな土地になじんできたのだと思う。ヒトがどうはじまったかはぼくは覚えていないがアフリカの熱帯雨林から草原への進出がその背後にあったとすれば、森の枝から手を放し草原に立ち上がったときヒトはヒトとなった。歩くという癖も、遠くを見る癖も、そのときついた。視覚も筋肉もそれで鍛えられた。そして莫大な情報を得るようになり地平線があればそれをめざすようになった。未来があれば歩いてゆくようになった。一緒に歩きませんか。
・時の幹、樹木』
1
種子が発芽を決意する
そのときからもう植物は移動しない
いま決めたそのおなじひとつの地点で
灰色の風が吹くときも
まる
大江健三郎氏は3.11がアウシュビッツだと認定し、創作活動を止めて安倍打倒運動に身を挺しています。私は大江氏の決断は素晴らしいと思います。ただ、私はアドルノのこの結びの意味が正直よく分かりません。ヒトラーの迫害を逃れ米国に亡命し戦後ドイツに戻り文化批判を始めたアドルノにはヒトラーが育った文化地盤と同一の地盤に自分が所属し、居たという忸怩たる思いがそのような結びの言葉を紡がせたのでしょうか。
凡人の私は3.11はアウシュビッツではないと思います。アウシュビッツは今のままだと間違いなくこれからやってくる。日本で野蛮を追い詰める文化活動が益々旺盛になり、その結果、安倍たちの野蛮性の存在意義が限りなく希薄化していくことが期待される次第です。
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