younghopeさん のコメント
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「2+2はいくつか。4ではない。独裁者が5といえば5.3といえば3、『1984』と安倍政権①」と題して、スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家批判として書かれたジョージ・オーウェル著、『 1984 年』( Nineteen Eighty-Four )が、安倍政権下の日本に当てはまることを前回記述した。
前回は「2+2は4ではない。独裁者が5といえば、5.3といえば3.それを瞬時に適合する能力が党員に求められることを書いた。
今回は、「安倍氏は強権発動で何を求めているか」との関連で引用してみたい。安倍氏自身が意識するする市内を別として、安倍政権の方向は『1984』の世界と同一だ。
・党は権力を手に入れるために、権力を求めるのだ。
・我々は何も他人に善をもたらすことに関心がない。我々は権力だけに関心がある。富でもなく、贅沢でもなく、長寿でもなく権力のみに関心がある。
・ナチやロシア共産党は
国民は、競争の原理にさらされ、挙句の果てには、得た収益を、税制の変更で巻き上げられ、何をやっているかわからなくなる。このようなことは、想像の世界に過ぎないかもしれないが、最悪の事態として、思考範囲に加えておくべきでしょう。
国民主権とは全く異なった世界が、展開しようとするとき、その異常性を指摘する政治家がいなければ、マスコミもいない。日本民族のDNAは、自らが自ら考えて行動する生活より、支配されることによって確保される生活を好む傾向を否定できない。したがって、支配する人が、米国であろうが、日本であろうが、生活が確保できれば良いということなのでしょう。問題は、否応なく、さらに貧困化が進み、中流意識など得られない徹底したに二分割が徹底してきたときどのような行動を起こすかである。社会不安、暴動が巻き起こるのでしょう。
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