第1回の開催から今年でちょうど四半世紀が経つ麻雀最強戦。麻雀最強戦レポーターの梶やんが、近代麻雀で掲載された過去の名対局やエピソードなどをピックアップし紹介する[不定期連載]
第4回麻雀史上最強戦は、読者大会が1992年7月19日、本大会が8月4日に開催された。ちなみにこの年の出来事は「貴花田、史上最年少の19歳5ヶ月で幕内優勝」「山形新幹線つばさ開業」「桜田順子、統一教会の合同結婚式に参加」「1ドル史上初の119円」などがありました。
さて、当時の近代麻雀では雀鬼・桜井章一さんや、桜井さんが主宰する雀鬼会が記事や漫画で人気を博していました。初代・最強位の片山まさゆきさん、現・最強位の伊藤優孝プロ、あるいは馬場裕一プロ、さらには近代麻雀編集長・宇佐美和徳さん(ウサパパ)など近代麻雀でもお馴染みの方々も参加しており、読者の認知度も十分にありました。そこで今回も、前年同様「雀鬼会代表」が1人最強戦に参加。今回はまだ20歳の青年・佐々木秀樹がこの舞台に立つことになりました。
この時の参加メンバーは、伊藤優孝、佐々木秀樹、安藤満、灘麻太郎、長谷川和彦、山崎一夫、井出洋介、天野春夫、飯田正人、大隈秀夫、金子正輝、土田浩翔、多田和博、馬場裕一、小島武夫、片山まさゆき、西原理恵子の17名。
今大会では天野晴夫さんという方に注目が集まっていました。天野さんは、当時『リーチ麻雀論改革派』で「麻雀に流れなどない」「ベストセレクション打法」という持論を展開し、小島武夫プロ、田村光昭プロ、桜井章一さんなどの打ち手やその著書を刺激的な表現でバッサリ斬っていたのです。その天野さんが、著書の中で徹底的に叩いていた小島武夫プロや他のプロたちとどういう戦いを繰り広げるのか。同時読者だった私にとって、非常にワクワクする対決構図でした。
その結果はこれ。
予選では安藤満プロが2連勝を決め、早々に決勝進出の当確ランプを点していました。第1回・第2回とも決勝進出した安藤プロ。関係者は「三度目の正直なるか」と思っていたそうです。また、雀鬼会・佐々木さんは2回戦を終えたところで2着2回で+14.8という成績。だが、3回戦で役満を炸裂させます。
放銃したのは漫画家の西原理恵子さん。が、佐々木さんの捨て牌をみると3巡目に、5巡目になどがあり、とても国士には見えません。西原さんにとってはまさに不運な放銃だったのです。佐々木さんはこのとき102ポイントの大トップとなり、一気に決勝進出圏内に突入しました。
予選4回戦、佐々木さんは小島武夫プロ、井出洋介プロ、金子正輝プロと対戦。いきなり小島プロの11600へ飛び込み、東ラスの親を迎えた時点では6800点持ちのラス目に立たされていました。が、佐々木さんはここから盛り返し、トップで対局を終えます。もちろん決勝進出確定です。残る1人は灘麻太郎プロでした。灘プロも第1回に続いての決勝進出です。ここに伊藤優孝最強位が加わり、半荘2回戦の決勝戦がスタートしました。
先行したのは安藤プロ。タンピン三色の11600を灘プロからアガり、さらにラス前にも灘プロから満貫をアガりダントツでオーラスになりました。そのオーラス、親は佐々木さんです。その牌譜がこちら。
雀鬼流ですから、第一打字牌を切らない→切り、さらにホンイツ狙いというのはよく分かります。ただ、このとき佐々木さんは2巡目に出たや6巡目に出たにも動いてません。というか、そもそもよりを先に捨てているんですね。このときの形が、
ですから、ホンイツと国士の両天秤をかけていたのかもしれません。逆に、これは「何が何でも連荘」ということではないのですね。ラス親で2番手というと、とにかく連荘あるのみ、ということでテンパイしづらい手役を追わない(動ける形に構える)ものですが、佐々木さんのスタイルはそうではなかったのでしょう。
このときの観戦記を書かれた南波捲さんは
「『何か』を感じて自重しているのだろう。そういえば佐々木は前半二回戦はいずれも二着、後半に爆発した。予選四回戦でもジリ貧の前半を耐えて、後半に巻き返した。これが佐々木の型なのか…、そう感じさせる『いかなさ』だ」
と評していた。
結果、安藤プロが一通で逃げ切り、一回戦をトップで終了。だが、この後、決勝二回戦に入ってから佐々木さんの猛反撃が始まったのです。
(第7回 了)