校舎から出てくるS君めがけて、美術室の窓から石膏像を投げ落とした。
 小学生の身体ではまともに持ち上げられるものではないので、押し出すようにして落とした。
 ごりごりと窓の桟をこすりながら、重力によってゆっくりと地面に引っ張られていった。
 完全に落ちきる前に目をそらし、背中でS君と石膏像がぶつかる音を聴いた。
 短い声と、鈍い音の後に、石膏像が割れる音がした。
 
 ランドセルを背負って足早に美術室を出た。
 心臓がどんどんと、鍵のかかったドアを叩くように鳴る。
 「わたしがやりました!」
 「わたしがやりました!」
 と心臓が言っていた。
 「わたしがS君を殺しました!」
 「わたしがS君を殺しました!」
 感覚が心臓にすべて集められたように、胸の鼓動以外何も感じることが出来なかった。
 
 誰もいない廊下を歩き、誰もいない階段を下り、誰もいない廊下を再び歩く。
 すぐに逃げたかったが、途中でトイレに入った。
 鏡を見ると、顔色は蝋燭のように白く色を失っていた。
 唇は小刻みに震えていて、足は気を抜くと骨を抜かれたように折れてしまいそうだった。
 手が勝手に蛇口をひねる。
 ひねられた分だけ水が流れ始めた。
 無意識のうちに水を手ですくい、舐めた。
 夕暮れのトイレには光が少なく、誰かの瞼の裏側にいる気分になった。
 
 誰にも見られてはいけない。
 不自然な動作をしてはいけない。
 何事もなかったように、学校を出て、夕食を食べて、風呂に入って、明日の準備をして寝る。
 宿題は多分やらない。
 
 トイレのドアを少しだけ開けて、誰もいないことを確認する。
 静かにドアを開けて、下駄箱に向かって歩き出す。
 距離は50メートルくらいだろうか。
 30メートルくらいかもしれない。
 室内だと距離の感覚というものが曖昧になる。
 
 一歩か二歩歩いた所で、耐えられずに走り出した。
 がっちゃがっちゃと中身の少ないランドセルの音が鳴り響く。
 筆箱がうるさいのだ。
 何秒か走った後に、下駄箱に辿り着き、身を隠した。
 自分の靴を履き替えると、少し安心した。
 他の靴箱を見てみると、生徒はほぼ帰っているようだった。
 
 時間は四時か、五時か、六時。
 夏の夕暮れはいつも同じ色をしていて、時間を判別するのに不便だ。
 
 心臓はいつの間にか静まっていた。
 いつも通る通学路を、いつもの足取りで帰る。
 
 家に着き、母親と夕食を食べる。
 母親の前で、再び心臓が鳴りだした。
 「わたしは今日人を殺しました!」
 「わたしは今日人を殺しました!」
 どうしたの、と母親は言う。
 おなかが痛い、と返した。
 半分だけ食べたコロッケを残して、寝ることになった。
 
 明日まだ悪かったら、午前中に病院に行こう、と言われた。
 うん、と返した。
 
 布団の中で小さくなり、心臓の叫びを聴いていた。
 耳を塞いでも内側から鳴る声には意味がない。
 
 「もう終わりだ!取り返しがつかない!」
 「もう終わりだ!取り返しがつかない!」
 「取り返しがつかない!取り返しがつかない!」
 「取り返しがつかない!取り返しがつかない!」
 
 布団の中で涙を流した。
 ぐうう、と声を低く出して泣いた。
 泣いて、眠った。
 
 朝が来た。
 目を開けると母親が心配そうに見ている。
 母親の後ろには警察の格好をした二人の警察がいた。
 バレたのだ。
 母親が下がり、一人の警察が顔を近づけてくる。
 自分が何をやったかわかるか?と警察が訊く。
 はい、と返した。
 母親は顔を押さえて泣き始めた。
 何人も見てるんだ、と警察は続けた。
 何も返さなかった。
 
 もう一人の警察が机の抽き出しを開け、何かを乱暴に物色し始めた。
 何をするんだ!と、言いたかったが、その気力はなかった。
 一つずつ抽き出しの中身を確認していると、最後の抽き出しで手が止まった。
 ありました、と言った。
 見たこともない拳銃が出て来た。
 これでやったのか?と、警察は訊いた。
 知らない、と返した。
 何人も、君が拳銃でS君を撃ったところを見てるんだ、と警察は続けた。
 知らない、と首を横に振った。
 涙が流れた。
 しかし、話は聴いてもらえなかった。


   * * *

脱皮しています。

●「マルス」 オガサワラユウ(リアルテキスト塾4期生)