晩年の大塚ギチくんと俺との事実に基づく関わり合いと、俺個人の主観記事を10回にわたり書いてきた「大塚ギチ戦記」の補足というか、書き終わった今の思いを最後に記す。


 本編でも書いたが、大塚ギチという人間は、本質的には気が小さくて優しくて、少年のように心がピュアだった。誰からも嫌われたくないし、嫌いたくない。いつもそんなことを考えているような発言をしていたし、病気や災害で不幸な状況に見舞われている人がいれば、自分のことのように感情移入し、思いつめ、周りに憚らず涙を流す……そういう人間だった。

 その反面、酒を飲むとギチくんは本来の姿と真逆な、無頼な発言や行動を起こしてしまう。ピュアで優しすぎるゆえ、自分に足りない強い部分を酒の力で補ったり、憧れていた人物像を再現してしまったんじゃないかと思う。
 
 問題なのは、ギチくんは本来の姿と酔っている姿、両方を知る人物やコミュニティに対し、どうしても生じる「矛盾」にストレスを抱えていた。彼は矛盾した姿を知る人間に対し、警戒心からか時に冷たくあしらったり、凶弾するような態度をとるときがあった。コミュニケーション障害だといったらそれまでだが、彼はそうやってずっと生きてきてしまった。ある程度ギチくんの性格を理解・許容している俺みたいな特殊な人間ならいざ知らず、普通の人なら「こいつ距離感がおかしい!」と疎遠になってしまう人のほうが多かったんじゃないかなと思う。

 俺はギチくんの気が小さくて優しいところが今でも大好きだ。晩年のギチくんは常に酔っ払って自分の愚痴や環境の不幸話ばっかりしていたけれど、本来の彼は違う。知り合うキッカケになったドラマ『ノーコンキッド』の撮影が終了した2012年末。知り合ったばかりのギチくんが酒の席で語った。

 「俺は東日本大震災をキッカケにアーケードゲームの世界に戻って来たんだ。生きている俺たちが頑張らないと」

 俺はその言葉が忘れられないし、今でも俺の仕事におけるマインドに影響を与え続けている。

 考えてもみてくれ。震災で子供を亡くした親、または両親を亡くした少年・少女たちは、きっといまでも歯を食いしばり、涙をこらえて現実と闘っているのだ。

 俺だって負けていられない。今でも辛い時はギチくんの言葉を思い出して力を振り絞る。俺のマインドに影響を与えた大塚ギチという人間を今でも愛し、尊敬し、本当に感謝している。ここ数年のゲーセンミカド躍進の立役者は間違いなく大塚ギチくんだ。

 今、改めて哀悼の意を表す。これが最後だ。

 ギチくん、本当にありがとう。