「ありがとう」はもともと「有り難い」です。つまり滅多にないこと。そうなると、反対語は「当たり前」でしょうか。自分の身に起きることが偶然か必然か、は別としても、それが起こる確率を考えると、どんなことも「有り難い」感じがします。と同時に、大きな自然の流れの中ではすべてが「当たり前」なのかもしれないなあとも思います。
さて、何年か前に「ありがとうを言わない」練習をしたことがあります。「ありがとう」はいい言葉、感謝が大事、だから「ありがとう」をできるだけ言おう! というような風潮もあるような中、時代に逆行しているかもしれませんね。でも、1週間のその練習は私にとって、とても意味あのあるものでした。
「ありがとう」を言わないようにすることで気づいたことは、「ありがとう」なんて本当は思ってもいないのに、「ありがとう」と言っているということでした。とりあえず言っていたり、無意識にただ口から出てきていたり。相手をコントロールするために言っていることもありました。たとえば、何かをしてもらってうれしい、そしてまた同じようにしてほしい。そんな思いからの「ありがとう」。
日常的に使う言葉を言わないように意識することで、言葉を発する前にひと呼吸おくことになります。それは、自分がなにを思っているのか、言葉を通して自分は何を表現したいのかにつながる時間になりました。
なにかを言うとき、するとき、それは自分のどんなところから出てきているのでしょう? ほんとうにそれが言いたくて、したくて、しているのしょうか? あまり心地よくはないのに、なんとなく習慣で、あるいは、すべきだから、という理由で言ったり行ったりして、いないでしょうか? もしそうだとしたら、そうすることでどんなことを得て、どんなことを失っているでしょうか?
言葉として出す前に、何かをする前に、まず自分のなかで「今」何が起きているのかを見てみる。今すぐできるマインドフルネスの練習です。
今日の一枚:
猫は自分がしたいことしかしない達人のように見えます。何かをする前に自分の中で起きていることを鑑みているかどうかは分かりませんが......。
>>明日の後編に続く
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