目の前にあるものを舌で味わっているはずが、実のところ思考で食べているということはよく起きます。

以前仲間内で、暗闇で食事をしてみるという試みをしたことがありました。そのときにお茶として出されたものが、実はお茶の葉を入れ忘れていて白湯だったのですが、その場にいた人たちが白湯であると気づくまでにはかなりの時間がかかりました。お茶だと思い込んで飲んでいると、実のところ白湯であってもお茶として味わってしまうのです。

あるいは、たとえばこのプリンはAのものよりなめらかだ、とか甘いとか、コクがあるとか、過去に食べた同じようなものと比べてどうかという判断に忙しくて、そのもの自体を味わっていないとか。

対人関係においても同じです。自分で作り上げたその人像にとらわれて、目の前のその人自身を見ていないことは多々起きるでしょう。あの人はやさしい、賢い、時間にルーズだ......。過去のその人に対して自分で作ったフィルター越しに相手を見てしまう。あるいは、誰かと比べてAちゃんは彼からこんなプレゼントをもらってるのに、私の彼は全然そんなことしてくれない、とか、同じクラスのB君はテストで100点をとるのに、うちの息子はぜんぜんだめ、とか。

思考は常に働き続けています。それを止めることはできません。でも、そのことに気づいていることならできます。マインドフルネスの練習(=今この瞬間にいる練習)とはまさにこれで、気づいている、ということです。マインドは常に何かをしたがります。思考を止めようとか感情をどうにかしようとか。なにかをどうにかしよう、そう思った瞬間にマインドにとりこまれてしまいます。そのまま、あるがままをただ見つめる。どうにかしようとしない。マインドにとっては苦行のようなものですが、実はそこにこそ安らぎや安定感があるのです。

今日の1枚:

よく例えられるのは、本当の自分とは青空のようなもの。心は雲。雲の中にいては青空に存在に気づけません。マインドフルネス、今この瞬間にいる練習は、自分が青空だと知るプロセスです。

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