栃木県那須に住む両親が、今年の秋から沖縄に移住することになり、大分に住む妹家族と7年ぶりの帰郷を計画した。まずは那覇から福岡に飛び、妹家族と合流。そこからレンタカーを借りて島根経由で那須まで行く、という日本縦断旅行である。

「お盆期間中はエアーチケットが高いし、久しぶりに会う妹家族とやいのやいの言いながらの旅も面白いんじゃない?」言い出しっぺの私は、かなり軽ーい気持ちで「車」という移動手段をとった。

当日、まずは再開を祝して中津の炉端焼きのお店で夕飯を食べようということになり入店。ここが、めっぽうな名店(リーズナブルなでありながら)で、暖簾をくぐると「いらっしゃっ!」の、「しゃっ!」の部分がやけにキレのいいおじさんふたりが切り盛りなさっている。年季の入ったカウンターには、今か今かと焼かれるのを待つ魚介たちがずらりと並び、内地ならではの魚の種類に胸が張り裂けそう。「ドライバーさん、ごめん」と言いながら、生ビールで乾杯したら、すでにかなりの達成感。「いやいや、いくらなんでも早過ぎるだろう」と自分を制し、これから始まる長旅の無事を祈りながら鯵を食べた。

食後、近くの温泉でひとっ風呂浴びてさっぱりしてから、いざ出発。そのとき、時計の針は深夜11時。こういう時間から何かが始まるなんて、記憶を辿っても思い出せないくらい久し振り。もちろん子どもたちも寝る気ナシで、後部座席で興奮している。ちなみに借りた車はノア。

まずは予定通りうちの夫がハンドルを任せられた。彼はこの日のために、「夜に弱い」という自分のマインドに働きかけて、「いける、いける」とイメージ戦略を重ねてきた。なんと涙ぐましいことよ。ちなみにわたしは生まれたからずっと夜型人間(たぶん)なので、そんな彼の眠気覚ましに一役買ってやろうと待機。そうしたら、妹夫妻もそういう心持ちだったらしく、結局大人たちは真夜中のおしゃべりに興じた。でもやはり、ひとり、ふたりと眠気に負ける脱落者たち......。

今回、島根経由にしたのは、出雲の牧場に長期ステイしているうちの子ふたりを迎えにいくためだった。24日振りに会う子どもたち。いったいどんな顔を見せてくれるんだろう。

さて、わたしたちが眠っている間に、夫と義理の弟は、なかば朦朧としながら出雲近辺の一般道をさまよっていたなどつゆ知らず。後日談によると、「あのとき、Kくんが『こっちじゃない』といいはるから、仕方ないなぁってそれに従って進んだら、なんと「西条」に着いちゃったんだよ」と。西条とは広島県東部にある街。そこは夫の母が幼い頃に疎開していたことがあり、よく話題にのぼったという。ちょうど終戦記念日直後だったので、「もしかして、ご先祖さまが連れてきてくれたのかも」と夫は言った。明け方、まだほの暗い川に向かってペコリと頭を下げ、踵を返すように(実際、道を間違っていたから)元の道に戻ったノア号。

朝日がじんわりと登る頃、ようやく「さくらおろち牧場」に着いた。

さぞかし感動の親子再会劇になるだろうとハンカチを握りしめてスタンバっていたわたしであった。あったのだが、いや、それでもまだ娘はよかった。

「おかーさーん」とパタパタと駆け寄ってきて、ぎゅー。よしよし予定通り。お次はルビコン川をとうに越えただろう10歳の息子のリアクションである。

「ヤッホ」と、右手をシャッとあげ、ニヤッと笑い、以上。え?あまりにも淡すぎる。で、母自らハグしに行ったのだけど、彼は「ふわっ」と軽く触れて、さっさと朝の餌やりの仕事に行ってしまった。馬小屋の窓に飛び込むように身体を入れて、餌である草を確実に決まったポジションに落とす動作。おお、ずいぶんと慣れている。

わたしの内側が「寂しい?はい、予想していたけれど確実に親離れしております。」と報告する。とはいえ未練がましくも、息子に「家に帰りたくなった?」と、じめっとした湿度ある質問をしたら、「ううん。ぜんぜん」との返事。でも、わたしは知っている。これがまっとうなことを。だって、わたしもかつて通ってきた道だもの。

これでノア号に乗り込む全員が揃った。島根から那須まで、まだまだ道のりは長い。
(つづく)



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