1917年11月11日、ハワイ王国8代目にして最後の女王リリウオカラニは、79歳で波乱に満ちた生涯を終えました。今年2017年は没後100年。ハワイ各地で記念イベントなどが予定されています。 ハワイに人生を捧げた女王

リリウオカラニ女王は、文化・芸術に精通し、ハワイの市民のために人生を捧げた人物としていまでも崇敬されています。昨年は「ハワイマガジン」の「ハワイ史上最も影響力のあった女性TOP14人」にも選出されました。

ハワイ王国が存在したのは1795年から1893年のわずか98年間。リリウオカラニ女王は、ハワイ王国史上ただひとりの女帝でもあります。リリウオカラニ女王の名前は知らなくても「アロハ・オエ」のメロディは聞き覚えがあるはず。リリウオカラニ女王は、世界中で愛されているこの名曲の作詞作曲者でもあるのです。

音楽の才能に恵まれていた女王は、「アロハ・オエ」だけでなく150曲以上の曲を残しています。ハワイの音楽の保存にも努め、ハワイの伝統曲も多数採譜し、英語の翻訳も残しました。文字を持たなかったハワイでは、音楽にその歴史や文化が編み込まれていたので、音楽を保存することで文化の消失を防ぐという意味もあったのです。同様に、ハワイの創世神話であるチャント「クムリポ」の英訳も行いました。

いまも継がれる女王の意思

文化や芸術に通じ、聡明なリリウオカラニ女王ですが、その治世は最初から苦難に満ちていました。王位についた1891年、白人勢力の拡大によってハワイ王国はすでに崩壊寸前だったのです。

女王は王国復興に尽力しましたが、1893年1月、アメリカ系企業家勢力によるクーデターが発生。捕らえられた女王は更なる流血の事態を防ぐため女王廃位の署名をし、ハワイ王国は滅亡しました

廃位の後もリリウオカラニはハワイ市民の権利のために尽くしました。死後、遺言によってすべての財産が寄贈され、貧しく身寄りのない子どもたちのためにリリウオカラニ財団を設立。いまでも財団はその意思を受け継いで活動しています。そんな女王の名にちなんで名付けられた施設も多くあります。

<リリウオカラニ女王にちなんで名づけられた施設>

リリウオカラニ植物園(オアフ島ホノルル)

リリウオカラニ公園(ハワイ島ヒロ)

リリウオカラニ・アヴェニュー(オアフ島ワイキキ東部)

クイーン・リリウオカラニ・フリーウェイ(通称H1:オアフ島)

ちなみに、フラ・カヒコ(古典フラ)の代表曲「リリウエ」は、リリウオカラニ女王を讃えたもの。フラ初心者が最初に練習する曲のひとつとして愛されています。

リリウオカラニ財団

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