家族にたいして、パートナーにたいして、自分は本当に相手を愛しているのだろうか、本当に愛されているのだろうかと、ふと不安になることってあります。 よしもとばななさんの小説の一節に愛を見る

ケンカをしたり、すれ違ったりすると、お互いの関係につい疑問を抱いてしまう。そんなときにぜひ読みたい文章があります。それは、よしもとばななさんの著書『みずうみ』からの、こんな一節です。

小さいとき、夜中にうっすらと目を開けるといつでも、ママがむきだしになった私のおへそをぽんぽんと優しくたたきながら、パジャマを直して、ふとんをかけてくれる光景を見たものだった。
「愛されているってこういうことだな、『この人に触っていたい、優しくしたい』そう思ってもらうことなんだ」と私は体でおぼえている、だから偽ものの愛には体が反応しないように、きちんとできている。そういうのが「育てられた」っていうことなのだろう。

(ここまで『みずうみ』P18より引用)

お布団をかけてもらったり、頭をなでてもらったことがある。それは、愛されていた証拠。つまり、じつはそんな頃からすでに愛を知っていたということです。

触れたい、優しくしたいという想いが愛

男性のなかには、責任を果たすことが愛だという人もいます。女性のなかには、自分だけを見つめてくれるのが愛だという人もいます。ドイツの哲学者エーリヒ・フロムは「愛は技術である」と言います。

愛の定義はひとそれぞれ。だからこそ深く考えれば考えるほど、愛とはなにかがわからなくなるものです。

難しい話はさておいて、もっと身近でシンプルな答えがほしくなったとき、「触れたい、優しくしたい」という想いの有無が、あいまいな「愛」をはかるための答えになりそうです。

[『みずうみ』]

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