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つまらない仕事を押し付けられたり、家に帰ったら家事が待っていたりして、「どうして私は雑用ばっかりやっているのだろう」とイライラすることも。
雑にするから「雑用」になる
『置かれた場所で咲きなさい』がベストセラーにもなった、ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんにいわせれば、
この世に"雑用"という名の用はない。用を雑にした時に生まれる。
(『面倒だから、しよう』P.55より引用)
とのこと。たしかに、つまらないと思うから物事がますますつまらなくなっていくのはわかるように思います。
時間の使い方は、命の使い方とはいえ、渡辺さん自身も修練院時代に黙々と仕事をこなしていたことがあるそう。あるとき、食卓のお皿を並べていたときのこと。修練長から「時間の使い方は、そのまま命の使い方なのですよ。」と諭されます。それ以来、愛と祈りをこめてならべることにしたのだとか。
私が「お幸せに」と祈りながら皿並べをしたから、夕食で座ったシスターが幸せになったかどうかは、わかりません。わからなくていいのです。これは私の時間の使い方、私の人生の問題だからです。
(『面倒だから、しよう』P.53)
でも、たったひとつ変わったことがあるといいます。それは、自分の顔から仏頂面が消えたこと。
人生は、日々の仕事や暮らしの積みかさね。雑用ばかりと思って過ごすのは、人生を雑に扱っているのと同じことなのかもしれません。それ思うと、1日1日、それどころか目のまえの一瞬でさえ大切にしようと思えてきます。
Romantic girl via Shutterstock
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