「美しくなりたい。美しくありたい」。それは世の女性の普遍的な願いです。若い頃は見た目から美しくなろうと、メイクに洋服にセンスを磨く努力をしてきたけれど、年を重ねたいまは、「人として美しい生き方」に憧れます。 ものを丁寧に扱う人は、美しい

美しい生き方を身につけるにはどのようにすればいいのでしょうか? そのヒントは曹洞宗の僧であり臨床心理士でもある吉村昇洋さんの著書『心が疲れたらお粥を食べなさい。 豊かに食べ、丁寧に生きる禅の教え』に書かれていました。

美しい生き方=丁寧に行動する=とらわれから解放された状態

(『心が疲れたらお粥を食べなさい。 豊かに食べ、丁寧に生きる禅の教えP203より)

逆に、美しくない生き方とは、とらわれにまみれた状態ということになります。

丁寧に行動するというのは、たとえば「両手でものを扱う」という意識にもあらわれます。食器であれば、両手で器をもつという姿勢は、片手で器を持ち、もう片方の手で別の器の料理を箸でつつくなど、ほかに気がいくといったとらわれがない状態です。逆に迷い箸は「あれもこれも」という心のあらわれであり、美しさからかけ離れた行為だと言えます。

とらわれさえも丁寧に扱う

またストレスを感じたときには、ヤケ食いのように新たな刺激を身体に入れたくなりますが、それもまた美しくない行為です。著書によると美しいストレスへの対応のしかたは、ストレスに感じていることに対して考えるのをやめ、身体がどんな風に感じているのかを注意深く観察するのだとか。すると、こうなるのだそうです。

そういった感覚を、しっかりそのまま丁寧に味わうことで、刺激の連鎖は断ち切られ、抱えていたとらわれから解放されます。

(『心が疲れたらお粥を食べなさい。 豊かに食べ、丁寧に生きる禅の教え』P205より)

こうしたことは、臨床心理学の世界でも言われているそうです。ものを両手で丁寧に扱うだけでなく、心やとらわれさえも丁寧に扱う。それが人としての美しい生き方だと言えそうです。

[『心が疲れたらお粥を食べなさい。 豊かに食べ、丁寧に生きる禅の教え』]

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