片想いをあきらめる、夢をあきらめるなど、あきらめなければいけない場面はたくさんあります。なのにいつまでたっても引きずってしまうときは、そのあきらめ方に問題があるのかもしれません。 「あきらめる」とは、放棄することではない

宇宙物理学者である佐治晴夫さんの著書『からだは星からできている』では、「あきらめる」ことについてこのように書かれています。

「あきらめる」とは、決して、ものごとがうまくいかないからといって途中で放棄する、ということではありません。必要でないことを「明らかにする」ということなのです。投げやりになって、やめるということではありません。

(『からだは星からできている』P184より引用)

「途中で放棄する」わけではなかったとは目からウロコの捉え方ですが、では具体的に「明らかにする」とは、どういうことなのでしょうか。

明らかにすれば、理解できる

本書ではその意味をブッダの逸話にあわせて紹介しています。子どもを亡くした親が子を生き返らせてほしいとブッダに頼んだところ、ひとりの死者も出していない家を見つけたら生き返らせると告げられます。しかしいくら探しても死者の出ない家はないと知り、その親は子どもの死を受け入れたというお話です。これも死者の出ない家はないということが明らかになったことで、死を受け入れることができたということなのかもしれません。

ウィリアム・シェイクスピアの悲劇『ハムレット』でも「To be, or not to be」という有名なセリフが出てきます。これは「生きるべきか死ぬべきか」と訳されることが多いくらいに生死をかけた深い悩みだったのですが、それさえも自分と向き合うことで明らかになってゆき「Let be」という天にゆだねる境地に至ったと解釈ができます。

引きずっていることがあるなら、途中で放棄しようとがんばるのではなく、その事柄について自分のなかで執着する必要があるのかどうか「明らかに」なるまで考えてみると、案外スッキリできそうです。

[からだは星からできている]

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