人間のダメな部分がぽろっと出たところを拾いあげ、毒舌でまとめあげたエッセイ、徒然草。そこには、読むだけで心のコリや毒素が流れだすデトックス効果のある章がいくつもあります。 他人のミミッチい怒りはスルー

雪が降った日に用事があってメールしたんだけど、急いでたから雪のことを書かなかったんだよね。

そしたらさ「この雪についてひと言の挨拶もない君ってどうなの? 君みたいな非常識なひとの言うことなんて、もう聞いてあげらんないな」って返信がきたんだけど......

こんな小さなことで怒る人のことはさ、おもしろがっとけばいいよね。

(『徒然草』第31段を意訳)

小さなことをあげつらって相手を攻撃する人、身近にいます。ご近所だったり、親族だったり。でもそんな人の言葉にいちいち反応しても仕方がない、「こんな怒り方する人、いるんだ!」と笑い飛ばせばいいのです。

ポイントは(ミミッチい怒りだな)と心のなかで毒を吐くこと

本当にスゴい人は目立たない

とはいえ、相手がスゴイ奴だったら、こんな毒を吐くこともできません。スゴイ才能や、智慧のある人がいたら、羨んだり自分を蔑んだりしてしまいがち。ところが徒然草はこんなふうに書いています。

才能なんて、人間のボンノー(煩悩)の蓄積でしょ?

智慧だって、だれかの言ったことのまとめでしょ?

老子も言ってるけどさ、なにかに際立っているひとに憧れて気持ちが揺れるのって、くだらないよ。

本当にスゴイひとは、目立たないものだからさ。

(『徒然草』第38段を意訳)

才能なんか煩悩の集まりだ! 憧れるなんてバカバカしい!とバッサリ

「才能なんてなくたって、普通でいいんだよ」と優しく諭されるより、ずっとスッキリした気持ちになれる徒然草の毒舌、なかなか強力な作用があるようです。

『徒然草』原文

【第三十一段】

 雪の面白う降りたりし朝、人の許(がり)いふべき事ありて文をやるとて、雪のことは何ともいはざりし返事に、「この雪いかゞ見ると、一筆のたまはせぬ程の、ひがひがしからん(=ひがんでいる)人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは、かへすがえす口惜しき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。

 今は亡き人なれば、かばかりの事も忘れがたし。

【第三十八段】

 名利に使はれて、靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。

 財(たから)多ければ身を守るにまどし。害を買ひ、煩ひを招く媒(なかだち)なり。身の後には金(こがね)をして北斗を支ふとも、人の爲にぞ煩はるべき。愚かなる人の目を喜ばしむる樂しび、又あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人はうたて愚かなりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵になぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。

 埋もれぬ名をながき世に殘さむこそ、あらまほしかるべけれ。位高く、やんごとなきをしも、勝れたる人とやはいふべき。愚かに拙き人も、家に生れ時にあへば、高き位にのぼり、驕りを極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから卑しき位にをり、時に遇はずして止(や)みぬる、また多し。偏に高き官・位(つかさ・くらゐ)を望むも、次に愚かなり。

 智惠と心とこそ、世に勝れたる譽(ほまれ)も殘さまほしきを、つらつら思へば、譽を愛するは人の聞きを喜ぶなり。譽むる人、譏(そし)る人、共に世に留まらず、傳へ聞かん人またまた速かに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られんことを願はん。譽はまた毀(そしり)の本(もと)なり。身の後の名、殘りて更に益なし。これを願ふも次に愚かなり。

 たゞし、強ひて智をもとめ、賢をねがふ人の爲に言はば、智惠出でては僞(いつはり)あり。才能は煩惱の増長せるなり。傳へて聞き、學びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智といふべき。可・不可は一條なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か傳へむ。これ、徳をかくし、愚を守るにあらず。もとより賢愚・得失のさかひに居らざればなり。

 迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。萬事はみな非なり。いふに足らず、願ふに足らず。

(『改定 徒然草』より引用)

[改定 徒然草]

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