ある合言葉が、いま世界中にひろまっています。
世界に衝撃を与えた、パリの週刊誌「シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)」社を狙った銃撃事件。フランス国民から親しまれてきたジャーナリストらが犠牲になったことで、そのショックは一層大きなものとなりました。
事件から間もなく、その日の夜には、10万人以上がフランス全国各地に集い、追悼集会を行いました。そこでかかげられたのがこのフレーズです。
「Je suis Charlie」(私は、シャルリー)。
これは、事件後すぐに「シャルリー・エブド」のホームページに掲載されたフレーズです。フランス人はこの言葉を追悼集会で各々に掲げ、 ペンで戦った「シャルリー・エブド」紙とその風刺画家、ジャーナリストを追悼しました。また同時に、表現の自由が銃によって奪われたことへの問題意識をも象徴しているのです。
©#JeSuisCharlie/ロンドンにて
©#JeSuisCharlie/フランスの新聞社「Libération」では、翌日の発行紙で「わたしたちは皆、シャルリー」という表紙をつけ、「シャルリー・エブド」紙へオマージュを捧げました。
©#JeSuisCharlie
©#JeSuisCharlie
©#JeSuisCharlie
©#JeSuisCharlie/フランスのジャン=ポール・ゴルチエ
「Je suis Charlie」は、各国語に訳され、ニューヨーク、ロンドン、ドイツ、ベルギーをはじめ、世界各国へと広がっていきました。ロンドンのトラファルガー広場では、ジャーナリスト達がペンを掲げ、追悼式を行ないました。
その光景は、世界中のジャーナリストが「テロを恐れ、表現の自由を奪われる」ことがないようにという、強い意志を感じさせるものでした。また、フランスのフィガロ紙やル・モンド紙のジャーナリスト達が、「Je suis Charlie」の紙を掲げて集合写真を撮っている様子も、インターネット上で公開されています。
怒りと悲しみだけではなく。自由を求める精神も「Je suis Charlie」という言葉をフランス人が掲げる背景には、追悼の意に加え、表現の「自由」を奪われたことへの憤りも含まれています。
フランス革命以来、この国を支えてきた標語「自由(Libérté)、平等(Égalité)、友愛(Fraternité)」の3つの言葉のうち、表現の「自由」を脅かされたことへの悔しさと悲しみ、危機感が、フランス全土に波紋をひろげているのです。
命を奪われた「シャルリー・エブド」誌の4人の著名な風刺画家達は、フランス社会やメディアのあり方を啓発し続けてきた貴重な存在でした。今回、彼らが犠牲になったことで、フランス人はこの国が大切にしている「自由」の精神が脅かされたことへの、やるせなさと悲しみ、憤りをも感じているのです。
フランスの小学校では、犠牲者への追悼の念を込め、「表現の自由」と書いた黒板に、子ども達の絵を貼り、新聞社に写真を送っているところもありました。子どもたちの絵の中にすら、「Je suis Charlie」という言葉が見うけられ、教育の現場ですら、この事件と表現の自由の大切さが語られた様子が伺えます。
「Je suis Charlie」という言葉は、表現の自由を大切にするフランス人の精神のあらわれ。この言葉が広がることでテロや暴力に対する意識を高めるムーブメントにもつながっていくはずです。
(2015.01.08 パリにて)