「この手袋で意中の人に触れると、あなたに好意を示しているかどうかがわかります」
なんとも変な夢だった。
でもどこかリアルで、不気味で、信じたくなる内容だった。そして驚くことに、翌朝、目が覚めると、わたしは、夢で見た手袋をしっかりと握りしめていた。
――そんなことがあったとする。この世界に、ひとつだけ恋を手助けする未来のテクノロジーが存在したとする。それをあなたが手にしたら、どんな恋をするだろう。
この連載では、ライター・カツセマサヒコが、ひたすらありもしない「もしも」を考えていく。
Chapter 1 どうせなら、彼を夢中にさせる道具がほしかった身支度をしながら、わたしは、腹を立てた。
仮にこの手袋が未来で作られたものだとして、「相手が自分を好きかどうかわかる」って、なんだその中途半端な技術は。
どうせなら「好きな相手が、私に夢中になってくれる道具」ぐらい作ってほしかった。あの人がいまのわたしをどう思っているかなんて、たいして知りたくもない。むしろ、知るのが怖い。
憤りながら、賞味期限がギリギリだったトーストを食べ、歯を磨き、先週買ったばかりの、踵が欠けたヒールを眺めていた。するとそのうち、腹を立てていること自体が馬鹿馬鹿しくなった。夢に出てきた道具にさえ、ケチをつけるのも、どうなのだ。
二足歩行するネコは、わたしが起きる寸前に「信じて」と言った。
奇跡なんてどうせ起きやしない。夢で言われたことを信じるなんて、無理があるともわかっている。でもそれは、わかっていて騙されることが許される程度には、可愛いウソだとも思えた。
なにより、長年「付き合いたい」とは思っているものの、何年経っても行動に移せていないわたしからしたら、その道具は藁よりすがりたくなる代物に思えたのだった。
試してみよう。ただ、どうやったら自然に彼に触れることができるのだろう。
せっかくならそこらへんまで教えてくれよと、またあのネコに悪態をつきながら、わたしはマンションの鍵を閉めた。
Chapter 2 恋愛のためにがんばったりなんてしないのに彼は同じ会社で働く先輩で、ふたつ隣の課に所属している。デスクまでのルートはいたってシンプルで、エレベーターで8階まで上がり、フロア入り口にあるタイムカードを通したら、真っ直ぐ席に向かう。
手袋をつけた状態で彼に触れるには、通勤途中もしくはエレベーターからタイムカードを通すまでが勝負となる。彼の歩く姿をイメージして、一番確実な方法を考える。
わたしは、エレベーターホールで彼の出社を待つことにした。
5分、10分、15分待ったころ、彼は足早に現れる。始業ギリギリに到着するのが彼の行動パターンだと熟知していたが、「今日に限って早く出社するのではないか」と早めにエレベーターホールに立ってみた。しかし、それもいらぬ心配だったと安堵する。
「おはよ」
「おはようございます」
まるでいま出社したかのように演技すると、ふたつ上の彼と並ぶ。
18センチ(以前、仲のよい同僚から聞きだした彼の身長から逆算した数値だから、間違いないはずだ)の身長差が、恋人にするなら丁度よいものに思えて、ドアにうっすらと映るふたりのシルエットを見てうれしくなる。
満員のランプが点いたエレベーター内で、彼とほぼ密着した状態となった。
エレベーターが上昇を始める。
2階、3階、4階。
少し長く息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。ここまでは予想どおりだ。あとは、ちょっとしたタイミングで彼に触れればいい。別に抱き合うわけではない。指先が軽く触れるぐらいは、偶然を装える範囲だろう。
5階、6階、7階。
一度、ドアが開く。同僚がわっとエレベーターを降り、密集した状態が崩れていった。
そうか、7階は社員数が多いんだっけ。完璧と思えた作戦に、落ち度が見つかる。慌てたわたしは、降りようとする同僚たちを引き留めようと、足を一歩前に踏み出した。
あれ、こんな必死になって、何をしているんだろう。普段は、恋愛なんかのために、こんなにがんばりはしないのに。
呆れたその瞬間、手に確かな感触があった。
「まだ、7階だよ」
彼の手がわたしを、手袋越しに掴んでいた。
身体に電気が走り、映像にも言語にも音声にもならないかたちで、彼の感情が脳に届く。
わたしがこの部署に配属された日から、わたしのことが気になっていたこと。怒られて自販機の前で落ち込むわたしを見るたび、声をかけようか迷っていたこと。彼氏ができたと知って、悲しんだこと。その後別れたと知って、チャンスだと思ったこと。
でもどのシーンでも、想いを伝えようと思うものの、行動には移せないほどに、わたしに嫌われることを、怖がっていたこと。
彼のなかのわたしに対する想いが、手袋を通して、まさに手に取るように伝わってきた。それは、わたしの頬を紅潮させるには十分過ぎるほどの、情報量と密度だった。
エレベーターは、8階に着き、扉が開く。
彼はそっと手を離して、タイムカードを探す。わたしは手袋を外しながら、彼の背中をじっと眺めた。
「信じて」。
またあのネコの言葉が、脳裏をよぎる。
「信じたよ」私はそう呟くと、ふたつ上の、奥手すぎる男に声をかけた。
―――想いを伝えることって、とても難しいし、緊張するし、失敗したときのことばかり考えてしまう。けど、想いを伝えなければ始まらないものが、仕事だったり、恋だったり、人生だったりするわけで。
厄介なんだけど、もしも未来に「想いを伝えること」を代替してくれる機械ができたら、なんかそれって、きっと人生がつまらなくなるよなあと思う。
だから、想いを伝えるドキドキを忘れずに済むように、こんな中途半端なテクノロジーを考えてみました。
とはいえ、考えたのは僕なんですけど、もしも僕が、好きな人からこんなもので触れられてしまったら、Twitterにも書けないような、とんでもない妄想ばかり伝わってしまう予感がしたので、やっぱり未来は、ある程度不便なままでもいいのかも...?
写真/田所瑞穂(2、5枚目) Shutterstock 文/カツセマサヒコ
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