上を向いて、思いっきり深呼吸したい!(花粉症の人、ごめんね!)
20代前半までは、春の訪れを素直によろこべなかった20代前半までは、四季のなかで春がとても苦手で、春の訪れを素直によろこべなかった。
お花見シーズンになると、決まって坂口安吾の『桜の森の満開の下』って小説を思い出しては、空虚感に浸っていた。
この小説は、圧倒的な孤独が軸にある、残酷で幻想的な物語。なんだかとても寂しいというか、心臓がギュッと締め付けられるような感覚にとらわれる。
でも、美しい桜の森の描写や、繊細な主人公の気持ちなど、色々な情景が思い浮かんで、とても大切にしたいような気分にもなるものなの。
「自分って何者なんだろう?」って思えるということは、何者にもなれるってことそもそも昔から、春になるとセンチメンタルになって、物思いに耽る大人びた小学生だった。
自分のなかに、また別の自分が何人もいて、常にそれぞれを演じているような気がして。いつも「一体自分は何者なんだろう?」って思っていた。
当時はいつももどかしい気持ちでいっぱいだった。でも、いまになって考えてみたら、「何者なんだろう?」って思えるということは、裏を返せば、何者にもなれるってこと。
周りからどう見えようと、どう言われようと、自分で自分を「こういう人間だ」って凝り固まった決めつけを持たないことだよね。
年を重ねることは、生きてきた時間の分だけ素晴らしい経験もしているし、心に残る思い出もいっぱいある。でも、きっと偏った見解とか、余計なものだってたくさん抱えちゃってるはず。
年を重ねていくうちに、両手いっぱいに色々なものを携えて歩んでいる。でも、コップに水がいっぱいだと、これ以上注げないのと同じ。余白がないと、パンパンよね。
だから、色々なことを吸収する余白がある「なにも持ってない」ってとても贅沢なことだって感じてる。何者にでもなれる可能性を持っているから。
悩んだり、不安になったりすることも、こう考えたらパワーになるよね。
いつでもさっと初心に戻れる「気持ちの引き算」が大事SNS時代のいま、光の速さのように流れてくる情報に押されて、自分たちの状況もすごいスピードで変わることがある。
あっという間に自分の環境や立場が変わって、状況の変化についていけなくて、苦しんでいる人、周りに増えているんだよね。人を信じられなくなったり、利用されているじゃないかって被害妄想に捉われたり。
よく相談されるんだけど、その度に思うのは、いつでもさっと初心に戻れる「気持ちの引き算」が大事だってこと。
メイクもファッションも盛りすぎると余裕がなくなる。なんでも、遊びとか、引くことって重要だよね。
臨機応変に、しなやかに変化に対応できる、でも、いつでも原点回帰できる。これが、新しいことを生み出すために必要なことなんじゃないかって思うんだ。
久美ちゃんは、新しいことを考えるときは、何を大切にしてるかな?
こちらも読まれています・出会いの春を迎える前の肌トラブル対策 #sponsored
・ポジティブな朝を迎えるための、夜の新習慣 #sponsored
・素っぽいのに美人。「目と眉の間」が重要でした #sponsored
【参照サイト・画像・動画へのアクセスはこちら】