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私は中学生の時に拒食症になりました。
と言っても、病名が分かったのは病気になってからずいぶん経った後のことです。
私は自分が病気であるという自覚さえありませんでした。
拒食症になる前の私は食欲旺盛で、毎日夕食後もお菓子やパンを食べていました。
そのため体重が増加傾向にあり、160センチ43キロだったのが47キロまで増えていました。
そんな私を見て、父親がふざけて「50キロを超えたら女じゃないよ。」と言ったのです。
そのときは無視していましたが、あとからこの言葉は私を苦しめるようになりました。
また私には妹がいて、その妹は私より背が高く痩せていました。
そのことを自慢されるのもストレスでした。
そして拒食症になった一番のきっかけは、その当時付き合っていた男の子に二股をかけられた挙句にふられたことです。
その男の子の友達には「あいつ、ブスじゃん。」と陰口をたたかれていたこともあり、私は自分の容姿が原因でこんなめにあったのだと思いました。
そこで痩せて、かわいくなってみんなを見返してやる、そう思ったのです。
それからは間食をやめ、夕食を減らし、毎晩体重を図りメモをとりました。
「ちょっと増えていた。夜のリンゴがいけなかったかも。要注意。」などです。
その結果体重が減り、友達にも「痩せたね~。」とよく言われるようになりました。
そこでやめておけばよかったのですが、気をよくした私はさらに痩せたいと思ってしまったのです。
そして夕食だけでなく昼食も、朝食もと食べる量をどんどん減らすようになりました。
母が作ってくれたお弁当もカロリーの高そうな揚げ物やご飯はこっそりビニール袋に移して捨てていました。
そうした日々を送るうちに私の体重は37キロまで減っていました。
心配した両親が私を半ば強引に病院に連れていき、「拒食症」と診断されたのです。
心臓の音も弱まっている、この病気で死ぬ人もいる、と言われて信じられない思いでした。
妹への依存
病院で拒食症と診断されてから、両親は私に食べることを強要するようになりました。
嫌でしたが、太らないと入院させるといわれていたこともあり、私はしぶしぶ食べることを受け入れました。
そうして恐る恐る食べた久しぶりのお肉はすごくジューシーでおいしくて感動してしまいました。
同時に、父親は私の部屋の体重計を壊すことを宣言しました。
私が体重計に支配されているからないほうがいいというのです。私は取り乱しました。
体重計は私の支えであり、優秀なパートナーだったからです。
体重計がなくなってしまった以上、何を参考にどれくらい食べればいいのか全くわかりません。
気づいたらまたすごく太ってしまっているんじゃないか、と思うと怖くてたまりませんでした。
だから私は指針を妹にすることにしました。
スタイルのいい妹の食べる量や種類をまねすればさほど太ることはないだろうと思ったのです。
それから私は妹を観察し、妹がお肉を一口食べたら私も一口、ご飯を一口食べたら私も一口、と真似をするようにしました。
おかげで私は不安を感じることなくおいしい食事を食べる楽しみを享受することができました。
しかしそんな日々が続いたある日から、妹が私を拒絶するようになったのです。
荷物で自分の食事を隠したり、夕食の時間になっても帰ってこないようになりました。
私はまたパニックになりました。妹の真似ができなければ安心して食事をとれないからです。
このままではまた私のほうが太ってしまう、また馬鹿にされてしまう。
そう思った私は、妹を憎むようになりました。
妹を太らせようと、妹の水筒にこっそり砂糖を入れたり、妹のパンにバターを塗ったりしました。
しかしそんなたくらみはすぐにばれてしまい、母親を通して妹が嫌がっているからやめるようにと言われてしまいました。
じゃあどうすればいいのか、妹のほうが私より多く食べないと安心できないのだ、と伝えると母親は妹のほうに多めに盛り付けるようにすることを約束してくれました。
妹も母親が盛る分には文句を言うこともなかったので、再び私は安心して食事をとることができるようになりました。
そしていつしか、妹は私への態度を変えたのです。
進んで食事を食べてくれたり、積極的に話しかけてくれるようになったのです。
その変化に当時の私は驚くばかりでしたが、後に聞いたところでは、母親が私の病気のことを妹に話し、その結果、妹が病気なら仕方ないと私の行動を理解してくれたのだそうです。