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私が人より手に汗をかくと気づいたのは、小学校2年生のときでした。

そのころ習い始めたピアノの鍵盤が汗ですべって、うまく弾けないのです。

私が弾き終わった後の鍵盤には汗でできた水溜まりが点々と残り、それを先生に見られるのがとても嫌でした。

それから、小学校で、プリントを後ろの人に配るとき。私がプリントに触れると、触れた部分が汗でふやけてしまうのです。

みんなにとっては何てことのない作業も、私にとっては緊張の一瞬。

1番困ったのがテストのとき。「机の上の物、鉛筆以外は全部しまいなさい」の声にハンカチを持っておくことができず、手がプリントに触れないように気が気ではありませんでした。

そして忘れもしない5年生の林間学校。よりによって「フォークダンスを踊りましょう」と言われたときには、手を袖に隠してごまかしていました。

手汗について陰口を叩かれた学生時代、さらには脇汗も気になるように……

中学に入ってからも私の手のひらの汗はおさまる気配はなく、相変わらず悩みはなくなりませんでした。

手汗について、陰でこそこそと噂されていることも知っていましたが、いじめられないようにと勉強を頑張り、努めて明るく振る舞いました。

高校に入学しても、手のひらの汗は止まることがありません。ハンカチを握りしめてなんとかやり過ごす日々でした。

ある夏の日の通学途中。立ち寄った駅のトイレで、鏡に映った自分の姿に違和感を感じました。

「あれ? ワキの下、色が違う」……それは汗ジミでした。制汗剤も使っているし、肌着もきちんと着ているのに。恥ずかしさと情けなさ、そして、手のひらだけでなくワキの汗まで気にする日々を思うと、うんざりした気持ちでした。

汗ジミにショックを受けた次の日から、制汗剤に加えて汗ジミ用のパットを着けるようになりました。

通学に1時間半かかる道のり。電車の乗り換え途中に1度パッド取り換えても、学校に着くころにはまったく無意味の状態。

制服のブラウスの色が白でとかったと、心から思いました。

そんな汗の悩みは解決することなく、私は大学生になりました。効果があるという制汗剤はかたっぱしから試してみましたが、どれも私の悩みを解決してはくれませんでした。

洋服を選ぶのも汗をかいても目立たないかどうかが基準。色は黒か白。素材は、とにかく濡れている部分とそうでない部分がはっきりしなさそうなものを選びました。

大学生ともなれば、遊びに使うお金ぐらいは自分でアルバイトをして稼ぎたいものです。

汗を気にせずにすむアルバイトは何だろう?と考えましたが思いつきません。結局「無理なら辞めればいいや!」と白いブラウスにエプロンが制服の喫茶店のウエイトレスをすることにしました。

エプロンのおかげもあって、ワキの汗はあまり目立ちませんでした。

ところが今度は仕事中、顔から汗が噴き出し、止まらなくなってしまったのです。

マスカラが落ち、ファンデーションが崩れます。掌、ワキ、顔……もううんざりでした。そして、母に泣きながら訴えたのです。

「こんな汗、もう嫌だ!」

泣きじゃくる私を見て、母が初めて私の汗について真剣に考えてくれました。

それまでも、母に悩みを打ち明けたことはありましたが、「汗ぐらいでおおげさな」と言われ続けていました。

実は私の母は足が不自由で、「足が動かないなんてわけじゃないんだから」と言われると、返す言葉がありませんでした。

でも、泣きながら訴える私の姿を見て、母がその重大さに気付いてくれました。

そこから、2人で一緒に解決策を探ることに。とりあえず、総合病院で相談してみれば何か解決の糸口が掴めるのではないかと思い、近所の総合病院に行ってみました。

そして、そこで汗を止める手術があることを知ったのです。

汗を止める手術は、「胸部交感神経遮断手術(ETS手術)」。神経を焼き切って汗を止める手術だと説明を受けました。

手術の存在を知って、私は感激しました。せひ受けたいと話すと、大学病院の麻酔科の先生を紹介してもらえました。

そして後日、執刀医である麻酔科の先生に詳しい話を聞くことに。そのとき、場合によっては瞼の下垂がおこること、遮断した神経から下の部分、つまり胸から下の部分で発汗が増える場合があることなどの説明を受けました。

手や顔の汗が止まるのと引き換えに、瞼があがらなくなったらどうしようか……、私はそれでも納得できるだろうか……。

そのときは、瞼のことばかり考えていました。ほかの部位からの発汗はそれほど問題がないと思っていたのです。

すぐに返事をすることはできず、その日は「よく考えてみます」と言い残し、そのまま帰宅しました。

手術を受けて汗の悩みは解決したかと思ったら……

1週間後、私は病院で、手術を希望する旨を伝えました。たとえ瞼がたれ下がってしまったとしても、この汗から逃れられるのなら構わない。

もう迷いはありませんでした。

手術の際、研修医が見学しますと言われた私は、「もっと胸があれば格好つくのに」などとのんきなことを考えていました。

すでに、術後の生活の快適さを思い、期待に胸を高鳴らせていたんです。

手術は日帰り、全身麻酔で行います。時間は10分くらいで、費用はたしか10万円ほどだったと思います。

手術着に着替え、ベッドに横になっていると、看護師さんがやって来ました。

そして「これから痛い注射をするからね」と言うのです。痛い注射というのは麻酔を効きやすくするための筋肉注射のことらしいのですが、何度も「痛いからね」と言われるので私は緊張のあまり気を失ってしまいました。

「大丈夫!?」と慌てる看護師さんの声が遠くに聞こえていました。

その後、筋肉注射を無事に終えた私は手術室に運ばれ、麻酔をかけられた後、手術が行われました。

手術後、意識が戻ると胸の辺りが引きつる感じがし、両胸の上の辺りには火傷のような傷ができていました。

そして手のひら掌の汗は見事に止まっていました。

さっきまであんなにベタベタだった手がサラサラしているのです。これからはピアノも弾けるし書類も持てる!とうれしくてたまりませんでした。

代償性発汗という名の後遺症に悩まされる日々


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