■ 画像付きの提供元で全文を読む ■
子供の頃から私はアレルギー性皮膚炎、いわゆるアトピー持ちでした。
物心ついた頃には定期的な皮膚科通いに加えて、毎朝晩甘ったるい粉薬を飲まされ、寝る前はべたべたの軟膏を塗る日々。
寝汗をかこうものなら軟膏と汗が肌を刺激するのかいっそうかゆくなってたまりませんでした。
かゆみのためによく眠れない日もしばしば。
そういったときは決まって朝は肌がひりひりして目が覚め、寝ているうちに掻きむしって赤くなった自分の肌を見てため息が出ました。
親は「掻いちゃだめ!」と言うのですが、子供にとってかゆみを我慢するというのはとても難しいこと。私のひじ裏、ひざ裏はいつも赤黒く、ときにはかさぶたができ、痛々しい見た目だったと思います。
母の努力
母もそんな私を見かねてか、いろいろな治療法を試みようとしました。
いま考えると皮膚科に私を連れて行って一緒に何時間も待っていただけでも兼業主婦の母には相当な負担だったでしょうに、ビタミン剤を試してみたり、食事療法を試みたり、ときには「埃のせいかもしれない」と掃除に精を出し始めたり……。
その一環で、大好きだったぬいぐるみを捨てることにもなりました。
母はインターネットがない時代ながらも努力していろいろな情報を集めてきたのでしょう。
「ぬいぐるみは埃やダニがたまりやすい」と私が唯一持っているうさぎのぬいぐるみを捨てることをすすめてきました。
幸いそのときの私は10歳。だだをこねるほど子供でもなく、また子供ながらにも自分のアトピーをどうにかしなければとわかっていたので、悲しさはありましたが手放すことにしました。
というのも、アトピーで一番厄介なのは何が原因かわからないところ。
乾燥肌なのか、食べ物が原因なのか、ハウスダストなのか。もしくはその全部、という可能性もあります。
それ故に皮膚科に通っていても原因がわかることはなく、先生も
「ちょっとの間、卵やめてみる?」とか「乾布摩擦してみる?」とか手探りの対処法でした。
「たけのこやめてみる?」
と聞かれたときにたけのこ好きの渋い子供だった私はさすがに
「やだ!」
と言いましたけれど(笑)。
そんな手探りの状態だから母も躍起になっていろんな治療法を試してくれたんだと思います。
なかでも印象に残っているのは「つま楊枝療法」です。
どこで調べてきたのか、爪楊枝を何十本か束ねて輪ゴムで止め剣山のようにし、その尖っている先端でつんつんと患部を刺激して肌を強くするというものでした。
それはさすがに痛いしかゆいしくすぐったいしで、数日でやめてもらいましたが、
「健康に産んであげられなくてごめんね」
といいながら必死になって爪楊枝の束を動かす母の顔は今でもはっきりと覚えています。
アトピー以外はなんの病気もない健康優良児でしたし、アトピーが母のせいだなんて考えたこともなかったので、たぶん即「そんなことないよ!」と返したと思いますが、母にそんな風に謝られるということは滅多にないので少なからずショックでした。
ショックとともに、私は普通じゃないんだ、と思い知らされたようでした。
アトピーが治まった時期
そんなアトピーも中高生になる頃にはころっと治まっていました。
運動部で定期的に体を動かしていたのがよかったのかもしれませんし、多くの皮膚科の先生が言うように「アトピーは大人になれば自然に治る」ものなのかと、そのときは思いました。
ごくまれに、疲れがたまってか寒冷蕁麻疹が脚中に出たことはあったものの、それは一時的なもので数時間すれば収まりましたし、かゆみを我慢することにもさすがに10代後半となると慣れていたので、がむしゃらに掻きむしって痕が残ることもありませんでした。
その頃は「私アトピー持ちなの」と友達に言うと決まって「えー! 見えない!」とか「そんなに肌きれいなのに!」と驚かれつつほめられることがほとんどで、私は却ってアトピーであることを得意げに話すようになりました。
というのも私の肌は色白で、顔にはアトピーも蕁麻疹も出なかったので、話さなければ誰も気づかなかったのです。
皮膚科に通う必要もなくなって、私自身、アトピーはすっかり克服したものだと思っていました。
コメント
コメントを書くおい!それってYO!ノビハザのネタじゃんか!アッアッアッアッ
えのげ