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私が子供の頃から苦手なこと、それは握手でした。

人前に手を出すことは嫌いでした。

手にコンプレックスがあったからです。

幼稚園の頃

記憶がある頃には、すでに私の指先はカサカサしてあかぎれがありました。

アトピーという診断を受けたのは幼稚園の頃。まだアトピーという言葉も知られておらず、誰にいっても「それ、なあに?」と聞き返される頃でした。

幼稚園の目の前に皮膚科の医院があり、定期的に通うようになりました。

その先生はとても勉強熱心な先生で、よく研究をしており、たまごを食べ過ぎないなど食事についても注意をしてくれました。

その頃の症状は主に手に集中していました。指の関節、指先、手のひらなどです。

処方されたのはいわゆるステロイド剤でした。毎晩、寝る前に母が薬を塗ってくれました。

ステロイドの上に白い塗り薬をぬり、さらに薬の効果を高めるため、サランラップをまいてテープや包帯でとめていました。

ただおおげさな見た目に反して、自分ではあまり苦にもならず気にもしていませんでした

まだ小さかったというのもあり、さらにのんきな性格だったということもあるかもしれません。

毎晩、薬を塗ってくれる母の手が温かく優しかったことだけが記憶に残っています。

小学生になって

小学高学年くらいになると、少しずつ人目を気にするようになりました。

すると、だんだん自分の荒れた手が恥ずかしくなり、人前で手を出すのをイヤだと思うようになりました

症状はあいかわらず手に集中していて、指先の荒れで爪の根元の甘皮などがなくなり、それが爪の成長に影響するらしく爪の表面はガタガタになりました。

ピアノを習っていましたが、指先を人に見られるのがイヤで練習もサボりがちでした。   手のひらのアカギレはふだんはあまり目立ちませんが、鉄棒などは血がにじむので痛くてできませでした。

肘や膝の裏なども赤くなりました。握手をしたり、手をつないだり、といったことがどんどん苦手となりました。

小学校では体育やフォークダンスなどで手をつなぐということが結構ありましたが、手が荒れているのがはずかしくて、相手の指先をつかんでいるだけだったりしました。

ただ背の順でも出席番号順でも手をつなぐ相手がいつも同じ男の子で、彼がからかったりいじめたりするようなタイプではなく、細かいことを気にしない元気な子だったので、それでずいぶん助けられました。

毎日の食事

母は私の食事にとても気を遣ってくれました。もともとお料理が好きで、とても上手。

料理教室やお菓子教室にも通っていましたので、いろいろなレパートリーの食事を作ってくれました。

お菓子も手作りが中心でした。パン教室に通うようになってからは、ロールパンや食パンなども手作りでした。

インスタント食品や市販のお菓子を食べた記憶はほとんどありません。

駄菓子屋というものも行ったことがなく、一度だけ友だちに連れられていってその毒々しい色に驚いたことがあります。   今思えば、それはアトピーというものが少しずつ世間に知られていくようになったことにもつながります。

時代的にインスタント食品などが出回るようになりはじめると同時に、「最近の親は手抜きをするようになった。食事がかわった。魚などを食べなくなった。だから、アトピーがふえてきたのだ」といった知ったかぶりの言葉がきかれるようになっていたのです。

それは、あたかもアトピーが親の責任であるかのように響きます。

そういった言葉は、発言した本人はあまり意識していないかもしれませんが、当事者をとても傷つけます。

親は自分に責任があるように思い、自分を責めてしまうのです。

確かにアレルギーの原因となる食品というものはあります。

ただ、それは人それぞれで、他人が端からいえるようなものではありません。

それに、インスタント食品が一概に悪いわけでもありませんし、そればかり食べていても肌がきれいな人は沢山います。

肌が荒れているからといって、他人にあれこれ言われるいわれはありません。

大学生になって

アトピーは治ることもなければ急激に悪化することもないまま、細く長くつづき、そのまま私は大学生となりました。

肌は相変わらず弱く、外出のためお化粧をしようとすると、この前はだいじょうぶだった化粧品に急にかぶれ、顔にぽつぽつと腫れ物のようなものができて、外出を取りやめるといったことなどもありました。

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