明けました。少し明けすぎたのかもしれません。本年もよろしくお願いしたい、パチライター界の最古参にして最底辺こと負男でございます。んげふっ。
さて…。
前回ここで「パチスロのルーツに意外な名前がっ!」みたいなコラムを書き散らかしたところ、ありがたいことにコメント欄などで「もっと知りたい、続きを読みたい」といった反応をいただきました。私のヘナチョコなコラムに反応していただけるなんて、これはもう…その声に全力かつ全裸でお応えするしかないってなわけで、今回もパチスロのルーツ、すなわち「誰も知らない黎明期のパチスロ物語」を綴っていきたいと思います。いやだと言われても手遅れです。もう決めたので、綴ります。
まずは前回のおさらいを。
パチスロってのはパチンコ+スロットマシンの造語であり、そのルーツはカジノなどに置いてあるスロットマシンです。およそ70年ほど前にそのスロットマシンを日本に輸入、あるいは新規に製造してパチンコ屋さんに置いてみようと考えたのが、ユダヤ人の青年実業家ミハエル・コーガンさん。1953年、彼が興した会社は「猶太」(ユダヤ)が「極東」において設立したという意味で、株式会社太東貿易と名付けられました。太東…そう、のちのタイトーです。かつてインベーダーゲームを生み出し、熱狂的な大ブームを巻き起こした、株式会社タイトー。つまり、パチスロのルーツには、誰もが知ってる超有名ゲームメーカーが関わっていた…ということなんですね。
ところが…。
残念ながら、コーガンさんの「スロットマシンを売りまくってやる!」という野望は叶いませんでした。なにしろ、当時は…というか現在でもギャンブル(賭博)は法律で禁止されてますからね。この時代、パチンコ屋さんにあった手打ち式のパチンコは打ち手の技術が結果に影響する(狙いどころや打ち方で結果が変わる)ためにギャンブルではないという認識で許可されていたんですが、スロットマシンは誰がどうやってもリールが勝手に止まって勝手に結果が出る=技術介入の余地がないギャンブルですからね。そりゃ輸入したところでパチンコ屋さんには置けません。ギャンブル、ダメゼッタイ!
無情にも息の根を止められたかに見えたスロットマシン。しかし、現在ではそのスロットマシンをルーツとするパチスロが日本全国津々浦々にまで普及しています。一体なにがどうなって、パチンコ屋さんにパチスロが置けるようになったのか。ライターのくせに簡潔な説明が苦手な粘着体質が災いして、すっかり長くなってしまいましたが…ここへきて、ようやく今回のコラムのスタートでございます。
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※なにせ古い話なので、記録が残ってないことも多々あります。以下の記述には私の推測、想像も含むことをあらかじめご了承ください。
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コメント
コメントを書く続編ありがとうございました!
アミューズメント界の先駆けが今や有名なメーカーが発祥だったんですね。
とても勉強になりました。
日本独自のアイデア。「ストップボタン」が突破口ってのも初めて知りました。
昔は目押しや出目で一喜一憂しスロットを楽しんでましたが、
時代は流れ今ではほぼ目押し不要機種や押し順など加わり、本来あった日本独自のスロットマシンの原型は良し悪しは別にし
変化していますね。これもまた日本独自のスロットマシーンの歴史なんでしょうね。
おもしろかったですし、大変興味深かったです。
ストップボタンなかったら、パチスロにここまで関心持つこともなかったかと思います。
今も昔も変わりなくという点でいうならば、規制があってヒリ出されたアイデアの積み重ねで新たなマシンが生まれているのだなと思いました。
>>2
コメントありがとうございます!
おっしゃる通り、パチスロの進化は「いかにアイデアをヒリ出して規制をを乗り越えるか」だったりしますよね。またなにかヒリ出して、面白い台が出てくるといいですよねー。
負男
>>1
コメントありがとうございます!
出目で一喜一憂できた時代、懐かしいですよねー。最近の押し順ナビ機や目押し不要機だと、これはギャンブルだということになりかねないので…いろいろ心配です。進化の結果、絶滅に向かうことも…いやん!
負男