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先日のこの記事、
「小学校やばいPTAやばい」の人こそPTAに入ったほうがいい理由。(その1)
たくさんの方に読んでいただいてます。
ありがとうございます。
改めて、なぜ今この問題なのでしょうか。
先日の記事では、「小学生の保護者に役割がある」という点を強調しました。
なので、PTAに入る入らないは、本質的ではありません。入ってなくても果たさなければならない役割はあります。ならば、自分の仕事の都合や、自分の能力に応じた貢献をするためには、まずは PTA に入るのが情報収集という点でも王道です。それをしないのであれば、情報収集に高い能力を要求されるでしょう。
昔の PTA は事実上強制でしたが、「原則は任意のはずなのに!?」ということを問いただせる時代になり、でそういうネタは、自分が小学校に関係あろうがなかろうが大好きな人たちがいて、大いに盛り上がるわけです。いわゆる「イチローチョップスティック問題」です。
しかし、「原則は任意のはずなのに!?」ということを問いただせる時代になったのと同時に、「小学生の保護者に役割がある」ことがはっきりしている時代にもなりました。
それが一番見据えるべき時代の変化です。
本記事でも例に出した「登校見守り」。昭和の高度成長期においては、そういうのは行政が担うべきではないかという考えもあったことでしょう。行政はあらゆるサービスを提供すべきで、小学校だって親の負担はないのが本来あるべき姿だという考え方です。
でも、今の時代、そんなことに回すお金を自治体が持っていないことは明らかです。それは景気が悪いせいではありません。もともとそうなのです。
もし、「登校見守り」のプロが保護者よりも圧倒的に効率よく「見守れ」るなら、そうした方が効率よくなりますが、そうではありません。むしろ、朝たった30分から1時間のために人を雇うのは極めて非効率です。交通費出しますか?
そんなわけにはいきません。そういう非効率なものにお金は使えないのです。高度成長期にはそういうカラクリがよくわかりませんでしたが、安定した社会になって、それがはっきりしました。
ですから、小学生の保護者や、あるいは地域のボランティアが担当することになります。「小学生の保護者に役割がある」のです。地域のボランティアが「登校見守り」をするならば、それに相当する地域の貢献が、「小学生の保護者に期待されている」のです。
なお、ですから安価な「登校見守りロボット」ができて、人間より効率よく「見守れる」ようになれば、行政が担当し保護者が立つ必要はなくなるかもしれません。
つまり、このように安定した社会になってきて、小学生の保護者は子供を小学校に任せっきりではすまないことがはっきりしたのです。
それが小学生の保護者が知らなければならないことです。
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: PTA が強制か任意かなんて小さい話なのです!!
フツクロウ: ホッホ。なんか本文の勢いが続いとるの。
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