閉じる
閉じる
×
先日こんなつぶやきを見かけました。
子供の時に徹底的に癖を付けないと無理。そしてこの獲得を補助することこそが親の最大の義務。 RT @chobikko0906 自分を愛することは簡単そうに見えて、出来ない人には出来ないんだよ。自分だけは自分を愛そうとも思えない。
― Spica (@Kelangdbn) 2014, 8月 4
「自分を愛させることは親の最大の義務」というつぶやき。最近の若者は自己肯定感が低いと言われていますが、自己肯定感とは自分を愛することとほぼ同義でしょう。それは親の義務というのですから、まずは、慌てて、私たちは大丈夫か?と考えてみました。
方法はすぐわかりました。子供をありのまま受け入れて、しかも愛せばいいのです。子供はまずは親を愛してますから、自分の愛している人が愛している自分は、愛されるべき存在です。
ただし、子供をありのまま受け入れる必要もあります。勝手に自分の子供の理想を思い描き、その虚像を愛していたら、子供本人はそのギャップに苦しんでしまいます。
しかし、子供をありのまま受け入れるというのもこれがまた大変なことです。でも一方で、私たちは自分もありのままに受け入れなければなりません。子供がいるいないとは関係なく、自分をありのままに受け入れられないことは、人生がうまくいかないばかりか、自分自身が心の病になる原因にもなります。
でも、自分を愛するのが難しいように、自分をありのままに受け入れることもまた困難なことです。
これも、自分より、他人をありのままに受け入れることの方がいくらか簡単です。子供は「異星人」なのでそういう意味ではより困難かもしれませんが、自分の子供であればそれを補って有り余るでしょう。
子供ができることで、自分をありのままに受け入れるいいきっかけになるかもしれません。
この「自分を愛する」という話、子供がより楽しく過ごせるようにというような+α的な話ではなく、やりがいもあり収入も十分な仕事を得るなど、人生の重要な要素に直接効いてくる話ではないかと思うのです。勉強さえできていればいい大学・いい企業に行ける時代ではなくなりました。ではなにが重要かと考えると、いわゆる人間力が議論されるように、より人間味に近いところが取り上げられそうです。ですから備えなければなりません。
子供をありのまま受け入れて、愛する。これからもいっそう頑張ろうと思います。
さて、元のつぶやきでは、「子供の時に徹底的に癖を付けないと無理」とありました。もし親ができなければ、もうそれっきりでしょうか。
たとえば、保育園や幼稚園の先生はどうでしょう。三カ所経験がありますが、どこも素晴らしい先生で、どの先生もうちの子をありのままに受け止めてくれ、かわいがってもくれました。どの先生も私たち親より、技術的には上です。親とは違う立ち場で、子供に自分を愛することを気付かせてくれる存在だと思います。
それに限らず、小学校から大学まで、素敵な先生に巡り会え良くしてもらえれば、自分を愛するチャンスはその度あるでしょう。
そして兄弟も強力です。ありのままで受け止めるとか、素でできてますし。
さらに良い友達も、その良いきっかけになるかもしれません。ただしこれに関しては、先日、
まともな反抗期がなくても自律でまともになる。
で見たように、最近は友達同士でも本音を言えない関係になりやすいようで、注意が必要です。
とはいえ、成長していく上で、数多くのチャンスはあることでしょう。親が「自分を愛さないように」仕向けない限りは、それらのチャンスを物にしていくのではないでしょうか。親だけでは十分に「自分を愛すること」を教えられないかもしれませんが、できる範囲でやればいいのだと思います。
これらのチャンスを掴むには、他人を愛することが必要です。自分が愛する人が、自分を愛してくれている、どうやら自分は価値ある人間らしいという順序です。愛するという言葉を使うと恋愛っぽくなってしまいますが、家族愛や友情や先生を尊敬することなんかも含んでいるので、自分が認める人が自分を認めてくれているくらいに言い換えた方がいいかもしれません。
では、どうすれば他人を愛する(認める)ことができるようになるのか。親は無条件で好きでしょうから、その親が、他人を愛して認める姿を見せるのが最強で
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。