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この記事は【馬車目線】(?)でお送りします。
朝日新聞叩きで紙メディア全体の信用が失われている
このコラムの中で、新聞社の「一敗」について書かれていました。
誤報は、新聞社の間に存在している競争心や、相手に先んじられてはならぬ、といった心理から生まれる(他紙に先んじられて報道されることを「一敗」とカウントするらしい。今もそうかは分からないが)。新聞は、この価値観を真正面から捉え直す必要があると思います。昔と違って、今の読者はどっちが勝ったとか二の次です。読者に向いてください。
似たような話に株式市場があります。株は、元々企業が大規模に資金調達するためにあります。そしてその企業の業績や配当や将来性などから企業の価値が総合的に判断され、株価に反映されます。そのことで、企業は自分たちの価値を客観的に見ることができ、今後の参考にできます。
でも、株はもうその本来の役目から逸脱しています。何ms(msとは1秒の1000分の1)以内に取引ができるようにとか、高速取引に明け暮れていますが、そんなこと、元々の企業にとって何の恩恵にもなりません。
そもそも、金融全体も今の私たちには重荷です。
これからせっかく落ち着いた経済活動をしようとするわれわれに、それを許そうとしません。一人あたりGDPが保たれるなら、例え人口が減るにつれてGDPが減ったとしても、直接の問題ではありません。しかし、金融はそれでは困ります。お金を増やすにはGDPが増えてくれないと困ります。私たちの経済活動の潤滑油として重要な役割を持つお金ですが、人口が減るこの場面でやっかいな問題を生んでしまっています。
さて、新聞はどうでしょう。確かにいち早く情報を私たちに届けることは重要な使命であり、どこが最初に報道したかというのは、それを測る大切な指標でした。確かに私も昔は、他の朝刊には載ってるのに、これには載ってないなんてネタがあれば、「うわここ遅、ダサ」と思っていました。
しかし、今はどうでしょう。ツイッターなどの発達によって、特報はほぼリアルタイムに市民に届きます。しかも、朝刊で横並びということはなく、何時何分に報道したかを見れば、どこが一番先に報道したか、全てのネタについて見ることができます。
でも、いったいそれが私たちにとってなんだというのでしょう。たとえば数分違いだったとして、その数分先に出したメディアにどれくらい敬意を払いますか? まあそれだけを見れば素晴らしいことかもしれませんが、もしそれが誤報だったらどうでしょう。はっきり言っていい迷惑です。
あまりにも早い特報は、読んだ方も「ホントか?」と思いますから、すぐに他のメディアの情報も欲しくなります。でも、まだありません。だから、むしろいらいらして迷惑です。先日特許法に関して誤報がありましたが、あれはリアルタイムで読んでいたので、まさにその目に遭いました。ホントかなと思うけど、他のメディアで確認することができず、次の日に誤報だったと分かったのです。普段何勝何敗か全然知りませんが、この誤報にはとても怒りました。
新聞はこのリスクに気付くべきです。一秒でも早く出そうとすると、当然誤報の確率は上がります。これは人間には「見たいものを見てしまう」癖があるからです。ぱっと見た瞬間は「見たいものを見てしまっている」可能性があります。ですから、一呼吸おいて、落ち着いて読み直したり、報道であれば堅実な他者のチェックも必要でしょう。
何勝何敗にこだわるあまり誤報が一つでも増えるくらいなら、全敗した方がよほどましです。
世界が加速するにつれ、報道に限らず、この「見たいものを見てしまう」癖による大惨事が増えているように感じます。自分がやってしまわないよう気をつけましょう。
それに最近はハフポストなど、情報の一次ソースではないけど、一次ソースを元にしっかりした考察を提供をする新興メディアが増えていて、ツイッター、Facebookなどでも、良く拡散されています。一次ソースの情報は大手新聞・テレビどこも同じようなものになりがちですが、ハフポストなどの考察はそれぞれ独自の意見が述べられ、人々にとって貴重な情報になっているのでしょう。
大手新聞社はお互いの何勝何敗ばかりにこだわらず、
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