みなさん薄々気づいているのではないかと思いますが、最近よく聞く「自己責任」、これに実体はありません。何か理由をつけなければならないときに持ち出されているだけです。
まるで日本人の「自己責任」に対する感覚に起因してなにか社会的な現象が起きているような言説がちまたには溢れていますが、とりあえず、こじつけてるだけです。ですから、様々な「自己責任」を付き合わせてもちっとも核心が出てきません。それは原因ではないからです。
いくつか例を拾ってみましょう。
たとえば若者。若者の就職率が悪いとか、新卒で就職に失敗したら、その後就職のチャンスがなくなるのは、日本が極端な「自己責任」を押し付けるからだ、みたいな言われ方でしょうか。
でも、それは単に大量生産時代が終わって、社会に仕事が足りなくなって、そのしわ寄せが若者に言ってるだけで、社会だってみんなだって、そりゃ老若男女働きたい人すべて働けるようにしたいけど、とりあえず自分たちでせいいっぱいで、政治だって有効な手段があるわけじゃないから、誰に入れるかとかも大した話じゃないし。ああ無力だ。
だから、若者が就職できないのは日本人が極端な「自己責任」を押し付けてるからだ!
とどこの日本人に向かって言っているのかよくわかりませんが、そういう弱音に飛びつくのです。
若者の就職難は先進国共通の問題。日本人が極端な「自己責任論」を持っているから若者の就職難が起こっているとは考えにくいです。
たとえば痴漢。される側にも問題がある的な論調がどうしてもくすぶってしまいますが、一番被害に遭いやすいのは、騒がなそうな地味な女子学生なわけで、そんなものに自己責任とかまったく関係なく、ただひたすら撲滅していかなければならない社会問題です。社会も手をこまねいてばかりいるわけではなく、女性専用車両とか導入したり、日々取り組んでいます。女性専用車両は犯罪の数を減らすまでにはなかなかいってないようで、監視カメラの導入なども行われているようです。
自己責任だからほっとくなんてことはなく、みんな取り組んでいるわけです。しかし、なかなか減りませんから、人によっては自己責任論という弱音を持ち出して納得するしかなくなっているわけです。
しかし、女性への暴行の問題は他の国でも深刻であり、全世界が取り組んでいます。日本が極端な「自己責任」を持つから発生しているわけではありません。全世界が克服しなければならない問題なのです。
子育ても同じです。私たち二人は親がともに遠く離ているため、子育ては親に頼れず二人でしました。
大変でした。場合によっては「詰んだ」可能性は大いにあったでしょう。親から離れて子育てをする人が増える一方、自治体の支援は、保育園の問題に始まり、まだ追いついていないのが現状です。
なかなかその状況が変わらない現状への無力感から、「子育て大変って、自分で産んだんだろ、自己責任」という弱音を吐く人がでてきます。
実際は自治体はできることから一生懸命実現していますし、私たちだって東京にいる間、様々な子育て支援に助けられました。それらなくして二人だけでできたわけでは決してありません。
予算などのリソースの問題はありますが、現状について、現場に「これで十分、あとは自己責任」という人なんていません。一歩ずつでも改善していこうとしているのです。
つまり、社会問題があって、その解決になかなか決め手がないような場面で、それに対して何もできないような外野が、その無力感を埋め合わせるために、「自己責任」という弱音が吐かれているだけなのです。広義のイチローチョップスティック問題と言っていいでしょう。
先日のISILによる日本人人質事件も同様です。