最近ひさびさにヘッドホンを手に入れ、あれこれ聞き直しています。
聞き直しているのはボーカロイドだけではありません。学生の頃よく聴いてたクラシックなんかもかけてみました。
でもちょっと聞いてすぐやめてしまいました。オーケストラは本来眼の前の舞台から聞こえてくる音楽です。でもヘッドホンで聞くと、頭の中で音がなることになって、どうにも奇妙です。将来田舎に引っ込んだらスピーカーで聞くことにしましょう。今の小さい家にそのスペースはありません。
それは私がボーカロイドやDTMを好んで聞くようになった理由です。DTMはもともとヘッドホンを使って作られます。ですから、ある程度のヘッドホンアンプやヘッドホンで再生すると、それは作曲者が頭の中に作り出した音をほぼそのまま再現することになります。素晴らしい曲になると、頭の中のあちこちに様々な音が巧妙に配置され、もう『頭球』が音でパンパンになってくらくらします。作曲者の脳内を直接見せつけられるような体験です。
新しいヘッドホンでそんな体験に酔いしれいたところ、ふと奇妙なことが気になり始めました。
私たちが『初音ミク』の歌を聴いているとき、初音ミクはどこで歌っているのでしょうか? 人間のボーカルの歌を聴く時には、たとえば、目の前のステージで歌い上げているようなシーンを想像するかもしれません。ヘッドホンによって、音は頭の中で鳴ってしまい、そこには矛盾がありますが、もともとマイクに向かって歌っているのですから、具体的に歌っているところをイメージするのは容易です。
しかし、初音ミクたちボーカロイドは別にマイクに向かって歌うわけではありません。しかも、作曲者たちも、もともとヘッドホンをつけてボーカロイドを調教していて、最初から『頭球』で鳴っています。
そんな初音ミクはいったい、どっちを向いて歌っているのでしょう。あなたの目の前でこちらを向いて歌っているのでしょうか。カラオケで歌ってる気分で口をぱくぱくさせながら歌えば、初音ミクの頭はあなたの頭とぴったり重なっているかもしれません。
そこは人それぞれ、また状況に応じて好きな姿を想像すればいいのですが、冷静に考えるとそれらとは異質なある一つのジャンプをしていることに気がつきます。
それは彼女らボーカロイドが完全に私たちと同化することができるという現象です。
たとえばボーカロイドのすべての曲のなかで現在歴代第3位のこの曲。
【GUMI】モザイクロール【オリジナル曲PV付】
当時100万再生到達速度2位とかではなかったでしょうか。リアルにその勢いを見ていました。全体では初音ミクが圧倒的に人気がある中、GUMIがそのような記録を叩き出したのには大変驚きました。
この曲のGUMIは誰でしょう。PVが描いている世界は、GUMIの内面で二人のGUMIが争っている様子です。それをGUMIが歌っているのを私たちは傍観しているのでしょうか。
いえ、この曲が爆発的な勢いをつけたのは、GUMIがそれを聴く女性たち自身だったからです。GUMIはバーチャルな存在ですから、自分自身に同化させることが容易です。ですから、この曲を聴くと、その歌声は『頭球』の中で自分の心の叫びとして響き、自分の中で二人の自分が争い始めます。
もちろん人間が歌う曲でもそのような共感はありますが、ボーカロイドの場合、もともと頭の中で鳴る歌声という前提も手伝って、自分へ同化する力が極めて強力なのです。
人の心との境界がなくなるという力という点で、ボーカロイドは人間の歌い手を超えているのです。
「さよならメモリーズ」という曲があります。supercell の作品で、nagiさんが歌っています。
【supercell】さよならメモリーズ【Full ver.・歌詞入り】
この曲を聞くと、最後の告白の場面では、思わずそのイラストの女性(nagiさんのアバター)に「おめでとう!」と声をかけたくなります。
これをGUMIがカバーした動画があります。(タイトルは初音ミクで釣っておいて、例はGUMIばかりですいません。)
【カバー】GUMIで「さよならメモリーズ」【supercell】
知らずに聞くと人間かと思うくらいすごい調教なのですが、さて、このGUMIが歌う「さよならメモリーズ」のラストの告白、どう聞こえるでしょうか。
もちろんGUMIに「おめでとう」と声をかける人もいるでしょう。
でも、青春時代に男女問わず彼女と似たような体験をしている人はたくさんいて、ああそう、そんなことあった、あるいは今まさにそんな気持ちという人は、GUMIを遠慮なく自分に同化させることができます。もちろん人間のnagiバージョンでも可能ですが、相手はあくまで人間。その場合は同志としての同化です。
しかし、相手がバーチャルなボーカロイドであれば遠慮はいりません。しかももともと『頭球』の中で響く歌声です。もともと自分の歌声みたいなもんです。