ちょっと前にこんな記事が話題になりました。

 最小限のモノで暮らす「ミニマリスト」の一家に密着しました。
「ミニマリスト」とは、持ち物を極力減らして、最小限のものだけで暮らすという、新しいライフスタイルを指し示す言葉です。モノがなくても本当に暮らせるのか、ミニマリストの一家に密着しました。
 これはすごいと感心するくらい、極端にモノが少なく、おかげで「ミニマリスト」についてじっくり考えることができました。

 一番印象に残ったのは、次の部分です。

子ども部屋。
年ごろの子どもなのに、遊び道具は一切見当たらない。
寝転がって遊んでいるのは、スマートフォンのゲームだった。

 これからの時代、日に日に創造性が要求されていくのに、うちの子にこれはしない、と再確認しました。

 「ミニマリスト」という言葉が生まれる前、まだ「断捨離」と言われていた頃はここ(ブロマガになる前も含め)でもなんどか取り上げました。が、ここでは単に「捨てる」ということでなく、 「素敵な物に囲まれて暮らす」 という表現にしています。

 というのも、『断捨離』とか『持たない暮らし』とか『ミニマリスト』とか、知っている限り、ある視点がごっそり抜けているからです。

 それは、「ものを作る」という視点です。

 「断捨離」の時からそうでしたが、「断捨離」とかを追求しようとすると、じゃあものを作る道具はどうするのかという問題に突き当たります。うちはいろんな料理を作るためにいろんな道具があります。アメリカにいたときに使い始めた、キッチンエイドのミキサーとか、日本ではあんまりポピュラーじゃない電動スライサーなんてものもあります。ベーコンとか自家燻製すると、厚切りベーコンもおいしいですけど、やっぱりお店で売られているような薄いのが便利でおいしいです。包丁でもできるかもしれないけど、やってらんないです。

 ということで、「断捨離」の精神を忘れずに、それでも道具がたくさんある生活と矛盾をなくすために参考にした言葉が、「素敵な物に囲まれて暮らす」ということでした。

 その後、子供が物心つくにつれ、もう一つの要素が加わります。彼らの創造性です。たとえば今、段ボールは貯めておいて、年に2回寄附しています。あまりに溜まると別の回収場所に持って行きますが、基本は貯めているのです。なんとも場所ふさぎではありますが、子供達にとっては貴重な材料です。何か作りたいと思った時にそこから取り出してすぐ取りかかれます。そのほかにも、彼らが自由にガラクタを貯めていい場所があって、そこに収まっている限り、なんでもとっておくことができます。それらのほとんどはただ貯まっているだけなのですが、見ていると、その中の一部は彼らの創造物に活用されていきます。

 何かを作り出すには、材料と道具が必要です。道具は「素敵な物に囲まれて暮らす」という言葉でごまかせ(?)ましたが、材料に至っては一見ゴミ同然のものもたくさんあります。そういえば、年10回も使わないようなスパイスも「断捨離」的には難しい問題です。でも使っていて、ないと困ります。

 まあ、子供といえど、プログラミングなどコンピュータで完結する分野であれば、端末一つあれば、他なにもなくても、自身の創造性を発揮できるかもしれませんが、それはこちらが決めることではありません。彼らがどんな分野で創造性を発揮するのかは、彼ら自身も知らないことですし、そのためにはいろんな「材料」と「道具」に触れる機会が必要ではないかと思います。

 ですから、「ミニマリスト」ではそれができないというわけではないでしょう。家に「材料」と「道具」がなくても、あるところに行けばいいのです。むしろ、それは全て外製化するとすれば、あらゆる「材料」と「道具」にリーチできる可能性もできます。