オツカレ JPさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
【時事メルマガ (79) 】
「安倍晋三という政治家が目指した外交」
「拉致問題を愚劣な首相が扱う最悪のシナリオ (1) 」
「安倍晋三という政治家は、日本をどのような国にしたいと思っていたのか?」
安倍元首相の一周忌の前後、私は様々な討論番組で幾度となくこの質問を投げかけられました。
番組の流れや質問者の意図に合わせて答え方にいくつかのパターンが生まれましたが、本当に言いたい事はとてもシンプルでした。
「日本を真の独立国にする」
これこそが、政治家・安倍晋三の究極の目標でした。
そして、という事は、安倍さんは「戦後の日本は真の独立国とはとても言えない」と考えていたという事になります。
だからこそ、日本政治の属国体質と、国民の認識の歪みを出来るだけ是正して、真の独立に少しでも近づこうともがき続けたのです。
それでは日本が真の独立国になる事を妨害しているのは誰なのか。
もちろん一義的にはアメリカです。第二次世界大戦で戦ってみたら恐ろしく強くてなかなか降伏しないアジアの強国が2度とアメリカに牙を剥くことがないよう、 GHQ は日本の国体を徹底的に換骨奪胎しました。
GHQ の悪質性・陰湿性の一つが、占領政策の幹部にホンモノの共産主義者を混ぜ込んでいた事です。
英米は敵性国家・敵対民族の弱体化という戦略目標に向けて実に多くの引き出しを持っています。ロシアと中国での共産主義国家の誕生にはアメリカとイギリスの個人と組織が大きく関与していた事はよく知られていますし、中東や東欧では階級間・民族間・地域間での対立と憎悪を植え付けて内乱・内戦を誘発させました。
GHQ による日本の占領統治( 1945/10/2 〜 1952/4/28 )では、中枢に数多くの共産主義者とそのシンパを配置して混乱と憎悪を持ち込みました。日教組( 1947/6 設立)、日本学術会議( 1949/1 設立)、日本弁護士会( 1949/9 )など、日本のエスタブリッシュメントの反日容共体質は、設立当初からアメリカ人共産主義者によって植え付けられたものです。
◯安倍さんが守ろうとしたもの
安倍さんとはいろいろな機会に、日本という国のかけがえのなさについて語り合いました。
世界の国の中でも日本は特別な国だ。天皇陛下の元で、礼儀正しく知的で優しい民族が睦まじく豊かな生活を営んでいる。そんな国は他に一つもない。
だからこそ共産主義革命を目指すグループや邪悪な外国勢力は、日本の伝統文化を破壊するために様々な手段で侵略してその骨格を破壊しようとする。
こうした攻撃からかけがえのない日本を守らなければならない。これこそが安倍晋三という政治家の信念であり、信条でした。
そして、安倍さんは口癖の様にこう続けました。「本当の敵は、外国勢力じゃない。真っ当な日本人が日本と日本国の世界的価値を知り団結すれば、そんなものは跳ね返せる。」「1番の敵は、邪悪な外国勢力の恫喝や懐柔や誘惑に負けて、その手先となる日本人なんだよ」。
◯自民党内左翼政治家との闘い
日本を真の独立国にする安倍さんの闘いが一番わかりやすい形で見えたのが、「売国日本人を駆逐する」という作業でした。
政治の舞台では、社会党や共産党など左翼政党との闘いはもちろん、自民党内の親中派やリベラル勢力も「売国」「反日」の日本人に対する敵対心を隠そうとしませんでした。
若き日の安倍晋三さんの殺気を私が初めて垣間見たのが、 2002 年に小泉純一郎政権が国会に提出したもののその後廃案となった人権擁護法案をめぐる野中広務・古賀誠との死闘でした。
これは自称被害者・自称弱者が跋扈して真っ当な日本人が攻撃される素地を作り、一方で左翼勢力に巨額の税金が流れ込むという意味では、 LGBT 法と酷似したものでした。
当時自民党を牛耳っていた野中広務・古賀誠は利権含みで人権擁護法案を強力に推し進めようとしていました。
被差別部落出身である事を隠していなかった野中広務は、同和系の人脈や SP を始めとする警察に深いパイプがあり、「野中広務に盾をつくと怪文書やスキャンダルに見舞われて政治的に抹殺される」という恐怖感が党内に蔓延していました。
しかし「巨額の税金が左翼に流れるシステムを作らせてはならない」と考えていた安倍さんは中川昭一と連携して、野中・古賀との正面対決に挑みました。 2000 年当時の社会部会で野中が人権擁護法案の重要部分について「部会長一任」を強引に取り付けようとした時には、安倍さんは雛壇の真ん中に陣取っていた野中広務の前に仁王立ちになって「ふざけるな!」と言って野中の机を両手の掌で叩きつけ、「一任なんて絶対に認められない」と大声で野中を威嚇しました。部会長一任は結局取り下げられ、野中は赤っ恥をかかされました。
その 2 ヶ月後の 2000 年 6 月の早朝、下関の安倍さんの自宅に火炎瓶が投げ込まれて暴力団組員が逮捕される事件が起きました。その後も安倍さんは何者かに事務所や自家用車の窓ガラスを割られるなど、不審な事件が続きました。
犯人は下関市長選を巡った怨恨という形で処理されましたが、自民党内では「人権擁護法案で安倍晋三が野中さんに恥をかかせたからじゃないか」という憶測が絶えませんでした。
当時私が「党内では野中さんの差し金なんじゃないかと噂されてますね」と聞くと安倍さんは破顔一笑。
「犯人グループも(野中・古賀と縁の深い)工藤會だし野中さんならやりかねないよね。でも、火炎瓶で俺を黙らせる事が出来ると思ったら大間違いだよ」と全く意に介していない様子でした。
安倍さんが動じなかったのは、野中広務(経世会)や古賀誠(宏池会)の媚中体質と、左翼団体や同和団体との親和性は一気通貫なもので、「そんな媚中売国反日連中に負けるわけにはいかないし、負けるはずもない」という自信と信念があったからだと思っています。
◯外務省の売国勢力との闘い (1) ーチャイナスクール
外務省の売国勢力と言えば、皆さんが真っ先に頭に浮かぶのがチャイナスクールでしょう。
チャイナスクールは元々は外務省のキャリア入省組のうち中国語を研修言語とする集団を指す用語でした。
外務省で中国語研修を受けた人間は、キャリアを通じて中国と関わる仕事に携わる事が多くなるので、まるで中国政府と中国共産党の代弁者のように振る舞って国益を毀損する売国外交官が大半を占めていました。
彼らが自民党内の宏池会(今の岸田派)や経世会(茂木派)を中心とする親中派政治家(河野洋平、加藤紘一、宮澤喜一ら)と結託して戦後の日本外交は長らく歪め続けられてきました。
小泉純一郎政権で安倍さんが官房副長官を務めている頃親中派の頭目として外務省を牛耳っていたのが福田康夫官房長官でした。外務省側で媚中外交を主導していたのは阿南惟茂(あなみ・これしげ)中国大使や槇田邦彦シンガポール大使などでした。
副長官時代の安倍さんは福田康夫や配下の外交官と事あるごとに衝突し、口論し、批判していました。
この事は当時から新聞・テレビや週刊誌が面白おかしく報道していたので、安倍さんの「チャイナスクール嫌い」はよく知られていました。
◯ 外務省の売国勢力との闘い (2) ー売国の本丸「
媚米勢力」
しかし安倍さんが警戒していたのはチャイナスクールだけではありませんでした。
それぞれの研修言語で作られる言語別勢力(チャイナ・コリア・ロシア・フランス・スペインなど)は、それぞれの担当国や担当エリアにおもねる傾向があります。
ところが実は外務省には上記以外の、最大にして最強の言語勢力があるのです。そう、英語=アメリカ・イギリススクールです。
外務官僚のほとんどが流暢な英語を話します。しかし英語を研修言語とする集団の英語力は質が違います。天皇陛下や首脳会談の通訳は、訳を一つ間違えただけで国際問題に発展しかねないような極めて厳しい仕事です。また、一口に英語といってもアメリカとイギリスとオーストラリアでは語法も用法も発音も相当異なります。私の知人の水産庁出身の外交官は、完璧なアメリカ英語とイギリス英語に加えて、アメリカの南部訛りの英語もパーフェクトでした。彼は小泉純一郎と息子ブッシュの晩餐会で首脳同士のくだけたやり取りの通訳をした際に、ブッシュ大統領から南部訛りと標準米語の完璧な使い分けを絶賛されました。アメリカの大統領に「英語を教えてくれ」と頼まれた日本人は彼位でしょう。
私が最近拉致問題の件で名前を挙げている斎木昭隆元外務次官も究極の英語使いでした。英語の実力は同期の鶴岡公二元駐英大使と双璧を為すと言われ、2人とも若くして天皇陛下の通訳を務めました。
しかし外交官としての手法は、2人は正反対でした。鶴岡氏は 2006/7/15 に国連で初めて採択された北朝鮮制裁を盛り込んだ「国連決議 1695 号」の立役者でした。
非常任理事国として安保理に参加していた日本は、拉致問題で北朝鮮を動かすために安倍晋三官房長官と麻生太郎外相が主導して史上初の北朝鮮制裁決議に動きました。
これには当初は中露のみならずアメリカも難色を示していましたが、深夜の省議(中央省庁の最高幹部会議)での鶴岡大臣官房審議官の活躍でアメリカを賛成に回らせた上で、結局中露も拒否権を発動できなくなって不可能と見られていた国連決議 1695 は奇跡的に成立しました。
こうして中露のみならずアメリカに対しても言うべき事は言う鶴岡公二氏と比べると、当時から斎木昭隆氏は私の目にはより従米の度合いが強い外交官に見えました。
そして、その傾向は彼の職位が上がって行くにつれてエスカレートしていきます。
そしてその「従米体質」こそが、斎木氏のその後のキャリアに大きな影響を与える事になります。
◯「国家安全保障局構想」の真意
安倍さんが官房副長官から幹事長、官房長官と上りつめていく過程の外務省は、田中均や阿南惟茂や谷野作太郎といったチャイナスクールをはじめとする売国外交官が跋扈する伏魔殿でした。
そんな中、田中均の後任のアジア大洋州局長として北朝鮮問題に取り組んだのが斎木氏でした。
この頃私はいろいろな立場で北朝鮮問題に関与していたので斎木さんとも様々な所で話をし、協力しました。
外務省に不信感を持っていた拉致被害者家族も、斎木さんの誠実な対応に徐々に心を開き、信頼するようになっていきました。この頃の斎木さんは、当時の平均的職員と比較すれば例外的にまもとな日本のための外交官に見えました。
その後民主党政権下でインド大使に飛ばされた斎木さんは、安倍さんに呼び戻されて次官待ちポストである政務担当の外務審議官(外務次官の下の事務方 No.2 )として復活し、 2013 年 6 月にはついに外務事務次官に就任します。
インドから呼び戻した頃、安倍さんは斎木さんについて「次官をやってもらって、駐米大使を経て谷内さんの後任(=国家安全保障局長)になってもらう」と明言していました。
国家安全保障局( NSS )は、安倍さんが 2014 年に官邸に新設した役職です。
日本の外交はそれまで外務省が一元的に担当していました。安倍さんは「外務省の外交独占こそが、アメリカに隷従したりチャイナスクールが跋扈したりする、日本外交の属国体質の根源」と看破していた安倍さんは、官邸に外交の司令塔である国家安全保障会議を設置して、首相が直接外交を統括・指揮する体制に組み直したのです。
そして NSS 設置には、もう一つの重要な狙いも込められていました。
アメリカは 1952 年に GHQ による占領を終えた後も、様々な形で日本を指揮下に置くシステムを継続させました。その際たるものが「日米合同委員会」( JUJC : Japan-US Joint Committee )です。
JUJC は 1952 年に日米行政協定を根拠に設置され、日米行政協定が日米地位協定に移行してもそのまま継続されました。 JUJC 今なお毎月少なくとも2回、秘密会合を開いています。
JCJU の日本側代表は外務省の北米局長、他に法務省官房長、農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米参事官、財務省大臣官房審議官が出席。その下に 10 省庁の代表から 25 委員会が作られています。
アメリカ側の代表は在日米軍司令部副司令官で、代表代理として駐日アメリカ合衆国大使館公使。さらに在日米軍司令部第五部長、在日米陸軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海兵隊基地司令部参謀長が参加します。
そして本来の JUJC の設置主旨である在日米軍の地位にかかわる分野を大きく踏み越えて、国内の法執行やインフラ整備、伝統文化やジェンダー政策などあらゆるジャンルで、独立国であるはずの日本の行政権司法権立法権を侵害するような要求がアメリカ側から次々と突きつけられ、密約という形で飲まされていると言われています。
外務省北米局長という選挙によって選ばれたわけではない一役人が、国の行方を左右する事項について勝手にアメリカと密約を結び、それが時の総理大臣ですら覆せない。
それどころか、どんな密約が結ばれているかすら全貌は明らかにされていないのです。
「日本を真の独立国とする」という安倍さんの政治家としての至上命題を実現するためには、 JUJC の隠然たる力を圧縮する事が絶対的に必要でした。
そこでアメリカのホワイトハウスの国家安全保障会議と同じ主旨の国家安全保障会議を官邸に作って、閣僚レベルで日米が向き合う形を作ることとし、これを総括し運営する国家安全保障局長は、外務事務次官経験者としました。
こうして JUJC をすっぽり飲み込む、より高位の会議体を官邸に配置する事で、 JUJC の価値を下げ、外務官僚が勝手に日米関係を取り仕切る悪弊に楔を打ち込んだのです。
◯「アメリカの言うなり」の元祖
こうして第二次政権での安倍さんは「独立国として自律した外交判断と国家運営が出来る体制を作る」という目標に向けて着実に歩を進めていきました。
ところが、その「独立国日本」の司令塔である国家安全保障局長にするつもりでインドから呼び戻した「期待の星」斎木昭隆氏は、それに逆行するような行動が目立つようになっていきました。
その際たるものが「ロシアのクリミア併合時の制裁案」と「拉致問題での暴走」でした。
2014 年 2 月、ロシアのクリミア併合を受け、斎木次官はロシア制裁案を作って安倍官邸に持って行きました。
この時斎木氏は、想定される中で最も厳しい、ロシア側が絶縁宣言と受け取ってもしょうがないような極端な制裁案を持っていきました。
北方領土返還を至上命題としてプーチン大統領と向き合ってきた安倍は、斎木さんが最強硬制裁案を一つだけ持ってきた事に強い違和感を感じ、こう尋ねたといいます。
「制裁案を一つしかもってこないという事は、この案でやれと君が首相に指示しているのと同じじゃないか」
これに対して斎木さんはこう抗弁しました。
「ここまでやらないとアメリカが納得しません」
この答えに、基本的に激昂しない温厚な安倍さんが珍しく大声を上げて怒鳴ったといいます。
「お前はアメリカに聞いたのか?日本の制裁案を首相に持ってくる前に、アメリカにおうかがいを立てたのか?」
「いや、アメリカと調整して案を作ったわけではありません。」
「それなら何で『この案じゃなきゃアメリカが納得しない』と言い切れるんだよ?」
安倍さんは、斎木氏は実はアメリカと事前調整した上で極端な制裁案を作ったのではないかと疑っていました。
そんな人物に、日本の真の独立のため、アメリカと対等に渡り合っていくために、苦労して作った国家安全保障局長を任せるわけにはいかない。それまで信頼していた斎木氏に大きな疑問符がついた瞬間でした。
そして斎木解任の決定打となったのが拉致問題でした。
2014 年当時から北朝鮮は「田中・金田・合同調査委」という3点パッケージでの解決案を日本側に打診してきていました。
その内容は、
・拉致被害者の田中実さんと特定失踪者の金田龍光さんを帰国させ、
・残余の拉致問題は日朝合同調査委員会を立ち上げて継続調査とし、
・並行して日朝国交正常化を進める
というものでした。
しかしこの案は、横田めぐみさんや有本恵子さんなどの拉致被害者を事実上切り捨てて、日本側が北朝鮮に巨額の戦後賠償金を支払うという事になるのは火を見るより明らかでした。
だから安倍政権も菅政権も「国交正常化したいならまず横田めぐみさんと有本恵子さんを返すのが先だ」と伝えて、詐欺的解決策は却下したのです。
ところが岸田政権は今、この詐欺的解決策を叩き台にした交渉を北朝鮮側と続けています。そしてこれに深く関与しているのが斎木昭隆氏なのです。
この詳細ついては次の時事メルマガに譲ります。
(続く)
お忙しいと存じますが、いつも有難うございます。
Post