岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2017/03/31

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2017/03/19配信「萌えキャラは正しい宣言、湯浅の新作デビルマン、西洋哲学と東洋哲学」の内容をご紹介します。
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2017/03/19の内容一覧

西洋哲学はオワコン

 20世紀に入って、デリダが登場したことに寄って、哲学はもう一段落しちゃいました。彼は、この本の中では「現代哲学最高の真理批判者」と言われているんですけども、デリダが広めた思想は話し手よりも聴き手中心主義」といわれています。
 これまでの哲学というのは、「ある哲学を理解できたかどうか」を「その哲学の提唱者が考えたことを正確に理解できるか」であると考えていました。例えば、「サルトルの思想を理解するために必要なことは、サルトルの本を読んでサルトルが言ったことを正しく理解すること、もしくは、サルトル本人に彼の言葉の真意を尋ねることである」と。
 僕らもいまだにその世界観の中にいますよね? ある映画やアニメについて詳しく知りたいと思ったら、監督のインタビューを読んだりして「本当のこと」を知ろうという発想になる。
 それに対して、デリダはこう言いました。「そんなもん読んでも、そこに真理なんてないでしょ。だって人間が考えたことを文字にした瞬間に、違ったものになっちゃうんだから。映画作家が自分の考えたことを映画にした瞬間に、スタッフの制限もあれば配役の制限もあれば、特撮とかCGの制限もあるから、絶対に思った通りにならない。そもそも、『思ったこと』自体も、例えば1月1日正午に思ったことを、1月2日正午にはもう維持できていない。それが人間だ。なので真理っていうのは、実は大本を辿っていってもそこには存在しない。じゃあ、どこにあるのかっていうと、『受け手』、『読み手』の側にしかない」と。これがデリダが言った聴き手中心主義ですね。

(中略)

 でも、普通に生きて考えていたら、これくらいの結論は出て来るんですよ。僕がよく映画評論について「映画の面白さっていうのは、『本当はどうなのか』ではなく、『自分はどう感じたか』である」って話すじゃないですか。その方が絶対に面白いし、作品を豊かにする。もし、作者の思い通りのものを受け取るだけだったらば、僕らはただ単に、作者や作品に隷属する、いわば「消費者」でしかない。僕らオタクっていうのはそうじゃなくて、昔から「その作品をどう解釈するか」で、面白さを増やす人間だった。こんなことは別にデリダでなくても言えるんです。
 なぜかというと……ここが哲学の面白いところなんですけど。「現代思想の最先端」というのは、「その時代の人間の常識」なんですね。言語化された常識と言ってもいい。なので、現代哲学っていうのは、本当は理解する必要がないんです。理解するまでもなく、それぞれの人間が体現しているから。ただ、みんなはそれを言語化していないだけなんですよ。それを、僕みたいに理屈っぽい人間がなんとか言語化すると、デリダと似たようなことを言うことになる。でもそれは、わかったから偉いというのではないんです。
 現代哲学のポイントというのは、「その時代固有の考え方っていうのを無理やり言語にしただけ」ということ。なので、勉強しなくても、その成果は手に入っているんですけど。ただ、西洋哲学の歴史を勉強して、その過程を知っていれば、もうちょっと面白がれる。

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