自分はいったい何者なのか。認知症の妻に会うたびに根源的問いをつきつけられる。
 妻はわたしを認識している。「つちやけんじだよ」と言うと、うなずき、食事の介助をしても素直に食べてくれる。しかし「お前の夫だよ。五十年前に結婚したんだよ」と言うと、激しく否定する。否定するにしても、なぜ激しく否定しなくてはならないのか、理解に苦しむ。
 要するに妻はわたしの名前と外見を結びつけてはいるが、夫婦だということを認めていないのだ。だとすると、わたしをだれだと思っているのだろうか。 
週刊文春デジタル