岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2017/06/09

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2017/05/14配信「『HUNTER×HUNTER第1巻』解説とアルカポネ」の内容をご紹介します。
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2017/05/14の内容一覧

法律を守らないことを当たり前にしてしまった禁酒法

 1920年、ちょうどカポネがシカゴに行った時に、「禁酒法」というのができてしまった。
 禁酒法というのは、もう本当に悪いことだらけなんだよ。何が悪いかって言ったら、「酒を飲んじゃいけない」なんて法律、みんな守るはずがないんだよ。
 アメリカというのは、さっき言ったようにピューリタンの国であり、プロテスタントの国家だから、もともとは「法律というのを律儀に守る」という国民性なんだよな。それまでの禁酒法が生まれるまでのアメリカ人というのは、バカみたいに法律を守る、かなり真面目な民族だったんだ。
 ところが、禁酒法ができたおかげで、法律を守らないことが当たり前になってしまった。なぜかというと、毎日を明るく暮らすためには、お酒くらい要るわけだよ。みんなそう思っていたし、そんな中、酒が禁止されれば、それを見逃すことが「正しいこと」になってしまう。つまり、「法律の裏をかいて生きるということが人間らしいことだ」、「法律を守らないことが当たり前のことだ」、「良い警官というのは、お酒を取り締まるのではなく、お酒を見逃してあげる人情のある警官のことだ」っていうコモンセンス(一般常識)が、アメリカの中に生まれてしまった。
 そして、この法律が施行されてからわずか1年か2年の間に、真面目で法律を守るアメリカ人が一斉にダメになってしまった。ちょうど中学高校時代は朝8時半に毎日学校に行っていた学生が、大学生になった瞬間に「いかに授業をサボったら自分が得するのか?」と考えるダメ学生になってしまうのとまったく同じように、「アメリカ人を本当に丸々ダメにしてしまったのが禁酒法だった」いうふうに言われている。
 前回、「アル・カポネが1920年代にシカゴに行った時に、最初にフォア・デューセスという犯罪ビルを作った」っていう話をしたよね。1階が酒場、2階がノミ屋(賭博場)ね、3階がカジノ、4階が売春宿、そして地下1階が拷問場というとんでもない夢の犯罪ビル。
 このフォア・デューセスが悪の巣窟だっていうのは、シカゴの市の警官から市長から全員知っていたんだけども、「いやいや、あそこは酒場です」とか、「4階は売春宿ではなく中古家具屋ですよ」ってみんな言ってた。だって、当の市長や警察署長自身が毎日通ってるんだからさ(笑)。
 その地下で拷問が行われているのはみんな知ってるんだけども……すごいよね。年柄年中悲鳴があったんだけども、誰も通報しないというところだったんだよな。

 シカゴに渡ったアル・カポネは、自分の部下から市長を出したり、ほとんど実質的にシカゴ市を支配していたようなもんだったんだけど。ところが、彼がシカゴ領を支配するようになってから、ギャングのボスはカポネだけというわけにいかなくなったんだよね。
 結局、アル・カポネの対立勢力である他のイタリア人のギャング達も、シカゴの甘いエサに群がるように、どんどんやって来るようになってきた。
 何が「甘いエサ」だったのかと言ったら、その当時のアメリカ人が一番飲んでいた酒というのがビールなんだよね。
 ウィスキーとかワインと違って、ビールっていうのは、醸造所っていうのがいるんだよね。つまり、言い方悪いんだけど、ビールっていうのは半ば「工業製品」なんだ。作るためには工業設備が必要なんだよ。焼酎とか日本酒みたいなものをこっそり作るだけだったら、部屋の中一つで出来るんだけども、ビールっていうのはある種の工業製品であって、電力なりなんなりが必要なものだからさ、そんなものを運営していたらバレないはずがないんだよ。匂いもするし。
 なので、作るためには本当に警官を警察署ごと丸々買収することが必要だった。当時のシカゴの警官というのは、本来貰う給料よりもアル・カポネから貰う給料の方が高かったと言われてる。本当に、それくらいの金を配ってないとビール工場なんて運用できなかったんだよね。他の酒とは作るための施設規模が全然違うんだよ。
 そういう形で、禁酒法の時代であるにも関わらず、酒がほとんどオープンに売られているような状態になったんだけど、誰でも飲めるようにしちゃったおかげで、ニューヨークから追い出されてシカゴに来たアル・カポネと同じように、アメリカ中から追い出されて来たチンピラたちが、シカゴの支配者の座を狙うようになってきたんだ。
 シカゴの町全体がすごく不穏になってきた。アル・カポネは年柄年中、命を狙われるようになった。そのために、アル・カポネは、レキシントン・ホテルのスウィートルームに住んで、周りをガードマンでいっぱい固めていた。
 『アンタッチャブル』という映画の中では、こういう生活をアル・カポネの栄光を象徴しているように描いていたんだけども、実際のアル・カポネは、当時「ガードマン20人くらいで常に周りを固めていないと、マジで1日も生きてはいられれない」と言われてたくらい、お互いに命を狙いあっているような状態だったんだ。
 警官たちも買収次第でどっちにも動くので、本当に、ギャング達は手下のギャングを使って自分たちで身を守るしかない状態だったんだ。
 その後、「シカゴは危険すぎる」ということで、シカゴから車でだいたい20分くらいのシセロという町……俺がホットドッグを食った町なんだけども。シセロに移って、そこをゼロから犯罪都市として作り直した。それまでは、本当に家具屋しかなかったところに、ビール工場はおろか酒瓶のラベルを印刷する工場までどんどん作っていって、犯罪都市として運営した。

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