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ファンドマネージャ、株を語る(3)
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ファンドマネージャ、株を語る(3)

2017-02-01 02:26
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    ■「ファンドマネージャ、株を語る」執筆のきっかけ


    現役ファンドマネージャが株式投資について語る日々雑感です。
    個別株の売り買いの推奨はありません。
    それどころか、個別株についての言及はしません。

    それでも、わたしは、株式投資が持つ本来の社会的意義については、
    十分に伝えることができると思っています。

    そして、投資のプロセスそのものが、投資家自身を幸福へ導く道標になると考えています。


    わたし自身がそうでした。
    投資を通して、世の中の仕組みがわかるようになりました。

    投資により、経済的に恵まれるだけではなく、
    投資というプロセスを通して、人としても成長できたように思うのです。


    つまり、投資家とは、お金だけを企業に預けているのではありません。

    投資とは、投資家自身の膨大な時間も高度な専門性も貴重な経験も
    失敗から学んだ知恵もすべてを投資分析に費やすことです。

    そして、その投資行為は、人を成長させます。


    投資は以下の変化をもたらします。

    単なる消費者から創造者に。
    偏見やバイアスに支配される偏狭さを克服し、
    普遍的で自由な思想を身につけることができます。
    大多数の中に埋もれる受動的な存在から、
    他者を導く能動的なリーダーへと変貌することができます。

    ゼロサム的な思考や矛盾に悩む人は、矛盾を克服し、問題を解決し、
    矛盾点を昇華する術を身につけることができます。


    短期で利己的な人が、長期で意味のあることを成す人になることができます。
    すぐに結果を出そうとする拙速な人も、
    思慮深く、ステップ・バイ・ステップで成果を出すようになります。

    たとえお金がなくても、株について考えることが、
    豊かで幸せな人生を生きることに繋がっていくのです。

    多少、大げさに響くかもしれませんが。



    さて、わたしですが、外資系機関投資家(日本株アナリスト、日本株ファンドマネージャ)としての職歴はおよそ20年になります。

    15年前に自らの運用手法を書籍「インベストメント」(北星堂書店2001年)にしましたが、多少、取材手法のみに偏った感がありました。

    ファンドマネージャが株を語ることは、
    すなわち、職業について語ることでもあります。

    株式ファンドマネージャという仕事はこういう仕事である、
    という内容でもあります。

    また、アナリストやファンドマネージャを育成するのための
    ガチのガイドブックともいえるでしょう。

    株式投資のもつ、社会的な価値が、あまり意識されない状況となっていることも執筆の動機のひとつです。

    個別株の推奨はありませんし、具体的な運用戦略は紹介しません。

    株式投資に関するノウハウは千差万別であり、どんな個別の戦略であっても、メリットとデメリットがあるからです。

    みなさんが「株式投資」についての考えを深めるための一助となるように、
    株についての必要最低限の事柄を整理しました。


    過去のコラム:
     ファンドマネージャ、株を語る(1)http://okuchika.net/?eid=6579
     ファンドマネージャ、株を語る(2)http://okuchika.net/?eid=6603



    ■ファンドマネージャ、株を語る  0003


    ☆☆ 理論株価の算定について


    今回は、「株の価値」について考えます。

    株式の価値は、ファンダメンタルズ分析では、財務状況を加味しつつ、
    主に、将来の配当の見通しをベースに算定します。

    財務状況でネット・キャッシュを評価。固定資産であっても時価評価が高ければその分評価は高くなります。

    建築コストが5年前いまの7割だったして、5年前に建設したものについて、
    それを今作ったらいくらになるのかといったことも評価対象になります。

    そして、将来の配当見通しは、配当が企業が利益の範囲内で安定的に支払われるものだとして、利益の将来予想の中から配当を推定します。

    配当は将来、ずっと支払われるものですから、株式を保有すればするほど、
    受け取り配当の累計額は大きくなります。

    結局、理論株価とは、財務内容と配当の見通しから説明されるのです。


    ☆☆ メンドリの価値


    毎日、卵を産むメンドリの経済的な価値を考えてみましょう。

    メンドリが産んだ卵の累計数と卵価格との積が経済的な価値になります。

    メンドリが卵を産むことができる期間は、メンドリの齢と健康状態から、
    ある程度は推定できますが、はっきりとはわかりません。

    そして、卵の価格は、マーケットが決めることで、日々、動くものです。

    メンドリの経済価値の算出には不確実性が宿るのです。

    永遠に卵を産み続けるメンドリがいるとすれば、その経済的な価値はいくらになるでしょうか?

    永久のキャッシュフローであっても、ある条件下では、現在価値に直すことができます。

    メンドリを株式に、また、卵を配当に置き換えると、株式の価値はいかほどになるでしょうか?

    また、メンドリの寿命や健康状態は、企業の事業環境や財務状況と置き換えることができるのでしょう。

    いろいろな前提をつけて、メンドリの市場価格を想定してみてください。


    株式投資に際しては、投資対象となる企業の継続性が重要な要素のひとつとなります。
    つまり、ある企業があれば、その事業からの意味のある配当はどれほどの期間、継続するのか。
    配当の継続期間について、予想してみることは、投資理論の第一歩です。


    ☆☆株式会社の中には永続するものがあるでしょうか?


    =人類はおそらく、誕生以来数百万年の存続期間の中で、いまがもっとも絶滅に近い=

    株式投資というものを、きちんと紹介するのが、執筆の目的のひとつですので、

    投資先企業の寿命を考える前に、その企業が存在する現代社会という器について考察をする必要がある、と述べてきました。

    所詮、世の中があってこその企業ですので。


    地球が誕生して、50億年といいます。
    宇宙が誕生して、150億年だそうですね。

    物質は「永続する」といえるかもしれない。
    (原子の寿命は何10億年といわれていますね。)

    肝心の人間はどうでしょうか?
    200万年前から存在しているそうですね。

    だから、人間の営みというものに対しても、ある程度、永続性を仮定してよいでしょうか?

    おそらく、産業革命前までの人類の在り方であれば、人の種としての永続性を仮定できました。

    それは、地球環境の範囲内で、自給自足、環境負荷をかけない生き方をしていたからかもしれません。


    ☆☆ 果たして人類は存続できるのでしょうか?


    いま、人類が存続できるかどうかは、人類自身でもわからなくなってしまいました。

    この100年のテクノロジーの急速な進展。
    資本主義経済の繁栄の中で、個人主義が台頭し、人は多くのものを所有できるようになりました。

    誰でも武器が手に入るようになり、それを所有することができます。
    (テロリスト集団の武装!)

    そもそも、すべての国に自衛権があり、大国は、人類を何回も滅ぼすことのできる核弾頭を保有しています。

    一方、経済格差が広がり、テクノロジーの普及により、生産性が高まることで、
    多くの物資は供給過剰となるものもあります。
    (中国の余剰鉄鋼!)

    経済的に報われない貧困層が増え続けています。
    科学技術の大きな進歩で、一人の狂人が核兵器を手に入れれば、無差別に世界を破滅させてしまうかもしれませんね。

    隣国ではありますが、日本とは同盟関係にはない北朝鮮の核弾道ミサイルの保有も明らかになってきました。

    人はおそらく、誕生以来数百万年の存続期間の中で、いまがもっとも絶滅に近いのでしょう。


    ☆☆ 経済的な合理性は戦争を防ぐのでしょうか?


    一方、戦争を恒常的に行いながらも、人類が未だに絶滅してはいません。
    そのことは、どう説明したらよいでしょうか。

    それは、たまたまでしょうか。

    あるいは、富が世界中の株主に共有されているためでしょうか。

    グローバル企業を所有している大株主たちは、人口が減る、売上が減る、
    よって、配当が減る。だから、世界戦争には反対でしょう。

    グローバル化により、富はグローバルに所有されています。
    一方、国富という考えもありますが、それはローカルな概念です。

    なんともいえない、こうした不安定な社会環境で、いま、わたしたちは、株式会社が永続するかどうかを考えているわけです。

    正確には、個別企業の配当の永続性についてです。

    株式会社からの配当列を永続的なものと仮定できるかどうかは、まず、
    人類の今後の在り方に依存する、ということですね。

    種としての永続性は人類として最重要な課題となっているのです。


    ☆☆ 投資家として、長期の投資スパンをとる。その価値はあるのか??


    個人には限りある命しかありません。

    ですから、自分が死んだら、後はどうでもよい、のです。

    これを株式投資に当てはめると、企業の株価なんて、自分が生きている間、
    自分が売るときに、上がっていたらそれでよいのです。

    しかしですね。そんなに都合よく世の中は自分に合わせてはくれません。

    まず、宇宙、地球、社会があって、最後に企業があるからです。

    たまたま、いま、生きているだけの人間にとって、世界を俯瞰することは簡単ではありません。

    ですから、歴史をしっかりと記述することで、世界の中の企業活動を客観的に見ようとしたのでした。

    その企業活動は、脈々と続く活動であって、勝手に、自身の生きる時間の枠内に押し込めて見る必要はないのです。


    一度、時間軸を取り払い、とっても長い期間において商品を見ましょう。

    人が生きている時間は短く、3万日程度でしょうか。

    一瞬の人生であるからこそ、人は知らず知らずにうちに、短期志向になります。

    一般に、人が成果を急ぐのは仕方のないことです。

    だから、そうではなく、長期志向が高い価値を持つようになります。


    ☆☆ 法人には寿命がありません!


    一般的に、不安定な社会は見通しが立てにくいものです。

    不安定な社会だからこそ、ずっと先まで見通せるような事業にはプレミアムがつくのです。

    多くの投資家は、自らの寿命の範囲内で投資というものを考えています。
    ですが、ほとんどの投資先企業は、投資家よりも長く「生きます」。

    株式アナリストの多くは、そこで、将来の3年間とか2年間の予想を行うだけです。
    それでは、株の本質をとらえることはできません。


    今回、言いたかったことです。

    少なくとも、企業の提供する製品やサービスの永続性について、思いをはせるのがよいと思います。

    それが、「株式理論の筋」というものです。(配当の継続性。企業の持続性。)


    法人には寿命がなく、人には寿命がある。

    このことが、株式投資を非常に面白いものにしているのです。

    そして、法人寿命が永遠であることが、格差社会の原因となっているのです。

    このことは、次回に。


    今回のコラムが、株の価値を考えてみるきっかけになれば幸いです。


    日本株ファンドマネージャ
    山本 潤


    (情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)
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