■第15回■


 先週は香港のマンションのことを書きました。でも香港のマンションのことばかりではなく、自分の人生を振り返ってみると、ツイていないと思っていたことが転機で、自分が救われていることが多いことに気がつきました。

 自分に起こっていることの意味を考えること。そうすることによって大きく人生が好転したりすることも多いし、恐ろしい災害をのがれられていることも多いのです。

 阪神大震災のときも、たまたま出張で東京に来ていて地震から逃れられた人もいれば、たまたま出張で関西に出かけ事故にあった方もいらっしゃいます。しかし車の渋滞などの偶然のトラブルで出張に出られずに、災難を逃れ命拾いした方もいたようです。

 自分に起こった「いやな出来事」をツイていないと切り捨てて、損をしたと悔やんでいては、出来事のメッセージを受け取り損ねてしまいます。それに精神的にも良くありません。私のように「あ、また大きなトラブルを避けることが出来た。ラッキーだったな~」と思うとうれしくなって、前向きに出来事に対処することが出来ます。

 「過去は可変的であり、未来は未知である。」「過去についても、未来についても、確定的なことは何も言えない」過去のブログにこんなことを書いたことを覚えていてくださる方もいると思います。

 株式投資を長くやっていると「あ、過去が変わるというのは、当たり前のことなんだ」と体感することが出来ます。あの時書いたたとえ話をもう一度の書きます^^;

 デイトレードでは、なかなか体感できないかもしれませんが、中長期投資をやっていると「過去は変わる」ということを日常的に体験することになります。過去はいつも毎日のように変わってしまいます。

 たとえ話をしますね^^。1600円で買った住友金属鉱山が1400円に下がった時、私は損切りしてしまいました。これだと1600円で買ったことは間違えだったということになります。そして1400円で売った株が1300円に更に下がれば、1400円で売った行為、損切りは正しかったことになります。これは住友金属鉱山の株価が1300円のときの過去の評価です。

 でも住友鉱山の株価が、そこから反転し将来=未来で1500円になりました。すると1600円で買ったのは間違いだった。1400円で売ったのも間違いだったというように、過去の評価は変わります。

 実際には住友金属鉱山の株価がつい最近3000円になりました。すると1600円で買ったのは正しかったという評価になり、1400円で売ったのは大失敗というように過去の評価は未来の現実によって、たえず変化していってしまいます。(実際には私は2300円くらいまでは持ちこたえましたが、決算発表前に売っちゃいました TT)

 株式投資では、毎日のように株価が変わっていくので「過去は可変的であり、未来は未知である」というのが日々いやというほど体感させられます。
 株式投資ばかりでなく人生においても、犯罪は別としても「過去は取り返しのつくもの。なぜなら新しい経験をしただけで、過去の意味なんて一気に全部変わる。」「過去は可変的であり、未来は未知である。」「過去についても、未来についても、確定的なことは何も言えないというのが時間の中を生きる人間の健全な姿である」ということを常に意識して生きていると、悔やむことが少なくなり、生きるのが楽(ラク)で楽しくなるでしょう。

 いま苦しんでいることが、将来生きてくるためには、その苦しみの意味を考えながら、前向きに捉え、自分を腐らせてしまわないことがとても大切だと思います。

経済的独立ワクワク!サポーター 石川臨太郎
※2007年7月10日掲載。

(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。)