産業新潮
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7月号連載記事
■その14 古代エジプト人の脳と現代人の脳はまったく同じである
●人類は進歩していない
2025年に二度目の大阪万博が開催される。1970年の大阪万博をリアルタイムで身近に経験した私としては、心躍る話である。当時、万博会場の裏手に住んでいたため、日本中から、名前を聞いたことが無いような親せきが自宅に泊りに来た。また、私自身も10回くらいは会場に足を運んだ。
当時の熱狂ぶりは、今でもはっきりと覚えているが、その熱狂の中で繰り返されたのが「人類の進歩と調和」というメインテーマである。
当時は日本の経済成長が加速を始めた時期であり、展示物も米国館の「月の石」など素晴らしい未来社会を暗示するものばかりであった。また、今ではごく当たり前の「動く歩道」や、いまだにまったく一般に普及していない「テレビ電話」なども登場したので「人類が進歩する」ことに誰も疑問を抱かなかった。
しかし、最近強く思うのは、「人類は古代から進歩していない」ということである。読者は「そんなばかな!」と思うであろうが、実のところ進歩したのは「文明」であって、人類では無いのだ。
人類が文明を創造・維持するのであるから、文明が進歩しているのに、人類が進化しないはずは無いと思う読者も多いと思う。
しかし、「人類の進歩」と「文明の進歩」は、まったく別のものであり、むしろ相反する場合さえあるのだ。
●古代人に徒競走で勝てるか?
例えば、狩猟採集の時代と比べて、我々の身体能力は向上したであろうか?
もちろん食糧事情や衛生環境が良くなったことで、体格がよくなったり寿命が伸びたりしているのは事実であるが、跳んだり走ったりする身体能力についてはどうだろうか?
毎日、狩りをしたり、木の実を採集したりするために野山を駆け巡る古代人の方が、ある程度の年齢になると生活習慣病などに悩まされる現代人よりもすぐれていると考えるのが自然であろう。
また、少々厳しい話だが、古代においては医療技術が未発達であったため、乳幼児の死亡率が高く、成人する人間はすべて「自然淘汰」の洗礼を受けた結果生き残ったといえる。また、成人してからも、猛獣に襲われないようにしたり危険な感染症に免疫力で対抗したりして、生き残ったものばかりである。
したがって、健康であるだけでは無く危機回避に関する能力も高かったと推察される。
つまり、古代人が「自然淘汰」の結果生き残った者たちであるのに対して、現代人は「自然環境では生き残れない人々」をかなり含むから、「一人の人間の(潜在)能力」は古代人のほうが上回ると考えたほうが自然だ。
もちろん、現代文明が「自然環境では生き残れない人々」を抱えることを否定するわけでは無く、むしろそのことが「現代文明」を発展させる基盤となったと考えるが、「文明」とは、あくまで社会=集団の話であり、個々人の能力はまた別問題である。
<続く>
続きは「産業新潮」
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7月号をご参照ください。
(大原 浩)
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