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今回は、2人のお子さんを育てながら資産1億円超えを達成した寺澤夫妻をゲストに迎えました。
夫の寺澤伸洋さんは国内メーカー勤務から40歳で外資系企業の事業部長に転職。在職中にビジネス書作家としてデビュー、FIREを達成し、現在すでに22冊の書籍を出版。
「FIREの ”RE” をリタイアではなくリスタートの ”RE” ととらえ、会社のために生きる人生から抜け出し、新しい人生をスタートする」という独自のFIRE観を発信しています。
妻の寺澤真奈美さんは生命保険会社の営業部門、テレマーケティング会社のコールセンター部門、損害保険会社の情報システム部、会計・経理部門を経て、2017年にファイナンシャルプランナーとして独立。
「お金の面だけでなく、人生を豊かにするお手伝いをしたい」と米国ギャラップ社のストレングスコーチRとしても活躍されています。
この秋から小屋とともに「独立FPラジオ」と題したVoicyチャンネルを配信予定です。
会社員としてコツコツお金を貯めるフェーズからスタートし、40代で資産1億円を達成。
現在は共にフリーランスとして活躍するお二人に、資産形成のこと、金銭的な自由と安心を手にしたことで変化した仕事観などについて聞きました。
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寺澤伸洋(てらさわ・のぶひろ)
ビジネス書作家・講演家
灘高校、東京大学経済学部卒業後、日系企業、外資系企業勤務を経て2021年に作家として独立。
『40歳でGAFAの部長に転職した僕が20代で学んだ思考法』 https://amzn.to/40IxN4Y
『自分の強みを引き出す4分割ノート術』https://amzn.to/47AQLN6
『子どもを2人育てながら1億円貯めた夫婦の40代FIREまでの道のり』 https://amzn.to/3G7SkGh
など著書多数。
オフィシャルサイト> https://cheersmywife.com/
SNS X: @ohtsuma
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寺澤真奈美(てらさわ・まなみ)
ファイナンシャルプランナー・通信費見直しアドバイザー・Gallup認定ストレングスコーチ
生命保険会社の営業、テレマーケティング会社にて新規コールセンターの立ち上げ後、損害保険会社の情報システム部や会計経理部門を経て、2017年保険や金融商品を取り扱わない独立系ファイナンシャルプランナーとなる。
「お金の面だけでなく、その人の人生を心の面からも豊かにするお手伝いをしたい」と感じ、コーチングを学ぶ。2020年米国ギャラップ社ストレングスコーチRを取得。
オフィシャルサイト https://manami-terasawa.com/
SNS X: @manami_terasawa
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●手取り25万円から1億円の資産を築いた寺澤夫妻の方法とは?
小屋「寺澤さんの『40歳でGAFAの部長に転職した僕が20代で学んだ思考法』を読む限り、20代、30代と寺澤さんご夫婦は高収入だったというわけではないんですよね?」
寺澤伸洋さん(以下、伸洋)「そうですね。小屋さんが読んでくださったその本には“40歳まで役職なし・手取り25万円だった”という帯文をつけたんですが、実際、17年間、日本のメーカーに勤めていた僕の収入は手取り25万円+ボーナスのままでした。」
寺澤真奈美さん(以下、真奈美)「わたしたちは2002年に結婚したんですが、貯金は夫婦合わせて200万円ほど。すぐに第一子が生まれ、わたしは正社員として勤めていた会社を辞めざるをえませんでした。子どもの1歳の誕生日の前日までしか育休が取れなくて、復帰日に保育先が無かったんですよ。今は国が『育児休業期間は、原則として子が1歳に達するまで、保育所に入れない等の場合に、例外的に子が1歳6か月に達するまで延長できる』としていますよね。当時この制度があったらよかったのにな、と思います。」
小屋「なるほど。保育先の空白期間ができてしまったんですね。」
真奈美「1歳の誕生日には復帰しなくちゃいけないけど、保育園は4月1日からで、最初の数週間は慣らし保育です。そもそも土日勤務がある仕事だったし、これはどうしようもないかもな……と思っていたところに、人事から『寺澤さんは総合職採用ですから、沖縄や九州、北海道の拠点への転勤もあります』と。実際、妊娠の報告が無ければ、ほぼ地方への異動が決まっていたのだと当時の上司から後になって聞きました。それを見合わせた事情もあるので、復帰後の転勤は確実です。『あなたはお子さんを連れて旦那さんと別居して、1人で子育てできますか?』みたいなことを言われて、もう心が折れてしまったんです
よね。
伸洋「今なら確実にハラスメントになる発言ですよね。」
真奈美「その後保育園も決まったのですが、小さな子供を育てながら働くことにも不安がありました。でも、夫の収入だけだと教育費も含めて将来的に不安だし、母に相談したら『保育園せっかく決まったんだから、働きなさい』と言われて、パート社員として働き始めました。」
小屋「そこから本格的にご夫婦でお金を貯めていったわけですか?」
真奈美「基本的には夫の手取りで生活して、ボーナスとわたしの収入は貯金して。よくファイナンシャルプランナーが勧める『先取り貯金』を誰にアドバイスされたわけでもなく、始めていました。」
伸洋「2003年と2011年に子どもが生まれているんですが、この頃から僕が転職する2017年までが、言わば節約・節制フェーズ。夫婦で相談しながら節約生活を続けていったという流れです。」
真奈美「当時の目標は『子どもたちの学費を準備すること』で、子どもが大学卒業するまでにかかると言われている2000万円を貯金することを目指していましたね。」
●家計簿が1円合わない!? 忘れられない、そのときの夫の反応
小屋「具体的にはどんな節約策を実践したんですか?」
真奈美「まずは夫婦共働きで収入を確保すること。その上で、家賃が安い物件に引っ越しをしたり、通信費を見直したり、固定費を下げることから始めて…。」
伸洋「きちんと家計簿をつけて、細かい支出をできるだけ削減することも意識しました。たとえば、僕は仕事中に毎日のように飲んでいたペットボトル飲料や缶コーヒーをやめました。それまでは忙しくなってくると、朝、昼、夕方と買ってはデスクに空き缶を何本も並べていたんですね。それがもったいないなと思えてきて。毎朝会社に行ったら大きいボトルに麦茶のパックを1個入れて、それを飲むようになりました。昼ごはんは当時のオフィスが日本橋にあったので、ランチに出ると1回1000円は出ていくんですが、結婚後は妻がお弁当を用意してくれるようになって、コストもだいぶ下げられました。」
小屋「家計簿はどのくらい細かく?」
真奈美「彼は独身時代からエクセルを使って家計簿をつけている人で、わたしのほうは欲しいものは欲しい、と使う人だったんですね。家計簿もつけたほうがいいと頭ではわかっていてもなかなかできず……。でも、一緒に暮らすようになってからは強制力が働いてがんばるようになりました。結婚当初、同じエクセルのファイルで家計簿をつけ始めたとき、合計額が1円ズレたことがあったんですよ。そしたら、彼が隣に座って、1時間以上、入力ミスがないかダブルチェックしたんです。もう銀行状態。あれは忘れられません。」
伸洋「僕も今となっては、『家計簿をつけるにあたって1円単位みたいな完璧主義になるのはやめしょう』と本に書いているんですけど、当時は1円のズレが気持ち悪かったんです。でも、ふたりで一緒に家計簿をつけているうち、数千円の差は気にならなくなりました。」
小屋「僕自身は、家計簿はつけてなくてマネーフォワードで支出の確認をするくらいです。改めて家計簿をつけるメリットってどんなところにあると思いますか?」
真奈美「支出を把握できていれば、基本的にはOKだと思います。わたしが家計簿をつけていて感じるメリットは、自分のコンディションが見えてくることですね。たとえば、スーパーのレシートが1日に2枚あって、しかもお惣菜をいくつも買っているとなると、忙しくて計画的に買い物ができていないんだな、とか。そういう気づきがあります。」
伸洋「僕はさっきの缶コーヒーやペットボトルもそうですし、コンビニのちょっとした買い物など、レシートを家計簿に転記しながら反省できるところがいいなと思っています。この出費はしなくてもよかったな、と。」
小屋「お二人とも独身時代に比べるとなかなかの節約生活だと思うんですが、ストレスにはなりませんでしたか?」
真奈美「『子どもたちの学費を準備する』という目標設定が明確にあったので意外と苦になりませんでしたね。」
伸洋「夫婦共働きで家計簿をつけ、毎月ふたりで見直し、細かい支出を削減し、固定費を定期的にチェックしていくと、手取り25万円でも着実にお金が貯まっていきます。その『貯まっていく』という事実がモチベーションになりました。」
●節約フェーズから一気にフェーズが変わった。転職と執筆の成功
小屋「寺澤夫妻の節約フェーズは、どの家庭でも再現性が高い手法ですね。その後、伸洋さんが転職する時点でどのくらいの資産になっていたんですか?」
伸洋「結婚当初は夫婦合わせて200万円だった資産が、15年後の2017年の転職時には4800万円になっていました。」
真奈美「その間、彼がイギリスに単身で語学研修に行ったり、その後の本社勤務で大阪に引っ越したり、環境の変化はありましたけど、基本は彼の手取りで生活し、ボーナスとわたしの収入は貯蓄に回すスタイルでした。」
伸洋「1つ助かったなと思うのは、日本の古き良きメーカーのいいところで、家賃補助を含め、福利厚生が充実していたことですね。」
小屋「そこから40歳で日本的な安定した会社員の立場から離れるという転職は大きな決断だったと思うんですが、どういうきっかけで?」
伸洋「イギリスから帰ってきて大阪の本社に転勤になり、4年間働きました。そのとき仲良くなった同僚が外資系企業に転職し、入社直後に『社員紹介制度でうちに面接を受けに来ない?』と誘ってくれたのがきっかけです。はじめは自分が外資系なんておそれ多いとビビっていたんですが、妻に相談すると背中を押してくれて、僕もこれは自分にとってのチャレンジだと信じて挑んだ結果、面接を通過。ここから資産形成のフェーズも大きく変わりました。」
小屋「というと?」
伸洋「1年目に年収が2倍になり、気持ちに余裕が出たことで株式投資を再開。合わせて転職先では給与体系の一部として、RSU制度(*)が導入されていたんですね。2017年に800万円で付与された株が4年後3200万円に。これが資産1億円突破に大きく役立ってくれました。」
*株式報酬の一つで、一定期間の継続勤務などを条件とし、その条件を達成した後に株式を受け取る権利を付与される制度。寺澤さんの場合、入社時に自社株を4年間にわたってもらえる権利が付与される代わり、勤続4年に満たないうちは売却できない仕組みだった。しかし、その4年間に株価が4倍以上になった。
真奈美「もう1つ、コロナ禍のリモートワークも大きかったよね?」
伸洋「20年3月から完全オンラインで仕事をするようになりました。それまで毎日かかっていた往復の通勤時間3時間がぽっかりあいたんです。そこで、AmazonのKindleのサービスを使って本を出してみようと思い立って書いた『40歳でGAFAの部長に転職した僕が20代で学んだ思考法』がヒットして、カドカワさんとダイヤモンドさんと世界文化社さんから商業出版のオファーが舞い込んだんです。」
小屋「夢のある話ですね。」
伸洋「結局、働きながら3冊書いた、その印税が副収入として加わり、転職して4年で資産が1億1000万円になりました。17年で4800万円貯めて、次の4年間で6000万円以上増えたわけです。」
小屋「そこから外資系企業を退職、FIREという決断に向かっていくわけですね。」
(後編に続く)
株式会社マネーライフプランニング
代表取締役 小屋 洋一
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