今回も、老子の第81章を題材に、投資の本質へ迫ってみます。

※AFPBBニューズブログ「大原浩の金融・経済地動説」の2008年2月8日の日記、(<老子と投資>その1)http://www.actiblog.com/ohara/52816 を先にご覧になることをお勧めします。

81、信言は美ならず、美言は信ならず。

○真実の言葉には飾り気が無く、飾り立てた言葉には真実が無い。
○立派な人は口が上手ではなく、口が上手な人は立派な人では無い。
○本当に知恵のある人は博識ではなく、博識の人には知恵が無い。
○賢人はものを溜め込んだりしない。他人のために何もかもを差し出しながら、それにも関わらず、自分の懐は日増しに豊かになる。
○天の道=TAO(道)は、本来すべてのものに利益を与え、害を与えることなど無いのだ。

 あるアメリカ人とこんな会話をしたことがあります。
「日本人の男性って、あんまりしゃべらないし、プレゼン力も低いよね・・・」

 日本語が堪能で弁舌巧みな米国人男性の発言に、一緒にいた日本人の女性たちもうなずきます。

 その点について同感する部分もあるのですが、その人物に根本的な考え違いがあるので、こんな反論をしてみました。

 「たしかに、日本人の男性は口下手かもしれないけれども、口下手だけど中身が充実した人間と、口がうまいけど中身が無い人間のどっちがいいと思う?」もちろん、「口のうまい」米国人を皮肉ったコメントです。彼は。ちょっとたじろいで次の言葉が出ませんでした・・・

 確かに、日本人が交渉べた、プレゼンべたなのは否定しませんが、それは「中身を充実」させることに注力し、「売り込む」ことを軽視しているからです。それに対して、海外の多くの国では「中身」よりも「見かけ」が重視されます。

 確かに、短期的な勝負では「見かけ」「売り込み」が重要でしょう。半島のS社などは、それをうまく使って成功した例だと思います。

 それに対して、日本人は「見かけ」よりも「中身」を重視し、損得抜きに誠意ある対応をするので、短期的な勝負では不利かもしれません。しかし、数十年単位の長期的戦略ではどうでしょうか?

 工業製品・食品をはじめとする日本製品に対する海外からの信頼は絶大なものがありますが、それは日本人が世代を超えて良いものをつくり続けてきたからです。ですから、他人の口車に乗って、「中身をおろそかにして外見にこだわる」必要はありません。

 例えば、半島の映画や音楽がブームになったとして、それは一時的現象にしかすぎません。中身の無いものは時間が淘汰します。言ってみれば、ナタデココやギター侍のようなものです。

 また、日本の隣の「虚言帝国」やその子分の半島の国々の主張もそうです。最初は声が大きい方の言い分が通りますが、時間が経てば、でたらめな話は誰も相手にしなくなり「真実」がクローズアップされます。

 確かに、日本人は発信力が弱いと言われますし、それは事実でしょう。しかし、それは日本という国の中身が充実していて、発信の必要性が薄いからです。逆に中身が無い国ほど一生懸命発信しなければなりません。要するに「弱い犬ほどよく吠える」ということなのです。

 実際、能力が高い人はしばしば寡黙です。実力があれば黙っていても周りが評価してくれますから、自己宣伝の必要などありません。逆に実力が無い人ほど、一生懸命「売り込み」をしなければなりません。

 注意しなければならないのは、「中身」は他人が評価するということです。いくら「俺がつくった商品はこんなに素晴らしいのになぜ売れないんだ」といっても独りよがりにしかすぎません。誰でも「自分の商品は素晴らしい」と思っているのですから・・・

★今回の<81>で全81章を網羅したため、<老子と投資>の連載は終了します。長い間のご愛読いただきありがとうございました。今後、新しい連載を企画中ですので、ご期待ください。

(OH)

*ブログ「大原浩の金融・経済地動説」http://www.actiblog.com/ohara/

(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。)