ほんの5、6年前くらい前まで、シルバータブの価値など皆無に等しかったのに。古着店のオーナーはたとえアメリカの倉庫で、80年代の終わりにリーバイスのヨーロッパ企画として発表されたそのジーンズを何百本と発見しようと目もくれず、マニアによれば「現行とは形がぜんぜん違う」というUSAメイドのコンバースやヴァンズをまだ血眼で探していたはずだ。当時はサイズにも厳しいお客さんが多くて、「デカいのが良いよね」なんて誰も言っていなかった。だが、流れが急激に変わったという印象はない。ずいぶん前から、ヴィンテージのリーバイスにレッドウィングを合わせたちんちくりんのオッサンが格好良いとは誰も思っていなかったし、日本のお洒落ピープルは「自分たちに合う“別の”選択肢はないものか」とファッションの模索を続けてきて、ようやくここまでたどり着いた。確かに、シルバータブのようなボッテリしたパンツは日本人の体型と顔によく似合う。
✌️Reo Yoshiokaさん(@129oer)がシェアした投稿 – 2017 11月 24 7:03午前 PST
miu (ミユ)さん(@_miugram_)がシェアした投稿 – 2017 11月 3 8:54午前 PDT
90年代の「CUTiE」「mini」「STUDIO VOICE」などを眺めていると、ここに登場している人たちも自分たちに似合うスタイルがきちんとわかっているように見える。アメカジから裏原へ。90年代は、欧米コンプレックスから徐々に解き放たれ、だからこそ海外カルチャーを積極的に「摂取」しながら、日本人独自のクリエイションと言えるものが目覚めていった時代ではないだろうか。洋楽でミリオンセラーが頻発していた時期に、ドメスティックなカルチャーも大きく花開いたのだ。
今のファッションの流れ、というか「成分」を考えるにあたって、2000年代中盤以降、ドロップトーキョーやリッドスナップといったスナップサイトに掲載されていたようなミックススタイルを知ることもまた、非常に重要だ。この時期、ヴィンテージやブランドものなどの「王道」に対する「オルタナティブ」という意識がお洒落ピープルの格好に強く表れるようになり、あえて具体的な例を挙げるとするならば、新宿二丁目のCANDYや渋谷のBOY、SISTERでは新しい古着の価値観が次々と生まれていた。そこでは男が柄のタイツに雪駄を履いても自然に受け入れられた。ロックでもパンクでもゴスでもヒッピーでも何でもござれ。お洒落ピープルは、異なるカテゴリのアイテム同士を合わせることでスタイルの中にコントラストを生み出す楽しみをどんどん発見していった。クロスオーバー系スタイルはここでさらに加速する。
ヒップホップの世界では、「そのブランドを買って身につけることに意味がある」と言わんばかりにブランドロゴを見せつける。だが、現代のお洒落ピープルがポロやトミーヒルフィガーやカルバンクラインのロゴが入った洋服を着るとき、そこで重要視されているのは「記号性」である。メタリカのTシャツだって記号にすぎない。そして、メタリカの最新作に感銘を受けているわけでもない彼らにとって、記号単体では何の意味もなさない。別の記号と「組み合わせる」ことによって独自の文脈を作り出し、新たな評価軸を打ち立てることが、今っぽいファッションの楽しみ方なのである。そして、このクロスオーバーカルチャーは、そのまま世界の最前線にあるポップミュージックの作法に通じる。
シュンサク(21)さん(@baggiojt)がシェアした投稿 – 2017 11月 17 7:41午後 PST
(上記インスタグラム写真:僕がフォローしている本当にお洒落な人たち。ジャンル間をスイスイ泳ぎ回るという意味では「軽い」けれど、それぞれのブランド・洋服の立ち位置を見極めてミックスさせているという意味ではとても「ストイック」だ)
90年代のファッションはそれまでの時代の純粋なミックススタイルだが、そこから四半世紀に渡って繰り広げられたあらゆるクロスオーバーを経た今、90年代とは少し異なる質感のミックススタイルが出来上がりつつある。今のお洒落ピープルたちが何よりも重んじているのは、かつて本気で「格好良い」と信じられていたけれど改めて見ると疑問符が浮かぶアイテムたちに「(あえて)アリ!」の判定を下すというユーモアなのだ。ガチはダサい。
彼ら/彼女らが仮にシュプリームとルイヴィトンのコラボに列をなしたとしても、それは「トレンドを積極的に楽しむ役柄」を演じているに過ぎない。すべては意識的で俯瞰的。ヴェットモンはさまざまな職種のワードローブをネタにしたコレクション(2017年春夏)を発表したことがあるが、私から見ればそれは多様性の肯定というよりも、個人がメディア的な立ち位置から全体を眺めて好き勝手に要素をピックアップしている状況を示唆しているように映った。
また、90年代は、多くのクリエイターがオルタナ精神でもってジャンルレスな表現に挑戦し、実際に刺激的なクロスオーバーがいくつも生まれた時代だ。音楽とファッション、リベラルと保守、未来と過去、すべての境界線がはっきりと目に見えるからこそ「えい!」とそれを超えることに刺激を感じられた。だが、今はそのカルチャーが十分に根付いた後のストーリーが展開されている。「ヴィンテージのコートとハイブランドのパンツにスニーカー」のような、全体のスタイリングにコントラストをつけることはもはや当たり前で、その「濃淡」をいかにコントロールするかが問われている。
洋服単体の背景と自分のパーソナリティが合致している必要なんてない。だって、ファッションには「本物」なんて存在しないから。意味みたいなものに固執している人はお洒落とは言いがたい。スタイリングがクールでありさえすれば、本当に何でも良い時代になったのだ。
存分に楽しもう。
長畑宏明ながはた・ひろあき
1987年、大阪府生まれ。ファッション編集者。2014年に雑誌『STUDY』創刊。翌年に発売した2号目は代官山 蔦屋書店が年間ベストマガジン(インディペンデント誌部門)に選ぶなど大きな話題に。今年11月に4号目をリリース。@study__magazine
Photo: FUZE編集部
Source: Levi’s, VOGUE, Instagram(1, 2, 3)