いつもよりゆっくり進む時計、「お疲れさま」を言ってくれる椅子、おいしい料理をもっとおいしくしてくれるお皿……。

大好きなお店には、そこにいる瞬間を特別な体験にさせてくれる不思議な“空間の力”があります。

もし、そんな特別な時間を形づくるひとかけらを、暮らしの中に取り入れることができたら……。

気になるあの店の中を覗いてみたら、豊かに暮らすヒントを得られるような気がしました。

カフェ・アンセーニュダングル原宿店

原宿、広尾、自由が丘に店舗をかまえる、老舗のカフェ・アンセーニュダングル。

3店舗のなかでもっとも古い歴史を持つこの原宿店は、2019年7月7日で創業44周年を迎えます。移ろいゆく時代を、創業当時からずっと変わらないスタイルで守り続けてきたお店です。

カウンターには、26歳当時のオーナー・林さんの写真が

オーナーの林さんがこの店の経営をはじめたのは、26歳のとき。インテリアや空間としての美しさにまでこだわった、こんなフレンチスタイルのお店は、当時かなり珍しかったのだそう。

アンセーニュダングルのオープンは各所で話題になり、この新しい喫茶店のスタイルに影響を受けたお店が、次々に建てられました。そしてその人気は40年以上経った現在でも、決して衰えません。

とはいえ、原宿店があるのは人通りの少ないひっそりとした路地。創業したばかりのころは原宿の街自体も今ほど栄えてはおらず、地元の人だけがくる商店街があるのみだったといいます。

それでもこのお店が40年以上にわたって人々の心を惹きつけてやまない理由は、どこにあるのでしょうか?

ちょうどいい“距離感”の席

アンセーニュダングルの建築を手がけたのは、建築デザイナーの松樹新平さん。漆喰の壁と、木材の張りめぐらされた天井の組み合わせが特徴的な内装です。

人との距離が近いカウンター席や、プライベートな空間のように安心感のある、奥まったテーブル席……

ゆったりとしていて迷路のように入り組んだ店内は、一見すると営業的な効率はあと回しにした、“ムダ”の多い間取りにも思えます。

もっと席を増やしてお客さんの回転をよくした方が、売り上げは上がると思うのだけど……

「例えば家にいるときでも障子があるだけですごく安心するっていうのは、あるときは見えないで欲しい、あるときは見えて欲しいっていう心理が働くからだと思います。

だから、いつどんなお客さまがいらっしゃってもその方の気分に対応できるように、見え方の違う席を用意しているんです」(林さん)

なるほど。ひとりで来たとき、誰かと来たとき、どんなときでもぴったりその日の気分に寄り添ってくれるのは、こんな贅沢な間取りだからこそできることなのかも。

間接照明が作りだす空間

店全体の雰囲気を左右する大事な演出家が、あちこちに設置された間接照明。

やさしく壁を照らす光は、長年積み重ねてきたタバコのヤニや、中から染み出た塗料の染みも、どこかドラマチックに見せてくれるから不思議です。

そういえばアンセーニュダングルは、最近あまり見ない全席喫煙のお店。これには林さんも、「難しい問題ですね……」と少し困った面持ち。

「どっちがいい、とは言いません。どこに行ったって、自分ひとりのスペースでない限り、自分が100%納得する場所なんてないと思うんです。

気温ひとつをとっても、暑ければ暑さを我慢しなければいけなかったり、寒さを我慢しなければいけなかったり……

だからこそ、片方が満足していれば、もう片方は譲歩してくれているかもしれないっていうところまで考えられないといけない。

“相手が譲歩してくれたから納得できている”というありがたさがわかれば、お互いに納得できるようになるんだと思います」(林さん)

そういえば店内の、柱や段差でくぎられた半個室のような空間は、隣とのちょうどいい距離感を保ちつつ、互いを完全に分断することをしていません。

自分の居場所はありながらも、近くに自分とはちがう誰かがいることを想像する。居心地のいい空間は、そんな人と人との関係性によってもつくられるものなのかもしれません。

目線を逃す14本のバラ

そうそう、アンセーニュダングルを語る上で欠かせないのが、丸くて大きなテーブルに飾られた、14本のバラ。

バラは毎週木曜日、ローズギャラリーから仕入れられ、アール・デコの大きな花瓶の中に生けられます。

殺風景なトイレには、先週までテーブルに生けていたバラを飾っているのだそう

高価なインテリアも多くある店内ですが、実はトータルで1番お金がかかっているのは、このバラなんだとか……。なぜそこまでしてバラにこだわるのでしょうか?

「丸いテーブルで相席をしてもらうと逆側に座った人と目が合ってしまって、どこか居心地が悪くなってしまいますよね。かといって、相手が見えないように壁を作ってしまったら、インテリアが台無しになってしまう……。

だから視線の先にキレイなバラを置いて、目線を逃すことができるようにしているんです」(林さん)

店内にも段差を作り、他のお客さんと目線が合わないようにしている

バラが置かれたメインの丸いテーブルは、3店舗すべてに設置されています。

アンセーニュダングルのインテリアを強く印象付けるこの14本のバラは、オーナー・林さんのしつらえを象徴するかのように、やさしく佇んでいます。

全てが組み合わさって、ひとつの空間ができる

皇室も御用達だという大倉陶園のティーカップ。なんと当時日本に3つしかなかった限定品

「わざわざ足を運んでもらったお客さまの期待を裏切らないよう、しつらえ、味、器、全てにこだわっています」(林さん)

林さんのそんな言葉のとおり、店内にあるものはカップやコーヒー、食べ物、接客に至るまで、そのどれもが一級品。

クロックムッシュも絶品…

3軒目に建てたという自由が丘の店には、エミール・ガレやルイ・マジョレール、エクトール・ギマールといった、フランス、アール・ヌーヴォー時代の高価なアイテムが並びます。

そんなに高価なものばかり揃えているんだから、林さんはさぞ裕福な家の出身なんだろう……と思って聞いてみると、ちょっと意外なひとことが。

ミューラーのランプ

「よく、パリに何年かいたんですかって聞かれますけど、一回も行ったことはないです。九州の田舎で育ったので、若いころはコーヒーすら飲んだことがありません。

はじめはただの知識だったのが、こういうお店があったらいいなっていう思いがあると、いつか実現するんです。ずーっと『こうだったらいいな』という“思い”を持っていると、その出会いがおとずれたときに、見逃さないんですね」(林さん)

ロシアの湯沸かし器「サモワール」

そんな“思い”を嘘にしたくなくて、44年間カフェの経営を続けてきたという林さん。流行を追いかけるだけではない生き方を選んだ林さんの言葉には、節々に強い信念がやどっていました。

居心地のよさをつくりだすちょうどいい“バランス”

原宿店・店長の新名さんにコーヒーを淹れていただきました

「大事なのは、“ものを捉える目”。自分の五感を使って、目で見て耳で聞いて、触って確かめる。その感覚で、これはいいものだな、と思ったものを選べばいいんです」(林さん)

そう語る林さんですが、好きな音楽を聞いてみると、意外にも「ローリング・ストーンズ」との答えが。静かなジャズが流れる店内からは、想像もつかない答えです。

スピーカーは、タンノイ。創業当時から現在まで使い続けているのだとか

店内に「ローリング・ストーンズ」を流さないのは、全体のバランスを考えてこそ。林さんは自分の“こだわり”について、こんなふうに捉えていました。

「こだわりっていうのは自己満足じゃなくて、他の人が見ても『いいですね』って思ってもらえるものじゃないとダメなんです。自己満足でこだわってます、なんて、それじゃ説得力がありませんよね」(林さん)

メインで使っているカップはデンマーク・ロイヤルコペンハーゲン

この取材をとおして見た林さんの店づくりには、自分のこだわりだけでなく、お客さんからの視点がいたるところに織り交ぜられていました。

カップはどれも、コーヒーの濃さと量にマッチする、ちょうどいい大きさ

自分の感覚を大切にしつつ、他人に対する想像力を欠かさない。インテリアも器も、味も、空間も……さまざまな角度から見て、ひとつのものをつくりあげる。

カフェ、アンセーニュダングルの居心地のよさは、そんな全てが組み合わさった、ちょうどいい“バランス”にこそあるのかもしれません。

アンセーニュダングル 原宿店 (Enseigne d’angle )
場所:東京都渋谷区千駄ヶ谷3-61-11 第二駒信ビル B1F
営業時間:10:00~23:00
※日曜営業
電話番号:03-3405-4482

Photographed by Kenya Chiba

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