「いま、instagramで300人しかフォロワーがいない個人ブランドが好きなんですけど、私の友人たちはフォロワー30万人のブランドを支持していて。
本当にその個人ブランドを好きだと思っていいのか、分からないんですよね。なんだか、自分がズレているんじゃないかって」
スマートフォンとSNSが普及し、ブランドの人気がフォロワー数として数値化されることで、浮き彫りになった不安。
とてもミクロなレベルからですが、自分が好きなものですら、「これはいいものだ」と自信を持って判断することが難しい世の中になってきているのだろうか……?
そんな疑問を抱いた時、すぐにあるデザイナーの顔が思い浮かびました。
「人間性の回復」をビジョンとして掲げるアウトドアブランド、スノーピークにおいて、デザインのトップを務める山井梨沙 代表取締役副社長です。
以前のインタビューで、「情報に流されずに自分の正しさに忠実であることって、すごく難しい」と述べていた彼女からなら、何かヒントを得られるかもしれない。
そんな小さな疑問と思いつきから始まったこのインタビューは、学校や都市、自然と文明についての思考を巻き込みながら、スノーピークの核となる「野生」という横顔を照らし出していきました。
なぜ、「人間性の回復」がいま必要なのか?
「その話、ものすごく分かりますよ! というか、私が人生で、そしてスノーピークでずっと考えてきたことそのものです」
経緯をお話しすると、すぐに山井さんはそう仰いました。ほっと胸をなでおろしながら、早速本題へ。「人間性の回復」を掲げてきたスノーピークですが、そもそもなぜ、「人間性の回復」がいま必要なんでしょうか?
「やっぱり、本質的に正しいと思えることを自分で判断して行動できる人が少なくなっていると私は思います。先ほどのSNSの例もそうですが、資本主義的なフィルターの中で、常識や規則、世間のようなものに囚われてしまいがちというか」
それが、人間性が失われ始めていることであると。
「はい。たとえば、自分が生身の人間で、何もない状態だとして、目の前に置かれた物事Aがあるとしますよね。それを世間一般は『いいもの』として扱っているけど、Aは本当にいいものか悪いものか? 自分で考えて、自分の意思で判断を下せる人って少ないと思うのです。
私は『人間性』や『野生』について考えることが多いのですが、『野生』とは、人間に本来、備わっているはずの自分で判断する能力だと考えています。そして、『野生』がある人のことをスノーピークでは、『アウトドアパーソン』と呼んでいる。
そして、スノーピークの役割とは、まさにこの『アウトドアパーソン』を増やすことだと思っていて。実は来季のカタログのテーマも『野生』なんです」
野生を取り戻すことが、そのまま「人間性の回復」に繋がるワケですね。野生と人間性はかなり近いキーワードのように感じます。
学校・教育・規則の中で、野生が失われる
では、そもそもなぜ、野生・人間性と言いますか、「自分で判断する能力」を人は失っていくと思われますか?
「これはあくまで個人的な意見ですが、学校教育や広告は一つありそうですよね。たとえば学校は、人を世の中の常識に合わせるための存在だとも思えます。そういったものによって、少しずつ野生は失われていくのではないでしょうか。
ものすごくプライベートな話になってしまいますが、私は小学校2年生から学校が苦手だったんですよ。一般的に言ったら劣等生というか、全く高学歴ではない」
そうだったのですか。しかし、一体なぜ小学校2年生から……。かなり早い段階だと思われますが。
「子どもながらに、おかしいと思った事件があって。そのきっかけになった大人は、子どもに対して全く責任を持とうとしていないと感じたんです。そして、同時に思ったことは、普段付き合っている大人たちと明らかに違う、ということ。
私は当時から、父(編注:現在の山井太社長)の同僚たちとよくキャンプをしていて、自然との関わりかたを教えてもらったり、反面、自然の怖さを知ったりしてきて。彼らは一般論で物事を判断しない大人たちでした。そしてそこでは、自分が違和感を感じたことには、無理して合わせなくてよかった。しかし、学校では、それが通用しない。
だから、高校も苦手でした。とても些細な校則を守らないだけで、人格否定までされたこともありましたから。それも規則だから、守らなくてはいけないものだから、守る、というようなもので。
当時、私は子どもでしたけど、あくまで自分の責任感で生きていました。人として生きる上で守らなければならないことと、本当は守らなくてもいいと思うのに、規則や常識、世間体からやっていることを見極められるようになりたかった。
でもやっぱり、「私はズレている」とすごく思ってしまったんですけど、スノーピークに入ったらそう思わなくなりました。なぜなら、スノーピークでは、自分が正しいと思っていること=会社が正しいと思っていることになったからです」
それはいったいなぜでしょうか? 梨沙さんはかつて、いわゆる「コレクションブランド」で働かれていて、それがイヤになったと仰っていたことがありますね。それと関係ありますか?
「そうですね……そのブランドは一言でいえば、『愛がなかった』。服は着られて生活が豊かになることが一番大切だと私は思うんです。その意味で、そのコレクションブランドは着る人のことを全く考えていませんでした。そのブランドで働く人同士も、お互いのことを全く考えていないように感じました。
たとえ業界的に評価をされているブランドだとしても、やはり生身の人間を愛することとかけ離れていたのが私には苦しかったんです。だけど、スノーピークではその違和感がすんなり受け入れられた。それはおかしいよ、と。自信になりましたね」
「スノーピークらしさ」とは、本質を考えられること
創業者の山井幸雄氏
しかしながら、スノーピークでは、梨沙さんのお祖父様、そしてお父様にあたる方々が代々アウトドア「ギア」を中心にやられてきた。アパレルを大きな事業として立ち上げることを、批判されなかったのでしょうか?
「それが一切なかったんですよ(笑) もちろん、事業計画として、『いくら収益が見込めるから、いくら投資したい』といった話はしましたが、それ以外は全くない。理由としてはおそらく、自分の進め方が『スノーピークらしい』と認められたからかもしれません」
スノーピークらしい……それは一体どういう感覚なのでしょうか?
「『スノーピークらしさ』とは、AとBの選択肢があるとき、本質的に正しいと思える方を選ぶこと。もしないならば、Cの選択肢を作ることです。私の場合、自分が最初に作ったアパレルのコンセプト『HOME⇄TENT』がまだ世の中に存在していない概念でした。
それまでのアウトドアメーカーのウェアは、アウトドア専用か、アウトドアウェアとしてのスペックを減らして、ファッションとしてのウェアに重きを置いたモノかのどちらかであることが殆ど。その中で、街とアウトドアを接続させる発想が、スノーピークらしいと認められたんでしょうね」
まさにCの選択肢を作られたワケですね。先ほどの野生や人間性、アウトドアパーソンの条件としての「自分で判断する能力」は、まさしく「スノーピークらしさ」と直結しているとも捉えられますね。
なぜ、都市や現在の逆をいくのか?
遺跡でのキャンプイベントは日本初だった
ちなみに、ここ数年は、岩手県北上市で開かれた「LOCAL LIFE TOURISM in KITAKAMI」(ROOMIEでは縄文キャンプと呼んでいる)のように、都市から離れて地方に行き、また現在から離れて縄文という過去に向かわれています。これは一体なぜでしょうか?
「生身の人間としての関係は、地方や自然の中での方が豊かになると考えているんです。現代における都市では、秩序や序列みたいなものがお互いの『鎧』のようになってしまっていると思います。
少し話が逸れるようですが、芸術人類学者/神話学者の石倉敏明さんという方がいらっしゃって、彼曰く、日本人が定住し、稲作文化を築くよりも前、狩猟採集文化によって移住しながら生きてきた歴史の方が長いそうです。その中で人は火を囲み、煮炊きをして生きてきたから脳を進化させられたのだ、と。
だから、私はDNAとしてはその方が自然だし、テントを張って焚火を囲むキャンプを、人が求めるのは当たり前なのだと納得がいったんですよ」
まさしく、岩手県北上市でのイベントでは、それを体感することが目的でしたよね。夜に焚火を囲んでスノーピークの方々や、知らないお客さんと話した時、その鎧がなくなったような気がしました。しかし、逆にですが、人間は原始に戻るべきだと考えられていますか?
「いえ、決してそうではありません。文明の良さとは『責任感』だと私は思っています。人が原始の状態にもどったら、そこも失われてしまいますから」
たしかに、法律もないですからね。殺人や暴力、窃盗などの行為もOKになってしまいますし。その点で都市で文明の利点を謳歌しながらも、アウトドアにわざわざ行ってしまうのは、その重すぎる鎧を脱いで深呼吸をするためなのかもしれませんね。
新ブランドが目指す、「豊かな自然に似合う服」
いま梨沙さんはアパレルの現場を離れ、デザインは若手デザイナーが行なっているそうですね。しかし、そんな中で2020年から新ブランド「yamai」を始められる。この新ブランドでは、どんな服作りにフィーチャーされたいのでしょうか?
「本来、人間も自然界の中の一部だったと思うのです。しかし、文明が発展する中で人間だけが自然の枠組みから外れてしまった。私は、服作りも同じだと思っています。服もすべて自然から生まれたものなのに、その中で『自然である服』から外れていってしまった」
スノーピーク・アパレルでは「野良着」にフィーチャーしたアパレルも出されていますけれど、その理由に近いものを感じますね。
「野良着は日本最古のアウトドアウェアだと思っていて。外で働くために、その土地のもので、その土地の人が、その手で紡いだもの。それを着る、そういった豊かさをyamaiでも取り上げていきたいのです」
--帰り際に渡された、yamaiのコンセプトを記したシートには、「豊かな自然に似合う服」と書かれていました。
訪れた土地で自然の原風景や風土を想う。自然と人、人と人とのつながりを感じる。人間も自然の一部だということに気づく。
山井梨沙さんにとっての「豊かさ」とは、究極的には自然と人、人と人をつなげることとも言えるのでしょう。
そして、その最中で、人間に本来備わっているはずの自分で判断する能力、「野生」を取り戻す。ビジョンである「人間性の回復」とは、どんな時もスノーピークの中心にある焚火のような存在なのかもしれません。
Interview Photography is by Kaoru Mochida
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