大阪の空は、いつになく鈍色だった。
湿気を含んだ風が南海難波の駅前を通り抜け、街の雑音は遠く、まるで現実の喧騒を薄めるようだった。
その場に現れたのは、石破茂首相。
公示後初の大阪入り。
選挙の火蓋は切られていた。
だが、そこには決定的に欠けていたものがあった。
熱狂でも期待でもない。
「信頼」だ。
演説のマイクを握りしめた石破首相は、安全保障、経済政策、災害対策について語った。
「北朝鮮は日本全土を射程に収めるミサイルを持っている」と強調し、「この国の平和は誰が守るのか」と問いかけた。
だが、その問いに、答える者はいなかった。
会場には、拍手の波が起こることもなく。
代わりにそこにいたのは、疲弊した地方議員たちと、目をそらす通行人たち。
そして、もう一つ。
そこに“いなかった”者の不在が、何よりも強烈な存在感を放っていた。

自民党大阪府連会長、青山繁晴氏である。
彼は、来なかった。
いや、来なかったのではない。
「行かない」と決めたのだ。
石破茂首相が大阪で演説を打つその日、青山氏は守口市内の別会場で、別の街頭演説に立った。
同じ党。
同じ選挙。
同じ支持候補。
だが、その場に“首相が来る”ことに、青山氏は公然と反旗を翻した。
その理由は明白だった。
「首相が来るたびに票が減っている」。
そう語った青山氏の声は、地元の空気を正確に映していた。
人々は見ている。
政策の空虚さも、演説の表層も。
そして、“誰が本気で国を思っているか”も。
石破茂首相の経済政策には、確かに理屈がある。
だが、理屈は人を救わない。
「増税はあるが、減税はない」
それが、青山氏の批判の核だった。
庶民の疲弊、物価高、所得停滞。
それらすべてに冷や水を浴びせる政策を、支持できるわけがない。
さらに、外交姿勢――とりわけ中国に対する態度についても、青山氏は厳しく指摘する。
「親中派の影」。
それは、土地買収、スパイ活動、皇室への浸透戦略にまで及ぶ危機意識と結びついている。
高市早苗氏や杉田水脈氏、有村治子氏らが警鐘を鳴らしてきた「国益の侵食」は、現実に起きている。
にもかかわらず、石破政権はその本質を語らず、薄く広がる言葉で問題をぼかし続けた。
その結果が「票を減らす総理」という皮肉なレッテルである。
かつての自民党なら、首相の応援は「票を集める錦の御旗」だった。
今や、それは“地元の努力を壊す人”になりつつある。
青山氏はこうも語っていた。
「票を積み上げてきた16日に、総理が来てすべてが崩れる」。
その懸念は、感情論ではない。
地に足をつけた、選挙現場の“実感”だ。
石破が来ると票が減ると言ってのけたのだ。
さらに彼は、首相の来阪について「党本部や官邸の“縦社会”によるごり押しだ」と断じた。
これは、自民党の“内部腐敗”への告発でもある。

高市早苗氏は、何を思うだろうか。
信念を貫く政治家である彼女にとって、この現状は到底看過できるものではないはずだ。
いま、自民党内には二つの潮流がある。
ひとつは、政権の意向に従い、波風を立てず、沈みゆく船にじっと乗る人々。
もうひとつは、信念を抱き、あえて水をかき回し、再出発の舵を切ろうとする者たちだ。
青山繁晴氏の行動は、その後者に属する。
そして、高市早苗氏もまた、その覚悟を背負うべき人物である。
保守とは何か。
守るとは、誰を守ることなのか。
この国の誇りとは、口先だけで語るものではない。
現実に、リスクを背負って、それでも訴え続ける者だけが、その資格を持つ。
保守派は、いま選ばなければならない。
「石破と共に沈む」のか、
「高市と共に立ち上がる」のか。
政治は誰かがやってくれるものではない。
政治とは、私たちの人生の延長線にある「選択」だ。
そしてその選択の瞬間は、
まさに今、目の前に迫っている。
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※高倉 龍之介(政治フリージャーナリスト・映像クリエイター)