日本代表とポーランド代表が試合をしている最中ですが、本日45歳、すなわち“アラフィフ”を迎えましたので、その所感を記しておきたいと思います。

いまサッカーのワールドカップが開催されており、私はサッカーメディアの1人として、4年に一度の祭典を報じているのですが、スポーツ観戦は母親の影響だと思っています。母の家族は草野球一家で、祖父は台東区軟式野球連盟の会長を務めていたそうで、最初にサッカーを観戦したキッカケも、母が観戦していたトヨタカップだったと記憶しています。

一方、父はスポーツの観戦が“下手”です。いわゆるステレオタイプな“父親”は、野球などのスポーツ観戦を、たしなんでいるものですが、私の父親は野球もサッカーも、ほとんどルールを分かっていない。それだけならば良いのですが、“好プレー”には一切反応しないくせに、“珍プレー”には過剰な反応を示す。選手がミスをしたり、負傷して痛んだりすると「超ウケるwww」という具合です。

スポーツのルールが分からない人間は、こうした反応を示すことが当然なのか、それともスポーツの魅力に関する価値観が異なっているのかは不明ですが、とにかく不愉快なので、私は父とスポーツを観戦する機会はなくなりました。まあ、サッカーの日本代表戦などは、私にとって“最もハードな仕事中”のため、一緒に観戦したくてもできない、というのが実情となっています。

しかし、そんな父も先日ガンだと診断され、転移の状況によっては「最悪で余命半年」と、医者から説明を受けました。手術に耐えられるだけの体力がないため、ぶっちゃけ延命治療をするしかない、ということです。

父は今年79歳。私も同じぐらいの寿命だと仮定すると、人生の折り返し地点は、とっくに過ぎたことになります。これまで生きた時間よりも、これから生きる時間の方が短い。そう考えると、そろそろ“悔い”がないように生きたいという思いが強くなってきました。


少し話は変わりますが、私はTHE BLUE HEARTSの『夢』という歌が好きです。「あれも欲しい、これも欲しい」「あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい」。ストレートな欲望を表明する、インパクトのある歌詞なので、ご存じの方も多いかと思います。私も可能な限り、自分の欲望に忠実な人生を送ってきました。もちろん、うまく行くことばかりではないですが、どんなときもずっと、ふわふわ時間(タイム)を過ごせてきたと自負しています。

しかし、μ'sも放課後ティータイムも限られた時間の中で完結したからこそ美しいのであり、そして『夢』の中にも、このような歌詞があります。おそらく「あれもしたい、これもしたい」よりも、こちらの方が重要なメッセージです。

「限られた時間の中で、借り物の時間の中で、本当の夢を見るんだ」

「あれもしたい、これもしたい」という風に、やりたいことは無数にあっても、実際にやれる時間は限られている。それでは「本当の夢」とは何か。それは、優先順位が高いものだと解釈しています。

振り返ってみると、自分の人生は「優先順位」を考えることに終始していたと思います。自分はメンタルが弱く、危機的状況に陥るとパニックになってしまうため、あらかじめ何事にも優先順位を決めておくようにしています。“臨機応変”は、危機的状況でも冷静な判断ができる人だけに許された選択肢です。自分には、そうした能力がないため、常に優先順位を考えてきました。

そして、これまでの私にとって最も優先順位が高い事項は「いま楽しいことをする」でした。後悔しないために、いまやりたいと思ったことはやっておく、ということです。これまで、この方針で失敗したこともありますが、楽しい時間を過ごせてきたと信じています。

しかし、人生も第3コーナーを回り、4コーナーに差し掛かろうというタイミングで、すっと大きく息を吸ってみると、少し違う景色が見えてきました。もうちょっと大きい夢を持っていいかなと。

体育の通信簿は1か2。子供のころから運動能力は低い方でしたが、年を重ね、単純に運動神経が衰えるだけでなく、体力や気力の総量も落ちていると実感するようになりました。もっと年を取ると、さらに老化が進むはずです。そう考えると、自分にとって最も若い“いま”しかできないことを考え、そして実行(できれば完遂)したい。それが「いま一番やりたいことだ」という結論にたどり着いたのです。

具体的に何をするかは決めていないのですが、この半年とか1年ぐらいで、自分にとっての“本当の夢”は何かを、見つめ直したいと考えています。