さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』
ショートストーリーを
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第七話『In vino veritas
(作:古樹佳夜)

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早朝、カタカタと小さな物音がして

目が覚めた。

隣部屋の海月だろうか?

いや、あの寝坊助が

こんな時間に起きているはずもない。


五時半……

窓の外はぼんやりと白んで、

地平線には太陽の額が覗いている。

月兎はもう動けなくなっている時間だ。

たぶん、音の主は羊だ。

そうに違いない。

 

朝食の時間には少し早いが、

身支度をして様子を見に行くことにした。


羊の奴……

その辺でうたた寝でもしていたら、

風邪を引くからな。

よし、さっさと着替えを済まそう。


壁にかかった鏡で胸のタイを結ぶ。

 

髪がちょっと跳ねてる……

まぁいいか。


慎重にドアノブを捻る。

朝の廊下はシンと静まり返っていた。

念の為、海月の部屋を覗いたが、

大いびきをかいてベッドで眠っていた。

静かに扉を閉める。


それにしてもこの音は

どこからしているのだろう。


耳を澄ますと、

ゴトン、カタン、と、

重いものを動かす音も聞こえる。

まさか、泥棒でもいるのだろうか?

もし泥棒が羊と鉢合わせでもしたら……。


背筋が凍った。

 

とにかく、この音の原因を探らなければ。



音を辿ると、納屋に行き着いた。

納屋の扉は開いている。


「そこに誰か居るのか」


声をかけると音はピタリと止んだ。

返事を待っていたが、返ってこない。


「おい」


もう一度声をかけると、

代わりに舌打ちが返ってきた。


「鈴か?」


俺の名前を呼ぶ、低い声。

のそりと姿を現したのは

泥棒でも羊でもなく、

不機嫌そうなオオカミだった。

その姿に、ホッと胸をなでおろす。


「何か探してたのか?」

「あんたには関係ない」


オオカミはムッとした顔で

服の埃を払っている。

虚を衝かれたのが

気に食わなかったと見えて、

いつもに増して機嫌が悪い。


……微妙な空気だ。

なんとか取り繕いたい。


「手伝うぞ」

「相変わらずのお節介焼きだな、

あんた」


刺々しくそっけない返事だ。

だが、俺は折れないぞ。

これはいい機会かもしれない。

実のところ、

オオカミとの会話を続けたかった。

文字通りの一匹狼で、

普段から何を考えているのか

わからない奴だが、

悪い奴ではないと、思う。

もっとこいつのことを知るべきだ。


「そこには、昔の生徒の遺品とか、

使わなくなった家具しかないぞ」

「フン。よぉく知ってるさ。

だが、それ以外もある」

「それ以外? この中に?」


オオカミは俺を一瞥したが、

質問に答えることはなかった。


「じゃあ、お前は

『それ』を探してるのか?」


後ろ手に納屋の扉を締め、

入り口に置いてあった瓶を拾い上げる。

そしてこの話は終わりだと言わんばかりに

歩き出した。


「おい、それが探し物か?」

「……」

「もったいぶらずに教えろよ」

「俺は詮索されるのが嫌いだ」

「おい、待てったら」

「はぁ……

俺を追い回すつもりか。

まるでどっかの誰かさんだな」

「どっかの誰か?」


尋ねると、

オオカミはいきなり振り向いた。


「ん」


『手を出せ』とジェスチャーする。

言われるままに手を差し出すと、

渡されたのは小さなブリキ缶だった。

使い古されて表面は掠れていたが、

柔らかなタッチで夜空が描かれている。

振ると中からカチャカチャ音がした。


「『誰かさん』に渡せ。

食堂で突っ伏して寝てるから」

「は?」

「じゃあな」


オオカミは去って行った。



朝日の差し込む食堂で

うたた寝をしていたのは羊だった。

テーブルに広げたスケッチブックに

顔を埋め浅い寝息を繰り返している。


「羊、起きろ」

「ん……?」


背中をさするとすぐに目を覚ました。


「あ、おはようございます、

鈴君……」

「まったく。

お前はどうして部屋で寝ないんだ」

「ごめんなさい……」


明け方までここで月兎と

ホットミルクを飲んでいたらしい。

ともかく庭の隅で

凍死していなくて良かった。


「そろそろ朝食だ。

さあ、服を着替えて。

俺はここで支度をするから

他の奴等を起こして来てくれ」

「は、はい。わかりました」


羊が慌ただしくスケッチブックを

たたんでいる時、ふと、

先ほどのことを思い出した。


「そうだ。

オオカミから預かり物があるぞ」

「預かり物?」


ポケットから取り出したケースを見せたが、

羊は小首を傾げたままだった。


「お前のじゃないのか?」

「見覚えが、あるような、

ないような……」

「中に何か入ってて、

音がするぞ。開けてみろよ」

「はい」


錆びたブリキ缶は蓋が固くなっていた。

不器用な羊は四苦八苦している。


「仕方ない、貸してみろ」


俺が少し力を入れるとブリキ缶は

パカンと音を立てて開いた。


「あ……!」


羊が驚いた声を上げる。


「なんだこれ?」


缶の中には色とりどりの

チョークが入っていた。

ほとんどは短くなっている上に

粉もかぶっている。


「パステルです。

失くしたと思ってました……! 

これをどこで?」

「納屋だと思うぞ。

オオカミが見つけて……」


誰かの部屋を片付ける時に、

一緒に納屋に紛れ込んだのか。


「僕、オオカミ君にお礼をしてきます」

「あ、おい! 

羊、朝食は……!」


羊は脇目も振らず食堂を

出て行ってしまった。

背中を見送りながら、

俺は思い出した。

羊は優柔不断なくせに、

オオカミのこととなると

一も二もなく飛び出すんだ。

もっとも、

自覚はないようだが……。