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週刊 石のスープ
創刊記念特別号[2011年9月15日号/通巻No.1]
今号の執筆担当:渡部真
※この記事は、2011年9月に「まぐまぐ」を通じて配信されたものを、「ニコニコ・チャンネル」用に再配信したものです。
東日本大震災の最初の地震が発生してから半年が経ちました。
「週刊 石のスープ」はこの震災半年というタイミングで創刊したばかり。今月は、来月以降に予定している通常の連載とは違い、筆者達の自己紹介などを順次お送りする予定です。ということで、今回は僕、渡部真が担当しています。
2011年3月11日14時46分、僕は自宅の仕事場で作業をしていました。
Twitterのログなどで確認すると、東京ではっきりと地震を感じたのは1〜2分後だったようです。遠くから微かながら力強い揺れを長く感じ、徐々に大 きくなっていき、家中の棚やタンスなどが倒れんばかりに揺れ、棚と壁とがぶつかる大きな音が何度もして、書類、食器などたくさんの物が散乱しました。
その後、家族の安否確認や、進めている仕事の連絡などを取りつつ、Twitterで流れてくるタイムラインの情報を精査しながらリツイートしたり、NHKなどから流れてくる情報を、Twitterやメーリングリストなどで「ハブ」になって伝えたりして過ごしました。
皆さんは、あの時、どんな時間を過ごしていたでしょうか?
翌日、僕が所属しているジャーナリストの団体「自由報道協会」の事務所には、フリーランス、雑誌、ネットメディアなどのジャーナリスト達が集合していまし た。東京電力や原子力安全・保安院、政府の記者会見などに参加するため、その待機場所として事務所を開放していたのです。この日ばかりは、霞が関や永田町 の周辺に事務所があるありがたみを実感しましたね。
フリーランスライターの畠山理仁さんなどが事務所を出入りして記者会見に向かう中、僕は事務所で待機し、みんなの食料を調達したり、情報収集して伝えたりしながら、時おり保安院の会見などにも参加。
すでにコンビニエンスストアでは、食料不足が始まっていてオニギリなどが一斉に棚から消えてしまっていました。そのため、フリージャーナリストの江川紹子 さんは、みんなの食事を用意するため、何度か自宅に戻ってオニギリを大量に作って来てくれたり、逆に、急にニコニコ生放送に出演が決まった江川さんを畠山 さんが車で送ったりと、事務所に集まったみんなで協力し合いながら、日本中が混乱する12日を過ごしていました。
NHKやニコニコ生放 送を見ながら、フリーライターの渋井哲也さんと話していた時だと思います。ビデオジャーナリストの神保哲生さん(ビデオニュース・ドットコム)が、すでに 11日から被災地に向かい、12日の夜には一度東京に戻り、福島県相馬市の様子を伝えているという情報が入って来ました。僕にとって神保さんは以前から尊 敬するジャーナリストの一人。「さすが神保さんだなぁ」と素直に感心しました。それと同時に、自分たちが東京にいて会見場にいても、被災地で何が起こって いるのか、さっぱり実態がつかめないことにフラストレーションが溜まっていました。
12日は、東京電力福島第一原発が爆発し、数人の被曝者が出 たと保安院が発表した日です。僕も保安院の会見で質問などをして取材していましたが、1〜2時間おきに開かれる会見のたびに保安院の発表が違うのです。し かも、会見で説明する保安院の担当者達も、現地から入ってくる情報を正確に認識していないために、こちらの質問にはほとんど答えられない状態でした。政府 も、東電も、そして被災している現地も、相当に混乱しているんだろういうことが容易に想像できました。
情報が混乱している中で、一緒に 事務所で待機していたフリーライターの渋井哲也さんが「こんな所にいても、あんまり意味ないなぁ。現地に行きたいけど、足(移動手段)がないからなぁ」と ポツリ。たしかに、当時は電車も動いていないし、高速道路も遮断されている状態でした。東京にいるフリーランサーの中には、車を持っていない人もたくさん います。カメラマンなどは、機材を運搬するために車を持っている人たくさんいるんです。一方、ライターは荷物が少ないから、むしろフットワークを軽くする という意味でも、東京では車じゃない方がいい場合が多い。しかし、今回の取材に車は必需品でした。
だったら、移動手段のないフリーランサーを僕の車で現地に運んで後方支援をしようか?
僕自身は、速報メディアにはほとんど関わっていないので、現地の様子を取材する必要はありませんでしたが、その代わりに、かなり悪条件でも車を運転する技術と、何時間も運転し続ける体力の自信はありました。
自由報道協会をはじめとしてフリーランサーに声をかけたところ、渋井さんや数名の記者が一緒に行きたいと返事をくれました。そして、地震から4日後の3月15日、茨城県に向かってオンボロ車で東京を出発。
こうして、僕の被災地取材が始まりました。
前述したとおり、この時の僕は自分が取材することよりも、フリーランサー達の後方支援をするつもりでした。ですから、長くても1か月くらい、何度か東北まで往復する程度だと思っていて、まさかこれほど取材を続けることになろうとは……
今、この原稿は、継続取材している福島県相馬市のある中学校の生徒相談室で書いています。
校長先生のお話を聞くため待っているのですが、もう少し待っていて欲しいということで、昨日までに書きかけた原稿を仕上げています。
全校生徒の100人足らずの小さな学校。
生徒達の合唱が聴こえてきます。
廊下を通る顔見知りの生徒達が、久しぶりに会う僕に「お久しぶりで〜す」と笑顔を見せてくれています。
僕は、フリーランスになってから学校取材を続けてきましたが、学校のまったりした雰囲気が好きです。自分が学生の時は学校なんて好きじゃなくて、サボってばかりだったんですけどね。
そんな僕は、これまで災害取材なんて関わってこなかったし、今回の大震災でも、取材するつもりも覚悟もなかったんですが、すでに取材日数は述べ50日を超え、取材のために走った走行距離は2万キロを超えました。
どうしてこんなに取材することになったか、その事はおいおい書いていきたいと思います。
今後の連載では、東日本大震災の取材告、他の取材のエピソード、出版フリーランサーとしての日々の出来事などを書いて行く予定です。
次回に僕が担当する記事では、来月発売予定の新刊「自由報道協会が追った3.11」の制作苦労話……基、制作秘話を書くつもりです。
記事には現れないエピソードをご紹介し、本を読んだ方が、さらに興味深く記事を読めるようにしたいと思っています。
今後ともぜひお楽しみに。
渡部真 わたべ・まこと
1967 年、東京都生まれ。広告制作会社を経て、フリーランス編集者・ライターとなる。下町文化、映画、教育問題など、幅広い分野で取材を続け、編集中心に、執 筆、撮影、デザインとプリプレス全般において様々な活動を展開。東日本大震災以降、東北各地で取材活動を続けている。
[Twitter] @craft_box
[ブログ] CRAFT BOX ブログ「節穴の目」
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