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「小林信一対談企画 ~対談より愛を込めて~」
第1弾ギタリスト“PANTHER”氏
第1回無料公開(全4回) 毎週金曜日12:00更新予定。
小林信一がお話したかったミュージシャンを勝手に呼んでしまおうの対談企画!
記念すべき第1回目はPANTHER氏(ex.SEX MACHINEGUNS、the CYCLE)をお迎えしまして、
小林信一によるギタリスト目線でのあんなことやこんなことをロング対談しました!
1回目は無料ですのでぜひお読みください。
(2回目以降は有料購読です。全4回)
小林信一(以下、小) お忙しい中ありがとうございます。
初めてお会いしたのは地獄カルテットとの・・・
PANTHER(以下、P) あれはいつでしたっけ?プロレスの時でしたっけ?
小 確かいろんな対バンがいた数年前のイベントでしたよね。
P あの時の打ち上げみたいなのを別日でやって。
小 そう、その時にお話させていただいて。
P それが初めてでしたか?
小 そうだったと思います。
P もちろん、存じ上げてはいたんですが、なかなか機会がなくて。
小 いえいえ、ありがとうございます(笑)
だいぶ前に、MIのホールでヤング・ギターか何かのDVD撮影?をしている時にお見かけしたんですよ。
P 覚えてますね。嫌な思い出です(笑)というか、その時が奏法を撮影されるのが初めてだったんですよ。俺弾くときの癖があって、組んでいる足がどんどん上がってきちゃうんですよ。そうするとギターが映らないから、撮影スタッフに「足!足!!」って足のダメ出しがありました。
小 そんな感じだったんですね。
P 奏法撮影は結構大変なんだなと。
小 あの雰囲気嫌ですよね。
P 小林さんよく撮影されていますよね?
小 やってますね~
P あれ慣れないと上手くできないですね。
小 そうですよね。
それでその撮影のとき初めてPANTHERさんに遭遇したんです。
P ニアミス的な?声かけて下さいよ(笑)
小 MIの生徒が「本物だよ!本物!」ってみんな緊張しちゃってました(笑)
P 撮影はなかなかいい経験ですね。
小 撮影内容はインストバンドでしたか?
P SEX MACHINEGUNSの最後くらいにELLEGUNSというバンドをやっていて、そのバンドでインストのCDを研次郎とJOEで出して、それの解説をやりました。
小 まだthe CYCLE名義じゃないんですね。
P じゃなかったですね。まだあの時は。
そのあと、その流れでMIさんでクリニックツアーというのをやらせていただきました。
小 じゃあ全国を回られたんですね。
P 割とくまなく回りました。
小 その頃ってMI金沢校とMI広島校ってありましたか?
P 広島校は行きましたね。金沢校も行ったと思います。
小 まだあった時なんですね。
P 今ないんですか?
小 今ないんですよ。広島校と金沢校がなくなってしまって・・・
P 広島校もないんですね。
小 だとすると、何年頃ですか?
P だいたい2006年くらいですね。
小 結構経っていますね。それからそのままのメンバーでthe CYCLEに?
P その流れでthe CYCLEをやるようになりました。
小 そういう流れだったんですね。
小 さて話変わりまして、PANTHERさんの生い立ちをお聞きしたいです。
P 生い立ち(笑)
小 PANTHERさんは1970年生まれで僕と同じなんですよね。
P そうなんですよ。
小 『PANTHER(ギタリスト)』っていうウィキペディア見てきました。
P (笑)
小 PANTHERさんは7月生まれで、僕は10月生まれなんですよ。1970年なんで同じようなものを見てきたって感じですよね?ご出身は?
P 三重県なんですよ。
小 関西?
P 関西といえば関西なんですけど、あんまりピンと来ないでしょ?(笑)名古屋と大阪の間くらいですね。どっちにも嫌われているんですよ(笑)
小 音楽活動の方はどちらで?
P ド田舎だったし、今みたいにどこででもバンド活動ができるってわけではなかったので、とりあえず名古屋か大阪に行くしかなくて、高校を出てハードロック、ヘヴィメタルをやるなら大阪ちゃうかなということで、大阪に行きバンド活動をいろいろと。
小 そうですね。後にV系が出てきて名古屋って感じはありましたけど、我々世代は大阪ですよね。お手本は東京のバンドと大阪のバンドの先輩方でした。
P “とりあえず”って感じで大阪行きました。何のあてもなかったんですけど(笑)
小 ギターを始めたきっかけは何だったんですか?
P よくありがちなんですが、中学の時の文化祭で44MAGNUMだったかEARTHSHAKERのコピーをやっている先輩がいて、普段はヤンチャしている先輩なんですけどめっちゃかっこよくて、「カッコイイな~」と思ったのがきっかけですかね。俺もやりたいな~みたいな。
小 中学ですか!?
P 中2くらいかな。
小 中学でバンドやっている人が・・・
P いたんですよ。今聞けばたいしたことないと思いますが、当時は凄いなと。でやりたいなと思ったんですが、ギターとかなかなか買えないじゃないですか。
小 そうですよね。
P その先輩はギターだったんですけど多分フライングVか何か使っていたので、フライングVが欲しかったんです。お金も無いし買えないんで、とりあえず親に「高校合格したら買ってあげる」的な約束を何とか取り付けまして、買ってあげるにはここの高校入らなあかんということだったので、勉強を頑張り、なんとか入れたんです。で、買ってもらったのが、44MAGNUMのJIMMYさんモデルだったんです。
小 なるほど。
P 白いVです。それが高校入った時で、それからギターを弾き始めました。
小 最初に見たVのイメージが強いんですね。
P 最初のギターがVって割りと勇気いるじゃないですか。今考えたら。でも当時はそんなの全然わからないので、とりあえず見た目で選んだVを買ってもらいました。
小 高校入ってすぐギターをスタートしたんですね。
P そうですね。
小 高校入ってからは軽音部とか入ったんですか?
P 学校にはそういうのが無かったので、音楽好きな奴らが集まって。でも、ドラム叩けたりベース弾けたりする奴がいないので、とりあえずやったことない奴やけど、無理やり「ベースやって!」とか「ドラムやって!」って感じで。
小 やっぱりそうなりますよね。あの頃は。
P ボーカルだけなんとなく歌える奴で。まぁ文化祭バンドというかそのレベルですけど、高1から高2くらいまではやっていましたね。
小 全く一緒ですね。僕もそうでした。周りにバリバリやれる奴なんて探せないので、同級生の友達を無理やりベースシストにさせたり、お金ありそうな奴はキーボードディストにしたりして(笑)そういう感じでやってましたね。
僕はBON JOVIとか安全地帯が好きなのでそれをやってたんですけど、
どんなのをコピーしていましたか?
P BON JOVIもやったけど、結局歌が歌えないので日本のEARTHSHAKERとかやってたんですが、でもなんとなく洋楽もやりたいからRATTやったりしてました。あとLOUDNESSとかです。そう、LOUDNESSやってましたね~。
小 僕はEARTHSHAKERばっかりでしたね。
P 別れますよね。EARTHSHAKER派か、LOUDNESS派か。
小 あの時はそうですよね。
P EARTHSHAKERも好きだったんですけど、コピーしたという意味ではやっぱりLOUDNESSになりますね。
小 LOUDNESSはギターギターしてますからね。
P 『100%高崎晃』(ヤング・ギターの別冊本)とか購入して。『100%LOUDNESS』っていうのもありました。当時ネットなんかなかったので、あれが一番の情報源。
小 “100%シリーズ”は本当お世話になりました。とりあえず、高崎晃さんに近づくため、左手をギターの上から構えて両手タッピングみたいな(笑)
P そうですね。
小 邦楽だとBOOWYだったりとかTHE BLUE HEARTSですよね。周りは。
P あの時はジャパメタやメタルが下がり始めてたときですよね。
小 そうなんですよね。
P 俺らの時はTM NETWORKとかBOOWYのバンドと、メタル系のバンドがいたけど、圧倒的にJ-POP的な方が人が多いって状況になってましたね。
小 ええ、盛り上がっていましたね。
P まだバンドブームの前でしたもんね。イカ天とかは・・・
小 もうちょっと後でしたもんね。
P 結構肩身は狭かったですね。ヘビーメタルは。クラスに2、3人居れば十分みたいな。
小 僕は軽音部でいろいろやらされていましたよ。
P あぁ~そっち側の方も(笑)
小 そうそっち側の方も(笑)
PRINCESS PRINCESSやらされちゃったりとか(笑)
P マジっすか~
小 REBECCAやらされたり、そういう感じでしたね、高校の時は。
P そうなんですね。当時、三重県にライブハウスが無くて、ちっちゃいホールを皆で貸し切り、お金出しあって、身内ばっかりでライブをやるってのはありました。ちゃんとブッキングがどうだとかは高校時代はやってないですね。それで高校出て大阪行って、ちゃんと活動できるバンドに入ったって感じです。当時18、19歳で髪の毛こんな感じで(身振り手振りでAIONやXの髪型を)まだ大阪には多かったんですよ。
小 多かった感じですよね。
P 大阪ではAIONが熱い時期であんな感じのことをやってたんですよ。カッコイイな~と思って。
小 じゃサウンドも?
P そうですね。ああいう感じに近いバンドかな~?もうちょっとスピード・メタル的で、ちょっとHELLOWEENみたいな曲なんやけど、髪の毛はこんなん(また身振り手振りでAIONやXの様な髪型を)なっているみたいな感じでした。
小 なるほど。
P それが最初ですかね。ちょこちょこ東京来たりした、ちゃんと活動したバンドは。
小 その頃のギタースタイル的にはどんな感じでしたか?
P ぶっちゃけ変わってないんですよね。始めた頃にだいたいこういう人になりたいってあるじゃないですか。結局それがブレてないまま今まで来てるって感じです。
小 なるほど。どんなギタリストが直球ストレートなんですか?
P めっちゃ近い人になっちゃうんですけど、白田一秀さん(元PRESENCE、元GRAND SLAM、DAIDA LAIDA)なんです。テクニックがあって美しいギタリストに凄く憧れてて、どっちかって人はいっぱい居るじゃないですか、両方を兼ね備えている人はあまり居なくて、白田さんは高校の時からよく見に行ってました。まだPRESENCEの時ですかね~白田さんモデルも買いました。
小 あっそうなんですね。
P 当時グレコだったと思います。今は違いますけど。割りと近いところの憧れの人が白田さんですね。
小 へ~そうなんですね。
P 僕が影響受けたのは・・・
つづく。
「小林信一対談企画 〜対談より愛を込めて〜」
第1弾ギタリスト“PANTHER”氏 第2回(全4回)
http://ch.nicovideo.jp/shinicni/blomaga/ar542542
第1弾ギタリスト“PANTHER”氏
第1回無料公開(全4回) 毎週金曜日12:00更新予定。
小林信一がお話したかったミュージシャンを勝手に呼んでしまおうの対談企画!
記念すべき第1回目はPANTHER氏(ex.SEX MACHINEGUNS、the CYCLE)をお迎えしまして、
小林信一によるギタリスト目線でのあんなことやこんなことをロング対談しました!
1回目は無料ですのでぜひお読みください。
(2回目以降は有料購読です。全4回)
小林信一(以下、小) お忙しい中ありがとうございます。
初めてお会いしたのは地獄カルテットとの・・・
PANTHER(以下、P) あれはいつでしたっけ?プロレスの時でしたっけ?
小 確かいろんな対バンがいた数年前のイベントでしたよね。
P あの時の打ち上げみたいなのを別日でやって。
小 そう、その時にお話させていただいて。
P それが初めてでしたか?
小 そうだったと思います。
P もちろん、存じ上げてはいたんですが、なかなか機会がなくて。
小 いえいえ、ありがとうございます(笑)
だいぶ前に、MIのホールでヤング・ギターか何かのDVD撮影?をしている時にお見かけしたんですよ。
P 覚えてますね。嫌な思い出です(笑)というか、その時が奏法を撮影されるのが初めてだったんですよ。俺弾くときの癖があって、組んでいる足がどんどん上がってきちゃうんですよ。そうするとギターが映らないから、撮影スタッフに「足!足!!」って足のダメ出しがありました。
小 そんな感じだったんですね。
P 奏法撮影は結構大変なんだなと。
小 あの雰囲気嫌ですよね。
P 小林さんよく撮影されていますよね?
小 やってますね~
P あれ慣れないと上手くできないですね。
小 そうですよね。
それでその撮影のとき初めてPANTHERさんに遭遇したんです。
P ニアミス的な?声かけて下さいよ(笑)
小 MIの生徒が「本物だよ!本物!」ってみんな緊張しちゃってました(笑)
P 撮影はなかなかいい経験ですね。
小 撮影内容はインストバンドでしたか?
P SEX MACHINEGUNSの最後くらいにELLEGUNSというバンドをやっていて、そのバンドでインストのCDを研次郎とJOEで出して、それの解説をやりました。
小 まだthe CYCLE名義じゃないんですね。
P じゃなかったですね。まだあの時は。
そのあと、その流れでMIさんでクリニックツアーというのをやらせていただきました。
小 じゃあ全国を回られたんですね。
P 割とくまなく回りました。
小 その頃ってMI金沢校とMI広島校ってありましたか?
P 広島校は行きましたね。金沢校も行ったと思います。
小 まだあった時なんですね。
P 今ないんですか?
小 今ないんですよ。広島校と金沢校がなくなってしまって・・・
P 広島校もないんですね。
小 だとすると、何年頃ですか?
P だいたい2006年くらいですね。
小 結構経っていますね。それからそのままのメンバーでthe CYCLEに?
P その流れでthe CYCLEをやるようになりました。
小 そういう流れだったんですね。
小 さて話変わりまして、PANTHERさんの生い立ちをお聞きしたいです。
P 生い立ち(笑)
小 PANTHERさんは1970年生まれで僕と同じなんですよね。
P そうなんですよ。
小 『PANTHER(ギタリスト)』っていうウィキペディア見てきました。
P (笑)
小 PANTHERさんは7月生まれで、僕は10月生まれなんですよ。1970年なんで同じようなものを見てきたって感じですよね?ご出身は?
P 三重県なんですよ。
小 関西?
P 関西といえば関西なんですけど、あんまりピンと来ないでしょ?(笑)名古屋と大阪の間くらいですね。どっちにも嫌われているんですよ(笑)
小 音楽活動の方はどちらで?
P ド田舎だったし、今みたいにどこででもバンド活動ができるってわけではなかったので、とりあえず名古屋か大阪に行くしかなくて、高校を出てハードロック、ヘヴィメタルをやるなら大阪ちゃうかなということで、大阪に行きバンド活動をいろいろと。
小 そうですね。後にV系が出てきて名古屋って感じはありましたけど、我々世代は大阪ですよね。お手本は東京のバンドと大阪のバンドの先輩方でした。
P “とりあえず”って感じで大阪行きました。何のあてもなかったんですけど(笑)
小 ギターを始めたきっかけは何だったんですか?
P よくありがちなんですが、中学の時の文化祭で44MAGNUMだったかEARTHSHAKERのコピーをやっている先輩がいて、普段はヤンチャしている先輩なんですけどめっちゃかっこよくて、「カッコイイな~」と思ったのがきっかけですかね。俺もやりたいな~みたいな。
小 中学ですか!?
P 中2くらいかな。
小 中学でバンドやっている人が・・・
P いたんですよ。今聞けばたいしたことないと思いますが、当時は凄いなと。でやりたいなと思ったんですが、ギターとかなかなか買えないじゃないですか。
小 そうですよね。
P その先輩はギターだったんですけど多分フライングVか何か使っていたので、フライングVが欲しかったんです。お金も無いし買えないんで、とりあえず親に「高校合格したら買ってあげる」的な約束を何とか取り付けまして、買ってあげるにはここの高校入らなあかんということだったので、勉強を頑張り、なんとか入れたんです。で、買ってもらったのが、44MAGNUMのJIMMYさんモデルだったんです。
小 なるほど。
P 白いVです。それが高校入った時で、それからギターを弾き始めました。
小 最初に見たVのイメージが強いんですね。
P 最初のギターがVって割りと勇気いるじゃないですか。今考えたら。でも当時はそんなの全然わからないので、とりあえず見た目で選んだVを買ってもらいました。
小 高校入ってすぐギターをスタートしたんですね。
P そうですね。
小 高校入ってからは軽音部とか入ったんですか?
P 学校にはそういうのが無かったので、音楽好きな奴らが集まって。でも、ドラム叩けたりベース弾けたりする奴がいないので、とりあえずやったことない奴やけど、無理やり「ベースやって!」とか「ドラムやって!」って感じで。
小 やっぱりそうなりますよね。あの頃は。
P ボーカルだけなんとなく歌える奴で。まぁ文化祭バンドというかそのレベルですけど、高1から高2くらいまではやっていましたね。
小 全く一緒ですね。僕もそうでした。周りにバリバリやれる奴なんて探せないので、同級生の友達を無理やりベースシストにさせたり、お金ありそうな奴はキーボードディストにしたりして(笑)そういう感じでやってましたね。
僕はBON JOVIとか安全地帯が好きなのでそれをやってたんですけど、
どんなのをコピーしていましたか?
P BON JOVIもやったけど、結局歌が歌えないので日本のEARTHSHAKERとかやってたんですが、でもなんとなく洋楽もやりたいからRATTやったりしてました。あとLOUDNESSとかです。そう、LOUDNESSやってましたね~。
小 僕はEARTHSHAKERばっかりでしたね。
P 別れますよね。EARTHSHAKER派か、LOUDNESS派か。
小 あの時はそうですよね。
P EARTHSHAKERも好きだったんですけど、コピーしたという意味ではやっぱりLOUDNESSになりますね。
小 LOUDNESSはギターギターしてますからね。
P 『100%高崎晃』(ヤング・ギターの別冊本)とか購入して。『100%LOUDNESS』っていうのもありました。当時ネットなんかなかったので、あれが一番の情報源。
小 “100%シリーズ”は本当お世話になりました。とりあえず、高崎晃さんに近づくため、左手をギターの上から構えて両手タッピングみたいな(笑)
P そうですね。
小 邦楽だとBOOWYだったりとかTHE BLUE HEARTSですよね。周りは。
P あの時はジャパメタやメタルが下がり始めてたときですよね。
小 そうなんですよね。
P 俺らの時はTM NETWORKとかBOOWYのバンドと、メタル系のバンドがいたけど、圧倒的にJ-POP的な方が人が多いって状況になってましたね。
小 ええ、盛り上がっていましたね。
P まだバンドブームの前でしたもんね。イカ天とかは・・・
小 もうちょっと後でしたもんね。
P 結構肩身は狭かったですね。ヘビーメタルは。クラスに2、3人居れば十分みたいな。
小 僕は軽音部でいろいろやらされていましたよ。
P あぁ~そっち側の方も(笑)
小 そうそっち側の方も(笑)
PRINCESS PRINCESSやらされちゃったりとか(笑)
P マジっすか~
小 REBECCAやらされたり、そういう感じでしたね、高校の時は。
P そうなんですね。当時、三重県にライブハウスが無くて、ちっちゃいホールを皆で貸し切り、お金出しあって、身内ばっかりでライブをやるってのはありました。ちゃんとブッキングがどうだとかは高校時代はやってないですね。それで高校出て大阪行って、ちゃんと活動できるバンドに入ったって感じです。当時18、19歳で髪の毛こんな感じで(身振り手振りでAIONやXの髪型を)まだ大阪には多かったんですよ。
小 多かった感じですよね。
P 大阪ではAIONが熱い時期であんな感じのことをやってたんですよ。カッコイイな~と思って。
小 じゃサウンドも?
P そうですね。ああいう感じに近いバンドかな~?もうちょっとスピード・メタル的で、ちょっとHELLOWEENみたいな曲なんやけど、髪の毛はこんなん(また身振り手振りでAIONやXの様な髪型を)なっているみたいな感じでした。
小 なるほど。
P それが最初ですかね。ちょこちょこ東京来たりした、ちゃんと活動したバンドは。
小 その頃のギタースタイル的にはどんな感じでしたか?
P ぶっちゃけ変わってないんですよね。始めた頃にだいたいこういう人になりたいってあるじゃないですか。結局それがブレてないまま今まで来てるって感じです。
小 なるほど。どんなギタリストが直球ストレートなんですか?
P めっちゃ近い人になっちゃうんですけど、白田一秀さん(元PRESENCE、元GRAND SLAM、DAIDA LAIDA)なんです。テクニックがあって美しいギタリストに凄く憧れてて、どっちかって人はいっぱい居るじゃないですか、両方を兼ね備えている人はあまり居なくて、白田さんは高校の時からよく見に行ってました。まだPRESENCEの時ですかね~白田さんモデルも買いました。
小 あっそうなんですね。
P 当時グレコだったと思います。今は違いますけど。割りと近いところの憧れの人が白田さんですね。
小 へ~そうなんですね。
P 僕が影響受けたのは・・・
つづく。
「小林信一対談企画 〜対談より愛を込めて〜」
第1弾ギタリスト“PANTHER”氏 第2回(全4回)
http://ch.nicovideo.jp/shinicni/blomaga/ar542542
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