
3
兵御院の用意したリムジンに、姫花は乗っていた。
自分の生きていた時代には想像すらできぬ、引く者なく動く鉄の車。最初こそ戸惑ったが、数分も経つうちに、その座り心地のいい椅子にすっかり慣れてしまった。
運転席とはガラスで隔てられ、座席は向かい合わせに設えられている。
興味深げに、姫花は運転席を覗き込んだ。
何が何やら姫花にはわからなかったが、動きを操作するらしい円状のもの――ハンドルを握るドライバーの顔には、色濃く疲労が浮かんでいるのは見て取れた。
「そも、荒神とはなんなのか、姫花さまはご存じでいらっしゃいますか?」
兵御院が問うた。姫花はとすっと座席に座り、意外そうな顔を兵御院に向けた。
「? そんなの誰でも知っていることでしょう」
「いえいえ……。我々の時代には、不完全な伝承しか残されておりませんでな」
「……そこまで時間が経っているのね」
姫花は窓の外に目をやった。
空気は毒霧に汚染され、出歩く人影はまるでない。
死に絶えたかのように静まっている。
道はむき出しの土ではなく、継ぎ目のない石で舗装されていた。
木目の生きた街並みは消え失せ、堅牢そうな家々が立ち並ぶ。城壁を思わせるような、高い石造りの建物。無論、石ではなくコンクリートなのだが、姫花は知らない。
「本当に、ここは私の知る時代ではないのね……」
荒神を倒す。その決意に変わりはない。
しかし、目の前に突き付けられた時間の流れは、姫花を不安にさせる。
姫花はため息をついた。
「……荒神の正体だけど。あれは、古の豪族の悪霊よ」
姫花の答えに、兵御院は目を見張った。
「なんと……。姫花さまより、さらに古い時代のものでしたか」
「そう。生野には、墓所である古墳が散在している。そのうちの一つに眠っていた、古代人。この国を支配しようという野望を半ばに絶たれた、強欲な男よ」
兵御院は首を振った。
「いやはや、我々には想像もできませんなあ。男と生まれたからには、野望に燃えるというところだけはわかりますが、な」
「治めるべき領民を苦しめて、何が王よ!」
姫花は兵御院を睨みつけた。男は恐縮して頭を下げる。
「……荒神は私がこの地に来るまで、民を苦しめていたわ。竹田の城も、交通の要衝であると共に、荒神に対するために建造されたものだったの」
「ほう、それは興味深い。生の歴史というやつですな」
「私はあいつを放っておけなかった。ここの人たちは好きだったし、民を守るために戦う。それが民を治める者の役目だと言われて育った」
「姫花さまのお生まれは、高貴な血筋なのですな」
「生野を名乗ってはいるけれど、私は竹田の城を築いた氏族のゆかりの女よ。だから、あの城に封印されたのね」
「左様でございましたか。溢れ出る高貴さは消せぬものですなぁ」
「お世辞はいいわ」
冗談めかした兵御院の言葉に、姫花は年相応の笑い顔で答えた。
「荒神はどこにいるの?」
少しだけ笑いを残したまま、姫花は兵御院に聞いた。
「封印されし銀山にいるものと思われます。確約はありませんが、間違いはないでしょうな」
遠回しな言い方に、姫花は違和感を覚えた。首を傾げる。
「? 不思議な物言いね。どういうこと?」
「夢、でございますよ」
「夢……? 荒神の夢でも見るというの?」
「左様……詳しくは、わしよりもこの者のほうがよろしいでしょうな」
兵御院は、運転席のガラスを叩いた。
車が路肩に止まった。運転席を隔てていたガラスが開く。
「ご用でしょうか?」
「この方に、例の夢の話を……」
運転手は姫花に一礼してから、口を開いた。
「数日前……今から思えば、荒神の封印が解かれたときだったのでしょう。それから、毎日同じ夢を見るのでございます」
運転手が疲れた顔で語る。目の下には隈が浮いていた。
「暗い、炭鉱の奥で、声だけが響くのです」
「声……?」
「はい。目覚めても耳に残っております。『数百年経ちても恨みは薄れぬ。我が心を安らがすため、娘を一人、妃に捧げよ。さなくば、この地に住まう人間は、一人残らず贄とする』と」
身震いするようにしてから、続ける。
「それから、緑色の霧があふれ、息ができなくなります。苦しさのあまり目が覚める。これが毎日でございます」
運転手が口を閉ざすと、兵御院が続ける。
「街の人間すべてが、どうやらこんな夢を見ているようでしてな」
手振りをすると、ガラスが閉まり、車がまた動き出した。
「……妃ですって? 体のいい生贄じゃない!」
姫花が語気荒く吐き捨てる。
「左様……。ですが、あの者の顔をご覧になったでしょう。眠るたび悪夢にうなされるようでは、あの憔悴も頷けまする。街の者たちも同様です。そうなれば、当然……」
「…………っ!」
姫花の目に、燃えるような怒りが宿る。
まさか、一人を犠牲にして助かろうなどというのか?
「このままではいずれ街の人々は夢と毒で、取り殺されるでしょう」
「だからと言って……!」
「あくまでも花嫁でございますよ。命までは取られますまい」
姫花は唇を噛んだ。
一人の人生と、街の人の命。
その二つを天秤にかけた時、どちらが重くなるか。
「そんなこと、させられない」
だからと言って、一人にすべてをかぶせていいとは思えなかった。
誰も不幸にしたくなかった。だから戦ったのだ。
いま、覚えられていなくても、自分が何より覚えている。
車が停車した。交差点だ。
信号が青に、黄色に、赤に変わり、明滅を繰り返す。
窓の外を見やって、姫花はつぶやいた。
「妖力の光とも思えないわ。不思議なものね」
「我々にはごく当たり前のことですが、姫花さまには慣れぬことばかりでご不安でしょうな」
再び車が走り出す。エンジンが吹き上がる音がかすかに聞こえた。
「いいえ。荒神がいる限り、私のすべきことに変わりはないわ」
不安がないと言えば嘘だ。
だが、やるべきことがある。
弱音を吐くのはそのあとでいいはずだ。
「お覚悟、ご立派でございます……」
兵御院は顔を伏せた。しわがれた声で姫花に告げた。
「この車は、生野銀山に向かっております。銀鉱の奥に荒神が。すでに坑道からは毒があふれ出しているとの報告です。お気をつけて」
4
やがて、銀山の入り口についた。
あたりはうっすらと緑がかった霧が漂っていた。ツンとした臭いが、姫花の鼻をつく。
横で兵御院が軽く咳き込んだ。
花の文様の彫刻された門があり、その前に盛大に篝火が焚かれている。
周りには人々が集まっていた。皆、口と鼻を布で覆っている。
篝火の前には木製の祭壇が設えられていた。その横に、一風変わった装束を身にまとった少女が、俯いて立っている。年は十代の半ば……姫花より、少し若いだろうか。
少女のそばに、両親と思われる男女が立っている。母親は目に涙を浮かべ、父親は悔しそうに目元を歪めていた。
一目で、ただならぬ様子であることがわかる。
「あれは……」
あたりを指し、姫花は兵御院に問うた。
「婚姻の儀でございますよ」
老人は重々しく、姫花に答えた。
その瞬間、姫花は駆け出していた。
少女に駆け寄り、あたりを見回す。
「この娘を花嫁にする必要なんてないわ!」
集まる人々に対して、凛とした声を張り上げる。
人々の注目が、姫花に集まった。
憔悴と困惑が、半分布に覆われた顔からもありありと覗えた。
「じゃあどうしろっていうんだ。このまま殺されろって思ってんのか」
少女の父親が、姫花の前に立つ。
「思っていないわ。でも、こんなことは間違ってる」
静かな声で、姫花は繰り返した。
少女に向き直り、優しく諭すように言う。
「あなたが行ったところで、解決にならないわ。誰かが犠牲になる必要なんて、ないの」
少女はあっけに取られたような顔をしていたが、ふるふると首を振った。
「あの……。ありがとうございます。でも、これはわたしが決めたことなんです。この街が好きでなんです。わたしひとりでみんなが苦しまずに済むのなら、それが一番いいんです」
儚げな微笑みを浮かべて、少女は続ける。
「怖くないわけじゃないんです。でもきっと、自らを犠牲にしてこの街を助けてくれた姫花さまも、こういう気持ちだったんだと思います」
姫花は息を飲んだ。
「あなたは私を……生野姫花を知っているの?」
「姫花さまのことでしたら知っています。昔、命を懸けて、たった一人でこの街を救ってくれた女性だってくらいしかわからないですけど。わたしの名前――はなきって、姫花さまの文字を逆にして読んだものです」
「……そう」
姫花は少女に近づいた。その手を取る。指の先は冷たく、かすかな震えが姫花に伝わってきた。
(ここには、私を覚えてくれている人がいるのね)
姫花は自分の中に、温かい何かが宿るのを感じた。
それはゆっくりと全身に沁み渡って、力と変わっていく。
(私のしたことは無駄ではなかったのだわ)
時代が流れ、人が移り変わっても、変わらないもの。
昔、自分が命を懸けて守ったものが、今も受け継がれている。
姫花は笑った。決意を込めて。
「はなき。ありがとう。でも、あなたが行くことはないわ。その衣装を貸しなさい。私が代わりに行く。今度こそ荒神に引導を渡してやるわ」
しかし、はなきはイヤイヤをするように首を振った。
「だめです。わたし、決めたんです。この街の役に立つんだって」
「強情ね……」
「いいじゃないかね。変わっておあげなさいよ」
人々に一歩進み出て、兵御院がしゃがれ声をかけた。
「花嫁を捧げるという点なら、同じ若い娘だ。変わりはないじゃろう。それにこの方は勝算があるんだ。そうでございましょう?」
姫花を見る。姫花は力強く頷いた。
「そうよ。死にに行くのではないわ」
「本当に……いいんですか?」
おずおずと、はなきが言う。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、と言うでしょう。もっとも、虎は私だけど。危険を冒さねばならない時もあるのよ」
まっすぐに、姫花は少女を見た。はなきも姫花を見返す。
はなきの目頭が赤くなり、涙が零れる。
「……ありがとう、ございます。本当は怖かった。ごめんなさい、ありがとう……」
しゃくりあげながら、少女は姫花に抱きついた。
姫花は子供にするように、背中をさすってやった。
「あなたの志、立派だわ。あとは私を信じて任せなさい」
鼻を啜りあげながら、はなきはこくりと頷いた。
「ささ、姫花さま、はなきさんも。衣装替えをなさいませ」
杖を突きながら歩く兵御院に先導され、二人はそばの建物に入った。
※ ※ ※
青と黒を基調とし、銀を配した服を身にまとい、姫花は再び人々の前に立った。
それはまるで姫花のためにあつらえたかのようだ。
「悪くないわね……」
くるりとその場で回る。裾がひるがえり、円を描いた。
「よくお似合いですぞ」
世辞ばかりでない様子で、兵御院が褒める。
姫花は苦笑いした。だが、笑いを収める。
「行ってくるわ」
歩み去る姫花におずおずと、はなきが声をかけた。
「あの……お名前を、聞かせてください」
姫花は足を止めた。振り返る。
「私は姫花。生野姫花。遠い昔とは違う。今度こそ荒神を倒してやるわ」
踵を返し、鉱山の入り口へ向かう。
後には、顔を見合わせる人々が残された。
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1
姫花は敵を睨みつけた。
古くからこの地を苦しめし邪悪なる者――荒神。
毒々しい緑色の霧が、人型に凝っている。
手には剣。袍と冠を身に着けたその姿は、古代の豪族を思わせた。
荒神の呼気が大気に振りまかれるたび、飛ぶ鳥が力なく大地に落ちていく。
その体は、命を蝕む毒そのものだ。
「私はお前を許さないわ。長く民草に苦汁を飲ませ、毒をまき散らすお前を!」
鋭い岩の連なる山間に、姫花の凛とした声が響く。
答えるは嘲笑。
「クハハハ……! 民の嘆きが、人の苦痛が、我が力となる。古くはこの地を治めし我を崇めぬ民など、贄となるより他はなし!」
「お前がこの地を治めていたのは、はるか昔のこと。今はもう忘れられた、古の王よ。古墳に眠りにつきなさい!」
「断る! いずれはこの地のみならず、日の本の国を我が手中に収めよう。邪魔立てすると許さぬぞ、小娘!」
「……仕方ないわね。荒神よ、私はお前を倒す。この地の人々を守るために!」
手のひらに、稲妻を集める。姫花の体に、小さな雷がまとわりついた。
足元の小石が砕ける。
「小娘が一人、我に抗おうというのか。愚かなり……」
荒神の哄笑が、風に乗って響く。それと共に、咳き込むほどの悪臭があたりに立ち込めた。
その手に握られた刃が、凶悪な光を放つ。嘲るような顔をしたまま、荒神は姫花に剣を向けた。
姫花は臆することなく、一歩踏み込んで右手を振るう。
「はっ!」
気合一閃! 姫花の放った雷光が、荒神の胴体を貫く。
「ぐあぁっ……! ま、まさか……」
半ば実態を失い、荒神は苦悶の表情を浮かべた。
荒い息とともに片膝をつく。岩山が握られた刃を噛んだ。
それを杖として、かろうじて姿勢を保つ。
風に流されて、荒神の体を形作る霧が舞った。
一歩、二歩。姫花は荒神に近づいていく。
彼女は敵の目の前に立った。
無表情のまま、荒神を見下ろし、その顔に左手を伸ばす。
「これで終わりよ。己の罪を悔いながら滅びるがいいわ」
「…………」
荒神は無言のまま、憎々しげに姫花を睨みつけた。
なす術すらなく、最後の抵抗であるように思われた。
姫香の伸ばされた手に、妖力が集まっていく。
閃光。その手から、力が放たれる。
だが。
「馬鹿め! 数百年を閲し我に、小娘ごときが勝てると思うてか!」
力なく跪いたはずだった荒神は、剣を岩から引き抜いた。
ぶつかるようにして姫花の体に突き刺す。
「くっ……! はぁっ……」
姫花の唇から、苦悶と嘆息がこぼれる。
荒神の剣は、姫花の体を貫いていた。切っ先から真っ赤な血が滴る。
「所詮、命短き人間の浅はかさよ。我があのくらいで滅ぶと思うか。その程度の芝居も見破れぬとは……」
邪悪な笑みを浮かべて、荒神は姫花を見た。剣を引き抜く。
姫花の体から、新たに血が流れだした。
傷口を手で押さえて、姫花はそれでも荒神を睨みつけた。
(この傷では……。でも、荒神を野に放ったままにはしておけない)
姫花は自分の最期を覚悟した。命を引き換えにしてでも、荒神を倒さねばならない。
そうしなければ、無辜の民が――彼女を『姫さま』と呼び慕う領民たちが、また苦しむことになる。
それだけは嫌だった。自分を愛しみ育ててくれた生野の地と、そこに住む温かい人々が、姫花は大好きだったから。
立つ力を失い、今度は姫花が膝をついた。
鋭い小石が、皮膚に食い込む感触がする。
「ううっ……!」
再び、荒神の哄笑が響く。
「ふははは! 地に伏す気分はどうだ、小娘。だが……」
荒神は刃を振り上げた。
「その屈辱も終わりにしてくれよう」
姫花はそれを見上げ、決意に満ちた笑顔を荒神に向けた。瞳には強い意志が宿っていた。
「虎は……」
「ん? 戯言か?」
「虎は、伏して機を伺う……!」
その瞬間、姫花の全身が光り輝いた。
あたりの大岩が吹き飛ばされ、銀の髪が別の生き物のように踊る。
彼女の周りに、嵐のような風が巻き起こった。
両手を前に差し出す。銀色の光を具現化したような虎が、姫花の前に現出した。
「行きなさい!」
己の妖力の全てを込めた、銀の虎が荒神に襲い掛かる!
「な、なんだと! 力を残して……!」
避けることもできず、荒神は虎の突進をその体で受け止めた。鋭い牙が荒神の首に突き立つ。
荒神を咥えたまま、虎は後方の山――銀を生み出す生野の山へ、光の尾を引いて突進した。
「うぐああぁぁぁ!!!」
荒神の絶叫は、轟音にかき消された。
山腹に穿たれる、隧道。
そして、続いて崩落。一瞬にして開通した隧道は、また一瞬にして岩に埋まった。
「生野の山よ……大地よ……銀よ。荒神を永遠に封じて……」
力を失い、姫花は倒れて意識を失った。
2
ガラガラガラ……!
石組みの壁が、大きな音を立てて崩れた。
うっすらと、姫花は目を開けた。
動き出した空気が、姫花の頬を撫でる。
「うるさくて寝てられやしないわ……」
あたりを見回す。
壁の一部が崩れており、そこから外の光が差し込んでいる。姫花は思わず目を細めた。
湿度の高い空気。
ぽたん、ぽたんとどこかから水の落ちる音が響いている。
姫花はゆっくりと上体を起こした。
そこで、祭壇のようなものに寝かされていたことに気付く。
「夢……じゃないようね」
今、自分が置かれている状況は、夢ではなさそうだ。
だが、どうしてこうなっているのかはわからない。
無論、先ほどまで荒神と戦っていたのも、夢ではない。
あの後自分はどうなったのだろうか。記憶はない。
「どういうことなの……?」
頭を軽く振ったところに、不意に声がかけられた。
「姫花……さま」
部屋の片隅から、しゃがれた老人の声。
驚いて、そちらを見る。
光の当たらぬ死角から、初老の男が、杖をつきながら駆け寄ってくる。
身なりはよく、質のいい和服を纏っていた。年は七十くらいに見える。頭髪はすべて白かった。
「まさか本当に生野姫花がいるとは……姫花さま、お目覚めでございますな」
老人は姫花の祭壇に近づくと、膝をついた。
「あなたは……?」
姫花の問いに、老人は答えた。
「わしは、兵御院桂介というものでございます。この地方に住む貴族です」
「貴族……? このようなところに貴族がいるはずがない。京の都は遠い。第一、その身なりは貴族とも思えないわ。狩衣も纏わず、立烏帽子も着けないなんてね」
「ああ、ご存じないのも無理はないですな。あなたは数百年、眠られていたのですよ。あなたが荒神を封じてより、時代は変わっています」
子供に言い聞かせるように、兵御院と名乗った男は語った。
姫花は否定するように首を振った。
「まさか」
「真にございます。ここを出て、外を見れば信じる気にもなるでしょうが。あなたの名は、かすかに伝承に残るのみ……」
「嘘……っ!」
兵御院は崩れた壁を指し示した。
「ご覧になられた方がお分かりになるかと……」
老人が言い終わる前に、姫花は勢いよく、石室から飛び出した。
※ ※ ※
長いこと暗闇にいた姫花の目に、太陽の光が容赦なく突き刺さった。
瞼を閉じる。そのまま姫花はいっぱいに息を吸い込んだ。草の匂いがする。
徐々に目を開けた。
空が、雲が近い。そこが地上はるか高みにいることがわかる。
目が慣れてくると、山々の稜線が目に飛び込んできた。
それは見慣れた和田山。いつも城塞から眺めていた。
姫花が見ていた頃と、少しの変わりもない。
だが。今、姫花の目の前にあるのは、遺構だけだった。
日々を暮らしたはずの城は、どこにもない。
「竹田の城はどうなったというの……?」
姫花の問いに、のっそりと石室から這い出してきた兵御院が答えた。
「これは言い伝えになりますが」
兵御院が隣に立ち、あたりを杖で指し示しながら答える。
「姫花さまが荒神と戦い、ほぼ相討ちの形で荒神を封印したと聞き及んでおります。その後、姫花さまは、城に封印され長く眠りにつかれた、とのことでございます。古いことゆえ、定かな記録ではございませんが」
その後、数々の戦があった。だが、姫花の眠る石室はそのまま時を越え、現代まで保たれていたのだ。
草生す礎石に、組まれた石垣。ただそれだけ。
人が住んでいたであろう昔日の面影すら、想像で補わねばならぬほどに変わり果てた姿だった。
足元が崩れるような感触。姫花は膝をついた。
「お気の毒なことでございますな」
兵御院の沈痛そうな声がかけられた。
父母の顔、城の人々、街並み、匂い……。
姫花の脳裏を、それらが掠めた。
そして、その人々の苦悶の表情と、街を覆う緑色の毒霧。
はっ、と顔を上げて、姫花は兵御院に問うた。
「荒神は、荒神はどうなったの?」
「姫花さまが封印をなされてより数百年……。その封印が解け、今この世で猛威を振るっておりまする。欲深き人間が、禁忌とされていた銀山の坑道を掘り起し、眠る荒神を目覚めさせてしまったのです」
姫花は立ち上がった。眼下にひろがる街を見下ろす。
うっすらと漂う、見慣れた緑の霧。
「なんということなの……。私のやったことは一体……」
命を懸けて、荒神と戦い、命こそ落とさなかったものの眠りについた。
時間に置いて行かれ、親しい人をすべてなくし。
そして目覚めてみれば、荒神もまた目覚めているという。
「皮肉なものね……」
変わってほしかったものは変化せず、不変を願ったものは失われた。
(私のやったことは無駄だったのかしら……)
長き時の間に、自分という存在は忘れられ、荒神の恐怖すら、薄れてしまったのだろう。
人々を恨む気にはなれない。けれども、空虚な感覚が姫花の中に満ちていた。
「禁忌の伝承と、封印されし姫君はたとえ話と思っておりましたが……本当にいらっしゃるとは」
満足そうな、それでいて少し意外そうな兵御院の声。
「あなたは、私を知っているのね」
兵御院は頷いた。
「伝承を紐解きましたゆえ。もっとも、実在するとは思いませんでしたが……」
「……それで、私を目覚めさせた、と」
老人は重々しく頷いた。
「左様です。今の世に、荒神に抗う力を持つ者はおりません。かくなる上は、姫花さまにおすがりするより他なく、藁をもつかむ思いにて……」
老人は言葉と共に、慇懃に深く頭を下げた。
姫花は拳を握りしめた。脳裏に荒神に支配されていたころの風景が蘇る。
荒神の吐く毒に咳き込み、倒れる人々。
子供はやせ衰え、田畑は耕しても実りは薄い。
銀山も、荒神の毒に満ちていた。それでも人々は、命を削って山を掘った。日々の糧を得るために。
緑色の霧が立ち込める生野の地。さらに昔には、死野とすら呼ばれていた。旅人の半数は荒神に捕えられ、命を奪われた。時の帝により生野と名を改められても、荒神はとどまるところを知らなかった。
はぁっ、と姫花は短く息を吐いた。
時に置いて行かれたことを嘆くより、変わらぬ不幸の源を滅ぼさなくてはならない。
この時代の人間が自分を知らなくても、それでもいい。
時が流れても、苦しむ人々は変わらないはずだ。
「相討ちはもうごめんだわ……。今度こそ、完全に黙らせてやろうかしらね」
姫花は左手を伸ばした。眠りにつく前にしていたように、手のひらを掲げ妖力を集める。
「雷よ、我が力となり我が手に集え……」
小さく低く、姫花が呟く。
バチバチと放電をしながら、人の頭ほどもある雷球が手のひらの上に完成した。
銀色の雷光を放つそれを、両の手で挟むようにした。そのまま力を込める。
パァン!
音高く雷球が弾けた。あたりにはきらきらと稲妻の残骸が散る。
「聞きしに勝るお力ですな、姫花さま」
兵御院が姫花の隣に立つ。追従が含まれているが、姫花は気にした様子もない。
「昔より、はるかに私の力は強くなっている。長く封印され、眠りについたからかしら。まさに、虎に翼ね……」
姫花は不敵に笑った。
「荒神よ、待っていなさい。今度は完膚なきまでに叩き潰してあげるわ」
かすかな不安を決意で押し殺し、姫花は虚空を睨みつけた。
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ヒーローズプレイスメント公式ノベル「ゆく河の流れは絶えずして」 4/4

5
だが次の日――。
「小鳥はどうしたのですか?」
境内の中に小鳥の姿はなく、同僚の巫女たちに聞いても返事は要領を得ない。
ならば神主にと、社務所に足を運んだところで慌てた様子の神主と鉢合わせる。
「イグニスさん、大変だ。小鳥ちゃんがいなくなった!」
「いなく……?」
「書置きがあったんだ。『イグニスさまの神具を壊したので直せるように取ってきます』って」
「修繕を頼みに街に下りた、という事……?」
「違う違う。それなら取ってくるって書き方はしないよ!」
「……確かに。おかしな書き方ですね」
「おかしくない! 前に一度神具の由来を話した事があるんだ。この山由来の貴金属を使ってるって」
「ああ、ヒヒイロの」
「だから、もしかしたら、山の中に入ってるんじゃないかって」
神主が慌てているのも当然と言えば当然の話だった。標高千二百メートルの山の奥が険しくない筈もなく、森とて奥深い。炎神の巫女であるイグニスならともかく、人の身で迷い込めば遭難する事は想像に難くない。
そしてそれは。それこそは。
「取り返しのつかない事になる……かも」
「!」
「参った。とりあえず警察と消防に連絡して……」
為すべき事は何か。イグニスの中に惑いはない。
「私も捜しに出ます。神具の由来は何処までお話になりました?」
「え?」
イグニスが神具の作られた由来を知らない筈もなく、使われている貴金属が何処で取れるかもよく知っている。黄金色に輝く金属はこの山とてたった一つの洞穴でしか採取出来ない。
神主が洞穴の事まで話しているのならば、おそらく小鳥がいるのはその近辺だろう、と思考を推し進める。
「あ、ああ。確かに洞穴の事は話した覚えがあるよ」
それだけ聞けば十分だ。わかりましたと一言残してイグニスは身を翻す。
小鳥を見つけ出す為に。単身、山奥へと――。
☆★☆
いつもの装束に身を包み、神剣を佩き、導(しるべ)なき山中をイグニスはひた走り、時に足を止め剣を構え瞑目する。
「まだ遠い……?」
太陽が中天に届こうかという時刻になっても、森深くまで陽光が届く事はない。
途中、ひどく冷たい空気が流れ込んで来た。標高も然ることながら、山の気象は移ろいやすい。
「まずいわね」
炎神の加護を受けたイグニスならともかく、常人ならそれだけで体力を奪われてしまうような冷気だ。
「小鳥が凍えてなければいいのだけれど……」
焦りが募る。小鳥は今、凍えてないだろうか。怪我はしてないだろうか、お腹を空かしてはいないだろうか――。
「ああ、もうっ!」
焦りだけが募ってゆく。為すべき事を為していると言うのに、何故焦りだけが先立つのだ、と頭の片隅でそんな疑念さえ浮かんでくる。
「ああ、もう、小鳥の、馬鹿!」
頭を振り払うと共に疑念も振り払う。
「当然でしょう。心配しているのだか……ら……」
当然なのか。心配しているのか。小鳥は馬鹿なのか。
「……」
考えも及ばなかった思いがイグニスの中で組みあがって行く。
例え、為すべき事であろうと。例え、取り返しのつく事であろうと。そうであろうとなかろうと。
――人が人を思いやる心に偽りはない。
「当然。心配しているわ。馬鹿なのは……」
その身を祭神に捧げた者でも、己の力しか信じていない者でも、求められれば――否、求められずとも風船を手に取るのだろう。
それが人の世の理なのだろう。それが人と人が繋がっていくという事なのだろう。
「馬鹿なのは……私ね」
取り返しがつく、つかないだけではないのだ、と思いが至る。
端的に言ってしまえば、先の小鳥とのすれ違いは「私は貴方が大事です」に対して「取り返しがつくので、私は私が大事ではありません」と答えてしまったようなものだ。
「馬鹿なのは……私じゃない……」
思わずがっくりとしゃがみこんでしまう。
「小鳥が怒るのも無理ないわね……」
ことり、ことり、ことりと地に三回書いた後、指がぴたりと止まる。
「……つまり、今、私が小鳥に怒っててもおかしくはない、という事よね」
決意を新たにすっくと立ち上がる。
「待ってなさい小鳥。必ず、見つけるわ。その後……こっぴどく怒って怒られて、仲直りしましょう……!」
そう決意したイグニスの前に、闇よりも深い気配が立ち現れた。
☆★☆
「よぉ、炎神の。なにか探し物かい?」
深紅のコートに身を包んだ化外の民――カバネ=ヴァムの言葉にてらいはなく。
ただ、殺気だけが立ち上っている。
「大事な人を、探しています。あなたと戦っている暇は、ありません」
一語一句、神気を含んではっきりと告げた言葉を受け、カバネは笑った。本当に楽しそうに。
「そいつぁ何よりだ――」
だがそこで獲物を狙う肉食獣のように目を細め、にたりと口元を歪める。
「あいにく、タダで通すつもりはないよ。この前は鼻であしらわれたけど、アンタの本気が見られる折角のチャンスを、逃す気はないね」
「無駄なあがきと知ってでも、なお、ですか」
イグニスの問いに、カバネは口元の歪みをさらに深め。
「無駄かどうかは、あたしが決めるさ」
そう言い放つ。その声音に秘められた決意は、いつぞやのそれとは違い、強く、重い。
そしてカバネは身をかがめ、右手の義手を前に突き出す。イグニスは反射的に剣(ツルギ)を抜いた。
「貴女を倒して、前に進みます」
「そうこなくっちゃなあ炎神の!」
イグニスの神気を浴びてなお、本気のカバネはひるまない。身をかがめ、跳躍する。
「サイバーアーム、アクセルオン!」
神速の一撃。神速の迎撃。刹那の一合の間に、イグニスとカバネは理解し合った。
――互いに、求めても届かないものへの恐れがあるからこそ、力を振るおうとしているのだと。
その理解が及んだ瞬間、イグニスの後ろに着地したカバネは、抜身の剣に胴を割かれて倒れ、イグニスの頬からは一筋赤い血が伝った。
「やるな……炎神の」
「なさねばならぬことをしたまでのこと。貴女もそうでしょう?」
イグニスは太刀を収め、いっそ優しいほどの声色でカバネに言う。
「違いねぇ――それはそうと」
殺気を収め、カバネはイグニスに告げる。
「アンタが探してるヤツ、多分ヒヒイロの洞窟の奥にいるぜ」
「なぜそれを?」
「敗者は勝者の言うことをひとつだけ聞かなきゃならない。それがアンタらの言う『化外の民』の掟さ。どうせ聞かれると思ったから、先に答えただけだ。好意でも何でもないよ」
「そうならば、助けてくれればよかったのに」
「縁もゆかりもない人間に助けの手を伸ばすほど暇じゃねえよ。だけど、アンタには縁ができた。だから教えた。そういうことさ」
「縁――ですか」
「逆縁だけどな」
カバネは咳き込み、そして続けた。
「そいつが、アンタが『手を伸ばしたいモノ』なんだろ? さっさと行ってやれよ。そんで、さくっと、神の御使いらしく、手を伸ばしてやれ」
イグニスは、その言葉に押されるように前へと進んだ。
☆★☆
やがて、目指した洞穴の前へとイグニスは降り立つ。
そこは小川が滝となって注ぎこみ、そこからさらに下へと流れていく場所だ。その滝の裏に隠された洞穴から取れる貴金属をもとに、神具が作られたという伝承が残っている。
「まさか足を滑らせたり溺れたりはしていないでしょうね……?」
辺りの様子を伺っても特に変わりはない。深くはない水面下へと目を凝らしてみても、誰かが溺れた様子はない。
「なら……あの化外の民が言ったように、もっと奥?」
おそらくはそうなのだろう。死合った相手の気息を読むなど、イグニスにはごく当たり前のことだ。それが、カバネの言葉を真実と裏付けていた。
意を決し、ざぁっと落ちてくる水流を潜り抜け、洞穴へと足を踏み入れる。
「……」
途端にしん、とした静寂な雰囲気と、遠く微かに聞こえる水音の世界がイグニスを包み込む。
滝の裏に隠されている洞穴は、ただの横穴ではない。最初の数百歩こそ平坦ではあるが、更に奥へと歩を進めれば、小さな鍾乳洞然とした様相が浮かび上がってくる。
「……?」
僅かに残るこの気配は。
「小鳥……!」
よくよく見れば、足元の土と泥がまだ新しい色をしている。滝を潜り抜け濡れた足袋で足を踏み入れば残る色だ。
越えて数百歩。一段と下がる温度にイグニスは不安を覚える。濡れた身体でこの寒さ――無事でいてくれるだろうか、と。
「小鳥! 小鳥ー! 返事をなさいな!」
鍾乳洞の遥か奥へと声が吸い込まれていく。
「……」
返事は、ない。
「小鳥!」
更に奥へと歩を進めてゆく。
鍾乳洞である以上、その歩みは平坦ではない。上がり、下がり、時には曲がり崖のように崩れている部分もある。
その中を何一つ見落とすものか、とイグニスは慎重に、しかし歩みを緩めずその身を進める。
「小鳥! 返事をなさい!」
「……グ……ま……?」
中頃も越えたであろうその場所で。視界の隅から微かな声が聞こえる。
見れば崖のように崩れた場所がある。
「小鳥!」
身を乗り出す。
「イグニスさま……」
今にも崩れそうな崖の途中に、人一人乗れるか乗れないか程度に張り出した突起部。
そこに見慣れた白と赤の巫女装束に身を包んだ少女が、カタカタと寒さに震えながら見上げている。
「小鳥!」
身を乗り出し手を伸ばす。無論、届く筈もない。乗り出した時にぶつかった小石がかつん、かつんと落ちていく。
「っ!?」
掠めるように落ちていった小石に顔を青ざめさせる小鳥。
「!」
そんな顔をさせたい訳ではない、とイグニスの心中に怒りにも似た思いが沸きあがる。
何故、大切な人を、怯えさせなければならないのか――何故、繋ぐ為の手は届かないのか。
人と人が繋がると言う事は、手と手を取り合う事ではないのか。
「小鳥! 貴女も! 手を伸ばしなさい!」
手を取るだけでは繋がるとは言えない。互い、伸ばして掴みあうからこそ「繋がる」のだ。
「イグニスさま……でも……私大事な神具を……だから……」
「……!」
イグニスの中で、何かが爆ぜた。
「うるさいバカッ! でももだってもないでしょう!」
今日に至るまで、イグニスは自ら手を伸ばしていたとは言えない。褒められた事ではないが、繋がっている事を極当然と受け止めていたからだ。
が、小鳥はどうだ。そんなイグニスに、いつも手を伸ばしていたのは小鳥からではなかったか。
ごく当然に「手を伸ばす事」が大切な事だといつもいつも示してくれていたのはこの小さな少女だ。
「だから! 手を伸ばして頂戴!」
貴女が大切だから、小鳥が大事だから失いたくない。言葉にすれば何と迂遠な事だろう。
回りくどさを突き抜く言葉があれば――そこまで思いを進めた時、自然と言葉が口から発せられた。
「好きだから伸ばしてる! 私を好きなら伸ばしなさい!」
「は、は……い!」
伸ばした腕と腕。微かに触れ合う指先が絡まるように握り合い、そして。
「小鳥……!」
「イグニスさまぁ!」
――繋がり合った。
エピローグ
それから数日後の朝。
イグニスと小鳥は仲良く参道の掃除をしていた。
つづら折りの山道に積もった夏の落ち葉を、軽く竹箒で掃き、塵取りへと収めていく。箒を使うのはイグニス、塵取りを持つのは小鳥だ。
小鳥は明るい顔で言った。
「イグニスさまの掃除も様になってきましたね」
「当然よ、任せておきなさい」
「でも……」
小鳥は言葉を淀ませる。
「何かしら?」
イグニスの直截な問い。それを受けて、小鳥は恥ずかしげな素振りを見せ、言葉を継いだ。
「その……まさかあんなにストレートに『好きだ』なんて言われるなんて……ちょっと照れくさいです」
顔をわずかに赤らめる小鳥の頭に、イグニスは手を伸ばし、そっと撫でる。
「ようやく判ったのよ。貴女の気持ち」
小鳥は照れ隠しのように早口で言った。
「ええっ、でも私その百合とかじゃありませんから」
「ん……百合?」
合点がいかぬ顔をするイグニス。小鳥もそれ以上説明しようとはしない。そんな言葉では語れない、確かな繋がりを、あの瞬間、ふたりは持っていたのだから。
そんな二人の前に、参拝客が現れる。今日もまた、喧騒の一日が始まるのだろう。
しかし、今のイグニスにはそれすらもまた心地よいものに思えた。
だから、イグニスは明朗に言った。
「炎神様へお参りですか? 参道はこちらです」
――ゆく河の流れは絶えずして、しかし元の水にあらず。いつもと同じ日々の繰り返しにも、常に変化は訪れる。そうやって、少しずつ成長していく実感を、イグニスは今感じていた。
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