• このエントリーをはてなブックマークに追加

  • ヒーローズプレイスメント公式ノベル「菊より高いものはない?」  1/4

    2014-12-22 13:00

    ccc27ac53600c93ce2519dae00c930944eaedf7a


     ふと手を休めて、その少女――二本松智恵子は気配がした方角を見た。
     時はおりしも、夕飯時。彼女はほかほかの白ご飯と醤油につけた刺身を、同時にやっつけようと思ったところである。
     気配はそんな彼女が座している、ダイニングの右手側からした。
     そこには、智恵子にとって馴染みの深い面々が立っていた。
    「あなたたち……」
     智恵子は不思議そうに首を傾げた。
     腰までのばした長い髪が、さらりと流れる。
     少しつり上がった大きな目が、銀縁眼鏡の奥で人形たちを見据える。瞳の輝きは紫水晶で、鋭い知性の光を宿していた。
     まつげも長く端麗なそれは、白いリボンでまとめた絹糸のような黒髪、身につけている純白のワンピースと相まって、まるで人形のような美しさを彼女に与えている。
     しかし、それでも目の前の気配の主に、彼女は勝てないだろうと思われた。
     美しさが、ではない。
     人形らしさが、である。
     フローリングの床の上に立っているのは、全長三十センチほどの、本物の人形であった。
     その数およそ数十体。全員が侍のような格好をして、帯刀までしている。
     彼らは何やらプラカードをかかげていて、はちまきをしているものもいた。一様に思い詰めたような表情で、智恵子を見つめている。
     智恵子はそのプラカードに書かれている文字を読んで、眉間にしわをこしらえた。
    「……ストライキ?」
     見れば、確かにはちまきにも「春闘」と書かれていて、その様子はストライキデモ以外の何ものでもなかった。
     智恵子はさらに首を傾げて、九十度にまで曲げた。納得がいかなかったのである。
     そのまま、ぼそりとつぶやく。
    「どうして、あなたたちがストライキを? 何が不満なのですか?」
     人形たちは答えた。

     東北は、少しばかり変わった観光地として人気を博していた。
     この地に開いた、異世界へと繋がる数々の「ゲート」が、その文化や、住人たる魔物などを含む「超越存在」を招き入れ、独特の観光事業を生み出したのだ。
     そして、この地にもたらされたのは、観光名所の生み方だけではない。
     異世界に存在する技法や秘術などが、戦うための術として人間たちに伝えられたのだ。
     その代表たるものが、「超越存在」と「契約」を交わす「召喚者」である。
     彼らは「超越存在」の、文字通り人間を超越した力を借り、使役して戦うのだ。
     二本松智恵子は、「超越存在」と「契約」を交わしてはいないが、ある意味では「召喚者」に近い存在と言えよう。
     ただし、彼女が使役するのは人形である。
     しかも彼女の地元である二本松市の名産品「菊人形」であり、それらは彼女が手ずから作ったものであった。
     普通なら何の変哲もない人形で納まるはずの彼らが、まるで自分の意志を持つかのように動くのは理由があり、それは一重に異世界の技術を使用しているからだ。
     簡単にいえば魔法の力を用いたそれは、人形に魂を吹き込むことを可能とする。
     さらに、繋げた糸により使役者の意志を明確に伝えることも可能で、意図を伝えられた人形は、自身の判断によりそれに沿った行動を行えるのだ。
     自分の意志で動く彼らはまさに生きた人形――「リビングドール」と言えよう。
     思考能力を持つ彼らは、人形遣いが一から動かさなくても複雑かつ柔軟な対応が可能なため、他の人形より優れていると言えた。
     ただ、一つの欠点を除いては。
     それは、彼らに自我があるため、時々融通が利かなくなるということである。

    「そういうわけで、ほとほと困っています」
     智恵子はつぶやくとストローをくわえ、言葉とは裏腹な無表情で、ズズッ、とアイスコーヒーをすすった。
     学校のすぐ近くにある(とは言っても歩いて十分近くかかるが)コンビニエンスストアは、店内で飲食が可能であり、放課後の生徒たちの格好のたまり場となっていた。
     テーブルの対面側で、智恵子と同じ学校指定のセーラー服を身につけている少女が、ソフトクリームをなめながら、ややボーイッシュにつぶやいた。
    「人形がストライキ、ねぇ。本当かよ」
     その隣でやはり同じ格好をしている三つ編みの少女が、気弱そうな顔に苦笑を浮かべて智恵子に尋ねる。
    「一体何が原因なの、智恵子ちゃん」
    「さぁ……原因はわかっているのですが、どうして不満なのかは」
     智恵子は目を閉じながらつぶやくと、目の前の少女二人――同じ学校の級友だ――に、首を振ってみせた。
    「理解できかねます。飾り菊の出自だけで、あそこまでへそを曲げるとは」
    「飾り菊の出自?」
     智恵子が使役する菊人形は、菊だけで形成される従来の「菊人形」とは少し赴きが違う。
     手のひらサイズの小さな人形に、飾りとして菊の花を数枚つけているのだが、その菊に不満があるのだと彼らは訴えたらしい。
    「ひゃー、それくらいでストライキ起こすんだ。面倒くさい話だね」
    「ええ」
     仰天するボーイッシュの少女に智恵子はうなずき、言葉を続けた。
    「……予算不足で食用菊を使ったくらいで、何もそこまで怒らなくても……」
    「それは怒るよ!?」
     三つ編み少女が、ショックを受けたように叫んだ。隣の娘が首を傾げる。
    「何だ、その食用菊って」
    「食品に飾りとして使う花だよ。専門用語で言うと、『刺身に乗せるタンポポ』」
    「ああ、あれか……って、まさか智恵子、自分が食べてきた刺身用のそれを、全部そいつらにつけたのか?」
    「いえ、そんなわけありません」
     智恵子はしっかりと首を横に振った。
    「……私一人が食べる量では、食用菊の個数には限りがありますから。学校の友人や近隣の住人、その他色々な人に頼んで、取っておいてもらったのをつけました」
    「そういう問題じゃないだろ!?」
     結局は、廃物を利用したということである。それは人形たちも怒る。
    「まぁ、それでも足りないんで……いくつか通販で業務用のものを買ったのですが」
     弁解がましくつぶやく智恵子に、しかし気弱な少女は首を横に振った。
    「智恵子ちゃん、ちょっとは人形たちの気持ちにもなってあげなよ。可哀想だよ」
    「おう、そうだそうだ!」
    「刺身などに使われる『つま菊』は、青森県八戸市の特産だよ? それが使われるなんて、福島県二本松市名物の菊人形としては、屈辱なんじゃないかな」
    「い、いや、そういう問題でもないぞ!?」
    「…………! 私、間違っていました」
    「智恵子もそんなことで目を覚ますな! それ以前に人として間違っているところがあるだろう!」
     真面目な顔でボケ倒す友人二人に、ボーイッシュは忙しくツッコミを入れる。
     と、智恵子は少し気落ちしたような表情でつぶやいた。
    「でも、実際予算が少ないのは確かなんです。私の小遣いじゃ、全員ぶんの菊を用意するのはなかなか厳しくて……」
    「まぁ、うちら学生だしな」
     ボーイッシュが相づちを打つように宙を仰ぐ。彼女も欲しいものが多い年頃だ、共感はできるのだろう。
     ふと三つ編みの少女が思いついたように両手を打ち鳴らした。
    「あ、それなら智恵子ちゃん。アルバイトしてみない?」
    「アルバイト?」
    「うん、うちのお父さんがちょうど困っていてね、智恵子ちゃんに力を貸して欲しいって言っていたんだ」
    「え……私に、ですか?」
     大人が、一介の学生に何の用なのだろう。
     智恵子の疑問に答えるかのように、級友の少女はにこりと笑みを浮かべると、
    「実はね、うちのお父さんね」
     その内容を切り出した。


    | next >>

  • ヒーローズプレイスメント公式ノベル「荒神討伐奇譚~目覚めし虎の姫~」  4/4

    2014-12-17 13:04

    b3563cfda6ded86b32eb6b2da2af36307a3fefef


     姫花はうっすらと目を開けた。
     自分を覗き込む、顔、顔、顔。そのどれもに、心配そうな表情があった。
     
    「大丈夫ですか?」

     涙でぐずぐずになった、はなきの顔がそばにあった。

    「ええ。ありがとう。私は無事よ」
    「よかった……! ぐすっ……」
    「自分で妃に志願したとも思えない、泣き虫になっちゃったわね」
     泣きじゃくるはなきの肩を叩いてやる。

    「体は大丈夫かい?」
    「本当に、よくあいつを倒してくれたわ」
    「ありがとう、ありがとう……」

     人々が口ぐちに言いながら、姫花に手を差し伸べる。

     姫花は体に力が戻ってきているのを感じていた。
    (この人たちの想い。眠っていた私の力が強くなっていたのは、かすかにでも私のことを覚えてくれていたから……)
     数百年、忘れないでいてくれた。純粋な感謝の心が力となり、自分に宿っていたのだ。

     そして、この力でみんなを守れた。
     深く深く息を吐きながら、姫花は目を閉じた。
     
    (悪くないわね、こういうのも……)
    「きゃああああああああ!」

     はなきの悲鳴。姫花は目を開けた。
     きっ、と睨みつける。
     
    「兵御院……」

     兵御院桂介が、杖をかなぐり捨てナイフを持って、はなきの首筋に突き付けていた。
     その顔は、先ほどまでの老人とは別人に思えるほど、凶悪さに満ちていた。
     
    「その子を離しなさい」
    「できかねますなあ、姫花さま」

     しゃがれ声で答える。にやっと兵御院は笑った。
     密集していた人の輪が散る。
     
     姫花はゆっくりと立ち上がった。
    「なぜ、こんなことを……」
    「簡単なことでございますよ。あなたにいてもらっては不都合。それだけです」
    「どういうことかしら。私は荒神を倒しただけ。この地に平穏をもたらしただけよ」
    「そのお力が恐ろしいのですよ。なんといっても、蘇らせた荒神を、倒してしまわれるのですから……」

    「なんですって?! あなたが全ての……」
     姫花の目が見開かれた。
     
    「すべて、という程大物でもありません。わしはただ、下らん伝承で採掘を禁じられた坑道の先に眠る、銀がほしかっただけですよ。その資金を以って、わしはこの地方で名を上げる。あらゆる貴族を、ひいてはこの国の全てを跪かせる。それが野望じゃ」

    「……荒神のような虚栄心ね」

    「これは手厳しい。しかし一理ありますなあ。わしは、荒神と取引をしたのですから」
     滔々と、兵御院は語った。皆が自分の言葉を聞き入っていることに、悦びの表情を浮かべながら。

    「荒神に、古の経緯を聞きましてな。自分の前に生野姫花を連れて来れば、わしの野望に手を貸すと。生野銀山に眠る銀。荒神の力。そろえば恐ろしいものなど何もない!」

    「外道め……」
     低く唸る姫花。老人はさらに饒舌に続ける。
    「本当に生野姫花が存在し、ましてや荒神を倒してしまうとはな。わしの計画は崩れてしまった。かくなる上は……」

     はなきの顎を乱暴に引っ掴み、首を反らせる。そこにナイフを押し当てた。
    「この娘の命、惜しいじゃろう? わしの言うことを聞いてもらおうか」

    「何が望みなの?」
    「あなたの命じゃよ。どうせ荒神と違ってわしに賛同してくれんのだろう。だったら、消えてもらった方がいい。それとも、この娘ごとわしを討ちますかな?」

     姫花は唇を噛んだ。兵御院を攻撃しようにも、巧みに少女を盾にしている。
    (どうしたら……。?)
     はなきを捕らえる兵御院の周りに、緑色の霧が漂っているのに姫花は気付いた。鼻息荒く兵御院が呼吸するたびに、体内へと吸収されていく。
     
    (かすかに残った荒神の残骸が、同じ野望をもつ邪心に共鳴している……。このままではあの体を乗っ取り、荒神がまた蘇ってしまう)
     
     そして、また地獄が戻ってくる。
    (やりなおしはもう、うんざりだわ)
     
     ふっ、と姫花は笑った。
    「いいわ。私の命が欲しければ……」
    「ダメです!」

     はなきが遮る。
    「もうわかってます。あなたは本物の姫花さまなんですよね? だったら、わたしなんかと引き換えになっちゃダメです!」
     涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、少女は叫んだ。

     姫花は首を振った。少女と、荒神と化しつつある老人を見つめた。
    「いいえ。そこまで言ってくれるのならわかるはず。生野姫花だったら、こういう時にどうするか。あなたたちが覚えていてくれた生野姫花なら……」
     言いながら、あることに姫花は気づいた。
     
    (みんなが覚えていた私……そうか)

     決意を込めて、姫花はあたりを見回した。
     集まった人々に聞こえるよう、凛とした声を張り上げる。
     
    「今から何が起ころうと、私を、姫花を信じて。姫花は荒神には屈しないのだと」
     言い終わると同時に、妖力を実体化させ短剣を作り出す。

     それで、姫花は自らの喉を突いた。
     花びらのような赤に、大地が彩られる。

    「クハ、クハハハハ……! ついに生野姫花、滅びたり……!」
     
     いつの間にか、兵御院の声は老人のしゃがれ声ではなく、荒神のそれになっていた。
     はなきを突き飛ばすと、小躍りしながら姫花に近づき、首筋に手を当てる。

    「確かに絶命しておるわ。クハ、クハハハハ……我が天下なり!」
     狂笑が続く。その口から毒が流れ出している。

     人々が姫花に駆け寄った。穏やかな表情のまま息をしない姫花。

    「みんな、思い出して! 姫花を信じて。そう言ってたわ」
     はなきが叫んだ。起き上がって姫花に駆け寄る。
     
    「姫花さま! あなたは言い伝えの通りでした。優しくて、強くて。でももう、これ以上つらい思いを、一人で背負わないで……!」
     はなきが姫花の手を握る。民衆が口々に姫花の名を呼ぶ。
     冷たくなりつつあった力ない手に、はなきの体温が移っていく。

     きゅっ。
     少女の手が、握り返された。
     
    (一人で背負わないで……。そう、そうね)

     誰も不幸にしたくなかった。だから戦う。
     今も、昔も。

    (でも、私が眠ってしまったとき、みんなはどんな気持ちだったんだろう)

     姫花一人が戦い、そして荒神が封じられた。
     それで、残された人々は幸せになれたんだろうか。
     
     姫花が、目を開ける。

    「ありがとう、はなき……」

     今度は間違えない。自分を想ってくれる人を悲しませることはできない。

     起き上がり、姫花は体中の妖力を解き放った。
     人々の祈り。自分を想ってくれる心。それらをすべて、一つにして。

    「出でよ!」

     傍らに、巨大な銀虎が現れた。唸りを上げ、今にも飛び掛からんばかりに姿勢を低くしている。
     荒神が気づき、目を見張る。

    「馬鹿な! 息の根は止まっていたはずだ!」
    「虎は伏して機を伺う。忘れたの?」

     まっすぐに荒神を指さす。
     
    「さあ、行きなさい! 竹田城の伏せる虎!」

     姫花の声を合図にして、放たれた弓の勢いで虎が襲い掛かる。
     荒神は、それをかわすことはできなかった。

     兵御院の肉体に牙を突き立てた。虎は実体を失い、あたりに銀色の光が満ち溢れる。
     すべてを浄化するような、神々しい光。
     
    「グアアアァァアァ!」

     山間に反響する絶叫。
     老人の体は緑色の塵と化した。銀の光に飲まれ、白い煙となって、立ち消える。
     
     荒神は消滅した。
     



     
     
     
     眼下をゆっくりと、雲海が流れていく。
     朝日に照らされて、黄金色の雲波がいくつも連なる。
     
     姫花は竹田城跡にいた。城下を見下ろす。
     たゆたう雲に隠されて、人々の佇まいを見ることはできなかった。

    「変わらないわ。ここに城があった頃から、何一つ」
     自分のいた時代は、遠く時に彼方に流れ去ってしまった。

    「でも、私を知っている人たちがいる。私を大切に想ってくれる人がいる」

     確かに一度、姫花は命を落とした。
     だが、眠る彼女に妖力が蓄えられたように、人々の想いが、生命力となって姫花に宿った。
     人と人とのつながり。
     今も昔も変わらぬ、強い絆のみなもと。

     ふわり。谷を渡る風が、姫花の頬を撫でた。
     雲海が、払われていく。
     朝日に照らされた、朝来の街が現れた。
     
     荒神はもういない。ふと、姫花は思う。
     これから自分は何をすればいいのだろう。

    「……まあいいわ。眠っていた分だけ、時間はたっぷりあるのだもの。ゆっくり考えましょ」

     不安はもうない。
     優しい人たちに囲まれて、この時代を生きよう。
     時を越え、名を変えても、姫花を忘れなかった、愛しい故郷。

     兵庫県朝来市。この街で。


    << back |

  • ヒーローズプレイスメント公式ノベル「荒神討伐奇譚~目覚めし虎の姫~」  3/4

    2014-12-17 13:03

    38dffd6e4209674e5a9528f0bdbfd8470b77750e


     兵御院に示された入り口から、姫花は坑道に入った。
     人の手によって整備されており、壁は固められている。
     しかし、明かりはない。
     
    「光よ……」

     指先からほんの少しの妖力を解放する。
     ふわりと光の玉が浮かんだ。
     あたりを照らす。

    「でも、霧に阻まれてあまり遠くまでは見えないわね。嫌らしい霧……」

     外よりもはるかに濃い、べったりとした緑の霧が漂っていた。
     死臭と腐臭、刺激臭。ありとあらゆる悪臭の塊。
     姫花は服の裾で口と鼻を抑えた。
     
    「気分が悪くなってくるわね……」

     前を睨みつけ、姫花は奥へと歩を進める。

     足元はだんだんぬかるみはじめ、空気は重く湿り気を帯びる。
     毒霧は濃度を増し、視界は悪くなる一方だ。
     
     だが、突然霧が薄くなった。開けた場所に出たのだ。
     天井は高く、上の方には澄んだ空気がたまっているのか、霧はない。
     それを見て、姫花は妖力の光球を上方に飛ばした。
     
     最奥に、人の背丈のゆうに三倍はあろうかという巨大な岩が見える。
     その前に、緑の霧が凝ったような人型の何か。
     体のいたるところから毒霧を噴き上げている。

     冠に袍、沓に笏。
     壁画に描かれるような、古の日本を治めていたであろう王族の衣装。
     数百年の時を経てなお、変わらぬ宿敵の姿。
     
    「荒神っ……!」

     円形の広場に、姫花の声が響いた。
     
    「妃たる娘か……」
     低く、くぐもった声が残響する。
     
     人型の頭の部分に、下卑た表情が浮かんだ。
    「ほう、これは美しい。我が妃に相応しい。さあ、近う寄れ……」

     姫花は両足を肩の幅に開き、踵を浮かせた。
     両腕を胸の前で交差させ、妖力を集中させる。
     
    「私の顔を忘れたの? 長いこと経って耄碌したんじゃない?」

    「ぬうっ……貴様、生野姫花か!」

    「今更気づいたの? 間抜けなことね」
     姫花は鼻で笑った。

    「ふん、貴様が来たならこの上ないわ。うまくいったようだ。妃などもはや必要なし」

    「何かわからないけど、戯言はここまでよ! 引導、渡してやるわ!」

     姫花の両腕から放たれた純粋な妖力が、荒神に叩きつけられた。
     しかしその瞬間、荒神は実体を失い、緑の霧へと変じた。
     妖力の塊は、一瞬前まで荒神がいた場所をすり抜け、後方の大岩にぶつかった。
     
     ドォォォン!
     
     爆音が響く。もうもうと煙が立ち、天井からぱらぱらと土の破片が降り注いでくる。
     
    「手間を省いてくれて感謝するぞ、小娘」

     荒神の声だけが響く。
     土煙が収まると、巨大な岩に変化が生じていた。
     妖力の光を反射して、坑道中が照らされる。
     表面を覆う岩と土が払われ、中の銀が姿を現したのだ。
     
    「この山に封じられて、むしろ幸運であった。我が失われし肉体に相応しい憑代を見つけたのだからな」

     霧が筋となって、巨大な銀塊に巻きつく。
     そしてそれは、吸い込まれるように消えて行った。
     やがて。
     
     低く、山そのものを揺るがすような地響きが始まった。
     
     銀塊が動く。命あるもののように銀塊が蠢く。
     まるで眠れる巨人が起き上がるかのごとく、それは徐々に人の形を縁取り始めた。

    「!? 何をする気なの、荒神っ」 
     
    「人の肉体のように脆弱ではない。霧のように薄弱でもない。我が肉体は、強く美しく、輝きを放つ銀とする!」

     甲に冑をまとい、右手には巨大な直刀。
     姫花の時代よりさらに昔。太古の兵装をなした銀の巨人が、姫花の前に立ちあがった。
     その身丈は、姫花の五倍はあるだろう。

     姫花は息を飲んだ。だが、すぐに立ち直る。
    「所詮は木偶人形よ。粉々にしてやるわ」

     ギロリ。
     冑の下から、姫花を睨みつける。
     表情は、霧でいた時よりもはるかに殺気に満ちていた。
     
    「クハハハ! 小さいな、生野姫花」

     響き渡る哄笑。
     巨人となった荒神は、その直刀を上方に振り上げた。
     山頂に至る、天井に向かって。
     
     衝撃波が走る。
     
     坑道の中が光に照らされた。鉱山そのものが切り裂かれ、そこから陽光が降り注いだのだ。
     そして次の瞬間、崩落が始まる。
     
    「きゃあああああ!!」

     大岩が姫花めがけて落下する。
     
    「今度はお前が銀山に封じられる番だ! 地中深くに埋もれるがいい!」

     崩れゆく銀鉱を、ゆっくりと荒神は上昇してゆく。
     
     
     


     生野銀山の頂上に、荒神は姿を現した。
    「数百年ぶりの地上か。なんと太陽の力強いことか」

     地上を見下ろす。
     山々に囲まれた生野の地は、古の時代よりも栄えているのが見て取れた。
     銀山の入り口に群れた人々が、恐怖の眼差しで荒神を見上げていた。
     それが、たまらなく心地いい。
     
    「愚民ども……。その命、我に捧げよ。その生気を我が妖力としてくれよう」

     大きく息を吸い込む素振り。そして街に、毒霧を噴きつけた。
     固形化したような緑の霧が、人々に襲い掛かる。

    「ゲホッ……ゴホッ!」
    「いき……が……」
    「けほっ……あのひとは……」

     ある者はそのまま地に倒れた。
     喉を掻き毟る者、咳き込みうずくまる者。
     涙を流しながら、空に手を伸ばすもの。
     妻と子を抱きかかえながら倒れ伏す父。妻の悲鳴は、毒に塞がれて外に出ることはなかった。
     
     荒神は上空から、緑の霧に包まれた地獄絵図を、恍惚の表情で眺めていた。

    「時が経とうと、人は変わらぬものだな。なんと心地よい絶叫か……むっ!?」

     何かを察し、荒神は身を翻した。
     雷球が銀の体をかすめて飛んでいく。
     
    「なんということを……! 残虐にして極悪なのは、変わっていないようね!」

     怒りに満ちた声が響いた。
     
    「生野姫花……っ」
    「おあいにく。あの程度でどうこうできると思ったら、舐められたものだわ」

     衣装の裾がはためく。
     髪が、風にたなびく。
     全身を淡い銀の光に包まれた姫花が、空に浮かんでいる。
     妖力を解放して、浮力に変換しているのだ。
     
    「生野の地よ。谷よ。風よ。今ここにある毒を打ち払え……!」

     その身に宿る力を乗せて、姫花は祈るように唱えた。
     刹那。
     地上を突風が駆け巡った。
     姫花のいる上空では、髪の先を揺らす程度のそよ風だったが、大地に溜まる毒霧はすべて払われていた。
     人々が、互いに助け合い立ち上がるのが見える。
     
    「貴様あぁぁ!」

    「ふん、お前が人々の苦しみを妖力に変えるなんて百も承知よ。そうはさせないわ」
     彼女は油断なく、身構えた。

    「さあ、決着をつけましょう。今度こそ永遠に古墳に葬ってやるわ……!」
    「ぬかせ小娘! 跡形も残らぬよう捻り潰してくれるわ。その苦悶を我が力としてやろう」

     姫花は不敵に笑った。
     自分の数倍の大きさのある敵を相手にしながら、その瞳に恐怖はない。
     銀色の光が、稲妻を成して彼女の体を走る。
     自分の妖力が高まっていくのを、姫花は感じていた。

    「さぁ、そろそろ本気を出そうかしらね」

     左手を大きく打ち振る。
     雷球が空中に五つ、荒神の巨体を囲むように現れた。
     
    「喰らいなさい!」

     広げた手のひらを、ぐっと握る。それに合わせて、同時に五つの光が荒神に襲い掛かる。
     
    「手ぬるいわ!」

     荒神は刃を打ち振るい、雷球を切り裂いた。
     弾ける音を立てて、雷球が消え去る。

    「やるわね!」

     光の残滓の中を、荒神が刃を掲げて突っ込んでくる。巨大な体躯に見合わず、その動きは素早い。
     姫花の瞳に、振り上げられた剣が映る。避けられない。

    「盾よ出でよ!」

     とっさに、姫花は身を守る。妖力が実体化し、盾の形をした結界壁が形成された。
     
     ギイン!
     
     金属同士がぶつかり合うような音。
     その一撃で、姫花の盾には亀裂が入っていた。二撃以上耐えられないと判断し、実体化の妖力を打ち切る。盾は霧散した。
     防御分の妖力も上乗せし、攻撃に転じる。
     
    「刃がお前だけのものとは思わないことね」

     大きく空中に十字を切るように、姫花は手を動かした。
     切り裂かれた空気が意思を持つように、鎌鼬となって銀の巨体に向かう。
     荒神は、避けようともしない。
     
    「愚かなり」

     真空の刃は荒神の体に、毛の筋ほどの傷をいくつかつけただけで、かき消えてしまった。

    「金属を切り刻むなど、土台無理なことよ」
     嘲りを含んで、荒神が笑う。姫花は舌打ちした。
     
    「ちっ……。当然だったわね。じゃあ、火ならどう?」

     空中で体制を立て直す。両手を合わせ、軽く指を曲げる。できた隙間に妖力を集中させた。
     薬指、中指、人差し指と徐々に離していく。
     花びらのように開いていく手のひらの真ん中に、青く燃える炎が現出した。
     
    (一点狙いよ……)
     
     両手を離す。その幅に合わせて火球も、轟々と音を立てて回転しながら、大きく膨れ上がっていく。
     姫花は両腕をいっぱいに広げた。
     巨大な火球が形成された。

    「行きなさいっ!」

     姫花の声を受けて、火球は荒神に向かっていく。
     正確に言うのであれば、剣を構える右腕の、肘一点に。
     
    「ぬうっ」

     意図を見抜けなかった荒神は、迫りくる火球にとっさに右腕を上げ、顔面をかばった。
     むき出しになった腕の関節に、火球が絡まりついた。
     青い火球は、荒神の体を構成する銀を融解させていく。

     ずるり。刃を持ったままの右腕が焼切られた。
     水銀のように液体化した金属の雫が、日の光を反射しながら落ちていった。

    「やったぞー!」
     地上の人々の声が、姫花の耳にも届いた。

    「う、ぐああぁぁぁ!」
    「そんな体でも、痛みは感じるのかしらね」

     冷たく言い放つ姫花。

    「おのれ小娘、許さぬ……むごたらしく殺してくれるわ!」

     憤怒の光を宿して、荒神は姫花を睨みつけた。
    「いくら貴様の結界壁といえども、無数に襲い掛かる銀の礫に耐えられまい」

     無傷の左手で、右の失われた肘先を引っ掴む。
     バァン! 握力で己の体を砕く。肘、上腕、そして肩。そのたびにいびつな銀の礫が生産される。礫とはいえ、その一つ一つの大きさは人間の拳ほどもある。

     傷口からは、血のように緑の霧が溢れ出た。

    「喰らえ!」

     荒神の体の一部であった銀塊は、それ自身が意思を持つかのよう空中を走り、あらゆる角度から姫花に殺到した。
     
    「盾……いえ、球!」

     姫花は己の周りに真球の障壁結界を形成した。身をかがめ、それでも訪れるであろう衝撃に備える。
     幾百もの礫が、結界壁を打ちつける。
     地うねりのような低い音があたりに木霊する。

    (この勢いじゃあ、いつまでも耐えられないわね……)

     障壁の内側で、姫花は焦っていた。攻撃はやむことなく、間断なく姫花の妖力を削っている。
     かといって、攻撃に転じるために結界壁を消せば、その瞬間に無数の礫に打たれて命を失う。
     差し違える屈辱はもうごめんだった。でも、このまま荒神に一方的に負けるのは、彼女の誇りが許せなかった。

    (一気に妖力を解放し、その隙をついて一撃で決める)

     いくらかの傷を負うことを覚悟の上で、結界壁の妖力を絶とうとした瞬間。
     不意に、礫の攻撃がやんだ。
     絶好の好機。彼女は結界壁を解除した。
     だが。
     
    「クハハハハ! 小娘は何百年経とうと小娘よ!」

     姫花の目の前に、荒神の無傷の左手が伸びていた。
     その細い体を、鷲掴みにする。
     
    「ああああああっ……!」
     姫花は、体の中で骨が軋る音を聞いた。
     痛みが全身を支配し、集中させた妖力が霧散していく。
     
    「この程度の策にかかるとはなぁ! 宣言通り、捻り潰してやろう」
     荒神は、さらに握力に力を込めた。

     姫花の悲鳴が、山彦となって生野の地を駆け巡った。
     
    (この、ままじゃ……)
     すぐそばのはずの荒神の嘲笑が、遠く聞こえる。
     手足が冷えていく。
     視界が暗くなっていく。
     
    (か、さま……姫花さま!)
     姫花のすぐ耳元で、はなきの声が聞こえた気がした。
    (どうか勝ってください)

    「負けられない……あの娘の祈りを、私は背負っているから!」
     体に妖力がみなぎる。 

     手足にぬくもりが戻ってきた。
     暗くなった視界は、霧が晴れるように明るくなった。
     遠のいていた荒神の不愉快な笑い声は、途切れていた。
     驚愕の眼差しで、姫花を見る。 
     
    「馬鹿な! 妖力も命も、尽きかけていたはず……」
    「お前が人々の苦悶を妖力とするように、私にも糧とできるものがあったのよ」

     姫花の体が光に包まれる。優しく、それでいて力強い光。
     それが一気に収縮して、弾ける。

    「ギャアアアァ!」

     荒神の左手だったものが、砕け散り地上へ落ちて行った。
     両腕を失った荒神。
     姫花は宙を舞い、素早く懐に飛び込んだ。
     
    「それは、人の希望、祈り。さあ、終わりよ!」

     両腕にすべての力を集中させ、巨体の中央、胸の部分に叩き込む。

    「おのれえぇェェ! まだ、まだだァ…… まだ我は……!」

     言い終わらぬうちに、荒神の銀の体にひびが入った。
     体から、緑の霧が吹きだし始める。
     足が砕け始める。膝、腰、胸……細かい銀の砂となって、風に舞い散る。

    「今度こそ……」

     姫花は荒い息を吐いた。
     ぐらり。視界が歪む。
    (力を使いすぎたわ。浮いていられない……)
     崩れゆく荒神の体と共に、姫花は重力の糸に引かれて、地上に落ちて行った。
     
     後には、かすかに揺らめく緑の霧が残された。


    | next >>