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shirobako評 神のいない国で語られる物語 その3
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shirobako評 神のいない国で語られる物語 その3

2015-04-14 18:45
    天気の悪い日々が続きますが皆さんいかがお過ごしでしょうか?日々仕事に追われる大井昌和です!
    今週はまだジャンプもブラッドボーンも触ってないという有様。
    ブラッドボーンは面白いですね〜。真面目にやると時間が一瞬で奪われるかなりやばいブツになっております。
    最近はスマホのゲームでなんとあのケイブが出しているものを見つけてしまい、ダラダラとそちらもやってる感じです。
    あ、ケイブはシューティングゲームのメーカーです。「怒首領蜂」「虫姫さま」などのあのケイブです。僕は「ぐわんげ」が好きでした。とはいえシューティングゲームは語れるほど詳しくないのですが^^;
    まあそんな日々の大井でありますが、今日のブロマガはshirobako評最終回「shirobako評 神のいない国で語られる物語 その3」です!
    ・・・SHIROBAKOが小文字になってるのは今気づきました。


    (続き)
    戦争で神を失い、バブル崩壊で高度成長神話を失い、3.11で永遠の日常も失われたといわれているこの国で、何を失ったか。これは物語の喪失を言い表している。
    西欧国家が世界をリードする理由の一つに、キリスト教という確固たる物語を持ち続けていることにある。なぜならこれは神の実存を信じているわけではなく、それを考え続けるという行為だからだ。その思考の果として、もしくは実践として、ゆえ彼らは文学やアートを、政治システムを生み出してきた。そして日本はそのコピーを作って近代化をしようとしたのだ。

    夏目漱石や森鴎外が文学を輸入したのは、政治を考えるシステムとして導入した。岡倉天心がアートを美術大学を導入したのも、西洋人の思考を手に入れるために行った。
    しかし、神の実存を賢しらに口にする民族には結局思考は続かなかった。その間で悩み続けることが本質のはずなのにだ。
    結果批評は社会学になり、効率を追い求め、宮台真司の言うところの感情の劣化が起きる。
    いまこの国で未来の言語を発しようとするものは多くない。
    だがしかし、SHIROBAKOは物語る。

     
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