おくやまです。
今回は皆さんの直近の関心からは 少し外れてしまうかもしれませんが アフガニスタンの話について。 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、 混乱が続くアフガニスタンで、 カルザイ大統領の後継者を決める選挙が行われました。 以下はそれに関する報道です。 === ▼平和の願い、一票に 爆弾テロで4人死傷-アフガン大統領選実施 (http://goo.gl/cXMq0a) 【ニューデリー時事】 アフガニスタン再建の行方を占う 大統領選挙が5日、厳戒下で実施された。 「平和」を次期政権の最重要課題に挙げた 国民の思いとは裏腹に、 反政府勢力タリバンは選挙妨害を宣言し、 各地でテロを激化させている。 年末に国際部隊撤退を控えた節目における選挙で、 有権者は未来への願いを一票に託した。 大統領選は2001年のタリバン政権崩壊以降3回目。 カルザイ大統領は憲法の3選禁止規定により出馬できず、 同氏以外の指導者が選ばれるのは今回が初めて。 内務省報道官によると、5日には 東部ロガール州や西部バドギス州など各地で 自爆テロやロケット砲による攻撃が相次ぎ、 少なくとも1人が死亡、3人が負傷した。 死傷者数は今後増える可能性がある。 (中略) 世論調査では、回答者の7割以上が 次期政権に期待するものとして「平和」を挙げた。 しかし、選挙関連施設などを狙ったテロが続発しており、 投票を棄権した有権者も多い。 === さて、このようなニュースを聞いた時、 われわれが一般的に思うのは、 「アフガニスタンは穏やかじゃないねぇ。 なんで彼らは平和に過ごせないんだろう」 という感想かもしれません。 実際にこれを報じたニュースのタイトルや本文にもある通り、 大多数のアフガニスタンの人々の意識の中には、 「平和への願い」や「次期政権に期待するものとして"平和”」 が存在することは否定できません。 彼らも本気でそう思っているのでしょう。 しかし、私がここであえて指摘してみたいのは、 この「平和」というものが、実はかなりやっかいな概念だ、 ということ。 なぜなら、 一般的な日本人がイメージする「平和」 のイメージとは違って、 「平和」というものにはそれを想像する人や民族など、 それぞれ独特の「色」がついている、 という事情があるからです。つまり、 <「平和」という状態は「無色透明」なものではない> ということなのです。 ※ このことは、すでに ▼「国家戦略とビジネス戦略を同時に学ぶ」 ( http://goo.gl/zoIOCj ) というCDの中でも詳しく解説しておりますので、 ご興味ありましたら、ぜひご参照下さい。 ※
:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:- まずお断りしておきますが、 私自身も間違いなく"一般的な日本人"ですので、 もちろん、「平和」というものは 極めて大切なものだと思います。 ところが、この「平和」というのがクセモノでして、 リアリスト的な国際政治の考え方では、 「戦争のない状態」や、 「国家間のバランスのとれた状態」が、 「平和」である。 という認識になります。 つまり、争いと争いの"戦間期"を指して、 それを「平和」とする、ということですね。 ここがポイントなのですが、 日本人が、「平和」という概念に対して、 心のどこかでうっすらと(希望的に)想定している、 「民主制度が実現されてる!」ですとか、 「みんなが仲良く暮らしている」といった、 余計な(?)価値観や状況は、 このシビアな「平和」に対する認識の中には、 実質的にほぼ含まれていない・・・という点です。 さて、この話の流れからすると、 やや極端な例ですが、カルタゴの事例なども、 (ローマから全民族一人残らず虐殺されて国家消滅・・・) 純粋に「争いがなくなった」という意味では 「平和」であります。 だから「カルタゴの平和」という言葉があるわけですが・・・ 「また、おくやまは血も涙もない事を・・・」 というツッコミが今回も入りそうですが(苦笑、 ここで、私が何を言いたいのか?といいますと、 「ある一定の秩序」をベースに 「平和」な状態というものが実現する。 そして「秩序」とは「オーダー」(order)であり、 そこには一定の「強制力」が必要とされる。 ということです。 ※ ちなみに【order】とは、 <社会的な序列と調和がある> という意味合いが含まれます。 ※ たとえば、われわれ日本人が、 戦後、一貫して享受してきた「平和」というものは、 より大きくみれば米軍の軍事力という <強制力」を背景にした秩序> をベースにしたものです。 「古典地政学」に基いて私が解釈すると、これは 「米海軍によるシーパワー覇権の秩序のおかげだ」 ということになります。 このことを指して、 「パクス・アメリカーナ」(pax Americana)だ、 という人もおりますね。 少し話が脱線しますが、 日本の中には右にも左にも(というか世界のどの国にも)、 この米軍の強制力によって支えられてきた <「秩序」による「平和」> が気に食わない人が一定数おります。 少し言い過ぎかもしれませんが、少なくとも、 「アメリカ(の軍事力を背景とした平和)が嫌い」 ということになるかと思います。 :-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:- さて、今回は、 「平和」というものには「色」がついている、 というお話をしてきたわけですが、 この構造は、そのまま今回のアフガニスタンの選挙 のケースにも、もちろん、そのまま当てはまります。 ・回答者の7割以上が 次期政権に期待するものとして「平和」を挙げた という報道は、おそらく正しいのでしょう。 ただし、彼らがどのような秩序の元の「平和」 を目指しているのかというパターンを考えると、 ●アメリカ抜きの「秩序」 ●敵の部族や民族や宗教が有利になる「秩序」 というものが存在し、この点を視るだけでも、 アフガニスタンの状況が一筋縄ではいかない・・・ ということがよくわかります。 このような「妥当な秩序」への欲求というのは、 日本人がぼんやりと想定している「平和」から、 なかなか想像しずらいものなのですが、 このところのウクライナ情勢などを観ても明らかなように、 世界のあらゆる紛争地帯にも当てはまるものです。 「平和」と簡単に口にする前に、 <その背景にどのような人々の思惑があるのか?> という点にもっと敏感にならないといけません。 そしてこのことこそが、 「戦略的」に物事を考える上での土台となるのです。 ( おくやま )